夏の音

@yojouhan

歯車



彼は自転車を走らせる。

俺はただ闇雲にペダルを踏む。手入れのされていない、錆び付いたチェーンが歯車と擦れ合い、音を立てる。騒がしいチェーンの音と、木々の葉の擦れる音だけが、そこを支配していた。森の薄暗さに囲まれて、車の一台もいない道路の真ん中を走る。チェーンは音を立てる。歯車は回る。

何やってるんだろうな、俺は。

俺は視界の隅に、コンビニの看板を見つけると、より一層スピードを上げる。チェーンは音を立てる。飲み物が欲しいと、俺は思っていた。俺は乾いた喉で、一時間以上は自転車を漕ぎ続けていた。

家出のきっかけは些細なものだった。でも、日頃溜まっていく得体の知れない不満に、耐えきれなかった。だから、ペダルが空回りする位に自転車を漕いだ。ペダルを滅茶苦茶に漕いでも、もやもやは消えなかった。何もかもわからなかった。だから、もっとスピードを上げて、何かに逆らいたくて、どうしようもなくて、ペダルを漕ぎ続けた。

ずっと畝った山道で、森の中を走っていたのが、急に視界が開けてきた。森の薄暗さから一転、急に眩しくなって、目を細める。

一面の田んぼが、広がっている。夏の田んぼは、生き生きした緑だ。すぐそこにコンビニが見えた。さっきの看板。

コンビニの駐車場は何故か広かった。車は一台もいなかったが、無意識のうちに自転車を壁に寄せる。

店内に入る。こんな田舎だと、店員は1人、客は俺だけ。

俺はなんとなく、コーラとやっすいアイスを買った。店内はとても涼しかったが、店内でアイスを食べるのもどうかと思って、店を出る。

広い田んぼを見ながら、アイスを頬張る。日差しが照りつけ、コンクリートからじんわり暑さが伝わる。おまけに、田んぼのせいでなんだかじめじめする。汗で濡れたシャツ。虫の鳴き声。日が当たって光る自転車。

そんな夏全開な今日、なんでこんなことしてるんだ……。

アイスだけは、無闇に冷たい。それで、安っぽい甘さ。これが、いいんだよな。

コーラのキャップを開けると、空気の弾ける音がする。自転車乗るんだったら、炭酸にしなきゃよかったな、と後悔する。炭酸は、一気に飲み干せないから、チビチビ、飲む。

誰もいないのに、声を抑えてげっぷをした。

バッグには、財布しか入っていない。スマホも、時計も、財布以外は何も持ってこなかった。なんとなく、軽く、なりたかった。いろんな繋がりを、なくしてしまいたかった。そんなことできないってわかってるのに。繋がりをなくすことはできないけど。だけど。少しだけ、気持ちが晴れた気がする。

これから、どうするか……。

ここにいてもどうもできないので、また自転車に乗ることにした。でも、がむしゃらに漕ぐのではなく、普通に、景色でも見ながら。

また俺は自転車を走らせる。森の中と違って、田んぼの周りは暑い。日差しをもろに受けてしまう。ぽつぽつと、家も見えるが、とても住宅地とは言えない。なんとなく、真っ直ぐ道路を進む。チェーンはそんなに音を立てない。代わりに、田んぼの葉が擦り合う音がする。

家出したけど……。何にも、解決してないんだな。改めて自覚し、ため息をついた。

景色は変わらない。水田の泥臭さが、不思議としっくりくる。水田の為に区画された真っ直ぐな道を自転車で進む。すると左右に緑の波が後ろへ、後ろへと流されていく。波は限りなく前方から流れて来る。ちょうど自分を避けていくように。

しばらく水田を進むと橋が見えた。ずっと川沿いを走っていたのが、その川を渡ることで、山道に入る。橋の向こうには田んぼはなく、木々の茂った薄暗い雰囲気がある。

こんな風にして、景色を楽しみながらまた一時間程を自転車にまたがって費やした。大体が山、森で、たまに湖もあった。川の近くにはキャンプ場もあって、混み合っている所もあった。

俺はなんとなく寂しさを感じた。自然は、決して語りかけてこないから。森は、話しかけては来ない。川は、流れているがずっとそこにある。俺がどんなに耳を澄ませていても、目を凝らしても、自然は俺なんていないかのように振舞っている。それが、そこはかとなく、寂しい。

数年前は、一人でいることに自信があり、一人で優越感を抱いていた時期もあった。所謂中二病と言うやつである。でも、今は一人は寂しいよな、って思う。なのに、繋がりをなくしたいと思った。多分、なにもかも縛り付けてしまう「社会」に嫌気がさしたんだと思う。だから、決して干渉してこない、自然に惹かれた。でも、今度は寂寥を感じている。ご都合主義もいいとこだ。

溜まっている不満がわかる気がした。安心できてないんだな、と思った。安心できる居場所を求めて、こんな馬鹿みたいな家出をしているんだな、と気づいた。でも、自然は無口で、冷たかった。

道の駅についた。時間はほぼ正午だった。休日だからか、それなりに車が多い。自転車を止める。昼ご飯にしようと思った。

クーラーの効いた部屋に入る。食券を買って、

「ラーメンお願いします」

と言った。久しぶりに喋った気がする。ピピピピ鳴るあの機器を渡される。席に座ると、どっと疲れが出る。

今日、どうしようかな。家、帰らないとしたらどうするんだろう。お金は……まだ沢山あるけど、泊まるとするとやっぱりなあ……。

ここまで3時間。ここから今日中に家に帰るなら、ここから進めるのはあと1時間程度だ。少ないよな、それじゃ。

全く、繋がりが切れてないじゃないか、と笑う。お金の問題があるからな。電話ボックスで寝れば宿泊費用は0だけども。なんか、どうにも自由にならない。遠くに行っても、社会との距離は縮まらない。その辺りが、むしゃくしゃする。

俺は社会となんて契約した覚えはないけど、どうも、そうなっているらしい。なんだか、社会に、お前は社会の歯車だ、なんて言われてる気がする。それも、歯車の代わりはいくらでもいる。そしてなんの為に歯車を回しているのか、誰も教えてはくれない。誰も知らない。歯車は、ひたすら無闇に回っている気がする。社会という歯車は、それを構成している人々の目的とはかけ離れている。個人個人の理想と、歯車の目的は明らかに異なるはずだ。なんで?なんでなんだ。思わず歯ぎしりをする。なんとなく、それが自転車のチェーンