第12話 カナンとの遭遇
さすがに家までは突き止められなかったのか、家を出てもなにも起こらなかった。
「あら、おはよう恵ちゃん、エリカちゃん。隆ちゃんと登校の時間?」
ななめ向かいの園田の奥様が玄関前の掃除の手を休めていつものように声をかけてくる。
「おはようございます。毎朝ご精が出ますね」
わたしは学生かばんを両手で持って、やや斜めにお辞儀し、優等生っぽく微笑む。
「おはようございま~す」
エリカさんもお辞儀する。
「見たわよ、恵ちゃん。あんまりそっくりなんでビックリしたわ」
園田の奥様は、あの番組を見たらしい。それともニュースかなにかかしら。カナンのことは、あちこちでトップニュースの扱いだから。
洋館の庭の薔薇と青銅の柵の前を、園田の奥様のいつもより執拗な視線を意識しながら通り過ぎ、隆の家のインターホンを押す。
「おばさま、おはようございます。隆は起きてますか?」
インターホンからは返事はなく、そのかわりにドアの向こうで隆を呼ぶおばさまの声がする。
「隆! 恵ちゃん達が来たわよ。早く、早く!」
ドアが開いておばさまが顔を出す。
「恵ちゃん、エリカちゃん、おはよう。隆、すぐ降りてくるからネ」
いまのとこ、視聴率は50%ね。ふたりにひとり。おばさまは知らないみたい。
隆は階段をゆっくり下りてきて、靴を履くと、わたしとエリカさんをチラ見して歩き出す。左手にかばん、右手に分厚い本を持って、その洋書を読む『ふりをしながら』歩いていく。
「それじゃあ、おばさま、いってまいります」
「いってきます、おばさま」
わたしとエリカさんはにこやかにお辞儀をして、隆のあとを追う。
隆は、本から顔を上げて、わたしをちらりと見た。彼は当然歌番組を見たわよね。三人中ふたりで視聴率は67%。
「ネットの騒ぎは知ってるんだろ?」
「ええ、学校と名前は知られてるわね」
「マスコミも無茶はしないだろうけれど」
これから何が起こるのかわからない。ビレキアの上層部は、コンピュータで何らかの未来予測をしているのだろうけれど。
普段どおり、人通りは少ないけれど、こっちを見たり、指差したりする人がいる。
ふみ切りで立ち止まったときに、周りに人が増えて、遠巻きにわたしのことを話しているのが聞こえた。テレビでカナンを見たっていうだけの人もいるけど、ネット上でわたしのうわさを知った人もいたようす。
「タカちゃん、グミ、リカ、おはよう!」
今朝も踏み切りで由梨香が合流する。
「おはよう、由梨香」
とわたし。
「由梨香ちゃん、おはよう」
とエリカさん。
「見た、見た? グミが出ちゃったのかと思ったよ~」
これで四人中三人。視聴率は75%かしら。
校門の周りには、カメラ小僧ややじうまが集まっていた。脚立に乗ったプロのカメラマンもいるし、どうやらテレビ局らしいのまでいる。大きなマイクを持ったリポーターらしい女の人とかも待ち構えている。
まだこちらに気付いていないみたい。
「やっぱり、みんな先に行って。いっしょに行くと巻き込んじゃうから」
わたしは立ち止まった。
「だいじょうぶよ。固まっていけば。門の中までは追って来ないだろうし」
由梨香は楽観主義のよう。
「なんとかしましょうか?」
ってエリカさんは魔法を使う気かも。
「おいで」
と手を差し出した隆はナイト役をかって出てくれるみたい。
そういうやり取りをしていたせいで、不自然に立ち止まってしまって、取材陣に気付かれたようだ。
「あ! あそこだ!」
「お、来たぞ!」
どどっと二百人ほどの取材陣やカメラを持った男の人たちが、いっせいにこっちに走ってきた。まるで、獲物に襲い掛かる肉食獣の群れのよう。こっちまでの距離は五十メートルくらい。
わたしは、その勢いに思わず引いてしまって、反対側に向かって逃げ出してしまった。 戦場で敵に襲われるのなら踏みとどまって戦う覚悟はあるけど、芸能リポーターに囲まれて、全国ネットのTV生放送なんていう手ごわい敵とは、どう戦っていいかわかんないもの。
カメラマンたちはすごい勢いで走ってくる。わたしはとっさにわき道に入り、すぐ先の三つ角をさらに曲がった。曲がったところにあった自動販売機の陰に隠れた。これでやり過ごせればいいのだけれど。
取材陣たちは、わたしが入ったわき道に入り、三つ角まで来て、どちらにもわたしの姿が見えず、わたしがまっすぐ進んだか曲がったかで迷うはずだ。まっすぐの道には手近にいくつも別れ道が見えるけれど、わたしが曲がった方には、かなり先にしか別れ道が見えない。
わたしを追って、十秒遅れくらいでわき道に入ったのだから、あの三つ角で、まっすぐの道に追っていってくれる可能性は高いと思う。もっとも、あの興奮した集団が、論理的に判断してくれるかどうかは賭けだけれど。
やがて、三つ角まで集団が追ってきた気配がする。自動販売機からは、ほんの四、五メートルだ。
しかし、予想していたのとはまったく違った反応が聞えてきた。
「あっ居た!」
「待ってくださ~い」
「ちょっとコメントを~」
まったく迷わず、三つ角を直進していくようだ。まるで、その先にわたしの姿が見えているかのように。
すこし待ってから、自販機から顔を出して三つ角を見てみたが、もうだれもいない。いったい何が起きたのかしら。向こうの道の先に見えた誰かをわたしと勘違いして追って行ったのかしら。
それにしても、思わず逃げ出してしまったけれど、どうしよう。学校に行かなくちゃ。隊長の命令は、わたしをこの姿にした誰かの思惑に乗ってみろということだったのだから、逃げ出してはいけなかったんじゃないだろうか。
校門へ戻ろうとしたわたしの前に、家のブロック塀をすり抜けて、幽霊のように、ブレザー姿の少女が現れた。
わたしだ。
カバンも服装も髪型も、体型も顔も、鏡のようにそっくりなわたしが、塀をすりぬけて目の前に出てきた。そして彼女はゆっくりこちらを向いた。
カナンだわ。
彼女の姿にノイズのような横筋が入り、まばたきする間に服装が変わった。ピンクのワンピースドレスにつばの広い帽子と大きな色メガネ。いかにもお忍びの芸能人ふうの服装。素性を隠そうとしているにもかかわらず、かえって目立つ格好なんじゃないかな。
「はじめまして、催馬楽恵さん」
声は彼女のほうがやや高く、張りもある。でも、よく似ていた。
三つ角の向こうで、集団がさわいでいる気配がある。わたしを見失ってしまって戻ってくるようだ。そして、この道にも、通勤や通学の人は数人いて、わたしたちは見られている。
「その先で曲がりましょ。わたしといっしょに登校しましょう。取材の人たちは、わたしにまかせて」
カナンが三つ角とは反対の、やや離れた曲がり角を指差した。そちらへ曲がれば通学路に戻れる。
彼女が先に立って歩きだした。
「ありがとう。あの人たちを撒くために、わたしの格好をして、おとりになってくれたのね」
わたしが礼を言うと彼女は踊るように、歩きながら、くるりと360度ターンした。その途中、サングラス越しでもはっきりとわかる満面の笑みで言った。
「ええ。面白かったわ」
歩きながら肩越しに振り返って、彼女は微笑みかけていた。ほんとうに『楽しい』と感じているのか、それともわたしの気持ちをほぐすためなのか。
「自己紹介はいらないみたいね。昨夜のネットでの騒ぎを知って、あなたを見に来ちゃったの」
これが未来予測された事なんだろうか。わたしが取材から逃げて、彼女とふたりで出会うことが。
「ほんっとにそっくりなのね、わたしたち」
わたしも彼女を見て、そう思っていた。
やがて、元の通学路に出る。校門までは百メートル。校門あたりにはカメラを持った人たちはほとんど残っていない。そして、隆やエリカさんが心配そうにこっちを見てる姿が見えた。わたしを追ってきた集団は、まだ脇道に入ったままのようね。
「やっとあなたが良く見えるようになったわ。ほら、わたしってCGでしょ。この目でモノは見えないの。今、あなたを見てるのは街頭の防犯カメラ。ちょっと借りちゃってるの。さっきまでは自販機の防犯カメラだったから画像が荒くて。この耳では声も聞こえないから読唇術なの。カメラの方を向いてしゃべってね」
周囲には登校中の生徒たちがいて、わたしたちに注目しているが、その分距離を取ろうとしてくれていて、数メートルの空間がわたしたちのまわりに空いている。
「あなたのことを、もっと知りたくて来たのよ。どうしてその姿なのか。偶然の確率を計算したけど、ありえない数字よね。ネット上でアクセスできるデータだと、たしかにあなたは、わたしが生まれるずっと前からその姿をしてる。でも、ネット上に写真投稿とかされはじめたのは、ほんの十日ほど前から」
地球に潜入するときに、データを書き換えたので、ネット上にはわたしの嘘の生い立ちが記録されている。紙媒体は捏造できないけれど、ネット上は完璧なんだと思っていた。隠し撮り写真の投稿までは、偽造していなかったのね。
そうよね、こういう容姿の少女が実在していたとして、ごく最近まで隠し撮りされていないのは不自然よね。
「そこで、わたしが立てた仮説は、こう。『催馬楽恵の姿は、わたしの情報を元に、最近造られたものだ』ってネ」
ええ、その仮説は正しいわ。AIにはビレキアの集団催眠は当然効かないから、そういうことになっちゃうわよね。
「でも、整形の跡もないし、プロポーションも本物だわ。あなたって、本当に何者かしら。わたし、ますますあなたに興味がわいちゃったわ。今朝もね、あなたに会いたくて、マネージャーにわがまま言ってつれてきてもらったのよ。わたしって、CG制御用のパソコンが乗ってる車から、二百メートル以内までしか投影できないから」
それが地球のCG技術の限界ってことなのね。でもAIの技術はすばらしいわ。
彼女はまちがいなく人格と自我を持っている。他人に興味を持って、わがまままで言うなんて、なんて高度なのかしら。地球の科学技術は、その方面ではかなり進んでいるのかもしれない。
「あなたは無口なのね。わたしはおしゃべりなの。マネージャーにも、すこしはしおらしくしてろって言われちゃうくらいにね。あ~あ、校門に着いちゃったわね」
校門で待っていたのは、隆とエリカさんと由梨香。そして、カメラを持った十人ほどのヲタクさんたち。わたしたちのツーショットをバシャバシャ撮っている。
校門あたりにはプロの取材の人は残っていなかったらしく、遠巻きにして写真を撮るだけのようだ。と、さっきわたしが入った路地から、取材の人たちが出てきて、わたしたちが校門に居るのをみつけて走ってくるのが見えた。
「ねえ、催馬楽さん。わたしたち、お友達になりましょう」
カナンさんが右手を差し出した。
「握手は形だけよ。わたしって、ほら、CGでしょ。何にもさわれないの。だから握手も、感触ないけどしてるふりだけよ。でも、握手って、感触よりも手を握り合っているっていう図式が重要なんだと思わない?」
わたしも右手を差し出した。右手同士が交錯する。でも、たしかになにも感触がない。映像はあるけど、そこにはなにも実体がないからだ。
わたしたちが握手のポーズを取ると、まわりでいっせいにシャッター音が鳴り、ストロボの光がきらめいた。
「さあ、早く学校に入って」
促されて校門の中へ入ると、隆が手をつかんで校舎の方へ引っ張っていってくれた。取材班は学校の中までははいってこない。カナンさんがサングラスをとって、取材陣に呼びかけている。
「みなさん、おはよう。取材はわたしにお願いします。彼女は一般の女子高生で、取材を嫌がってるみたいですよ。無理に話を聞こうとしたり、未成年の姿をそのまま報道するのって、いけないんじゃないですかぁ?」
わたしのかわりに取材を引き受けてくれるみたいだ。
「何があったの?」
隆がわたしの手を握ったままたずねた。エリカさんも心配そうに見てる。
「カナンさんが現れて……友達になろうって」
校舎の横の銀杏並木の下で、手をつないでるわたしたちを、カナンさんがちらりと見た気がした。気のせいね、だって彼女はあの目で物を見るんじゃないんだもの。
あ、え? わたしったら隆に手を握られたままだ!
意識したとたん、顔から火が出そうになる。隆は手をあわてて離してそっぽを向く。
エリカさんはそんなわたしたちを楽しそうに笑って見ていた。
校内でも、距離をとって指差しながら噂話する人や、姿を見ようと他の学年からやってきたやじうまが絶えなかった。
「えっ! うそ~ホント、そのまんまじゃ~ん」
廊下を歩いていると、そんな近くで聞えるようにうわさしなくったていいじゃない、って言いたくなる。聞きたくなくても耳に入ってくる。
「なに、あんたあの子知らなかったの? 一年の理数科の子よ。柴田カナ顔で入学時から有名じゃん」
知らなかったほうの人は、多分、この二週間でわたしに校内で会ったことがない人ね。入学時からいたわけじゃないから。
「『柴田カナ』プラスモデルの『ジェリカ佐藤』なんかじゃなくて、彼女のコピーなんじゃないの? あのCGアイドル」
「ネットじゃ、そういう結論よ」
『結論』になっちゃってるの?
いきなり廊下でわたしの前にふたりの男が飛び出してきてひざまずいた。古典劇のようなプロポーズのポーズをとる。
「お願いです恵姫、わたしの手をお取りください」
と、上級生A
「いえ、あなたにはぼくこそふさわしい」
と、上級生B
「CGは触れることはできないけれど、あなたは現実の女性だ。あなたこそ理想の存在です」
と、これはA。あんたたちふたりでセリフ合わせでもしたの?
「あなたのエスコート役にはぼくこそがふさわしい」
ちょっとあなたたち、わたしの横に、隆っていうナイトが居るのが見えてないの? って言葉を飲み込んで、無視して二人の間を早足ですり抜けた。
今日は、カナン効果もあって、エリカさんよりわたしのほうが注目をあつめているようだった。
集団催眠は正常に機能していて、わたしの容姿を疑う者はいないみたい。みんな、こんどのことは偶然だと思っているか、ネット上の『結論』とやらを信じていて、わたしの容姿が作り物だとは疑っていない。
わたしの方が、昔からこの容姿だったと『記憶』している人たちなのだから、当然かもしれないけど。
教室に入ると、クラスメイト達の質問攻めに遭った。
「カナンのモデルになったって本当?」
「本当にジェリカ佐藤と同じサイズなの?」
「あれ、CGだなんて言って、本当はキミが出てたんだろ?」
「ば~か、さっきカナンといっしょに校門にいたの知らないのか」
「ふたりで握手してたよね。本当にそっくりだよな」
「あの握手ってビリビリ感電したりしないの?」
無視して座席に向かうわたしを、隆が庇うようについていてくれる。そして強烈だったのはエリカさん。わたしの席の前の机を、鞄でバシン! と叩いて、いっぺんにクラスを黙らせた。
「おだまりなさい! 愚民ども! 恵おねえさまになにか質問したいヤツは、妹のわたしを通しなさい! くだらない話だったら、このわたしが許さないわよ!」
暗黒オーラ全開で、半径三メートル以内に自席がないものは皆沈黙して後退した。
席に着こうとすると、阿久根さんが近づいてきてささやいた。
「どうやらたいへんそうだけど、悪い、昨日の約束、いいかな? 今夜が、時間通信の予定なんだ」
例の『未来人』との通信だ。わたしは、阿久根さんに約束したんだ。時間通信のときに立ち合わせてくれたら、どちらが本当のことを言っているか、証明できるって。
「行くわ、もちろん」
隊長は不在だ。自分で判断しなくちゃ。隣の席に着いた隆が見てる。阿久根さんとのやりとりが聞えないようにと小声になる。
「午後六時に家まで迎えにいく」
阿久根さんも察して、小声でささやいた。
「わかったわ」
席に着いたわたしを心配そうに見ている隆の視線を感じた。
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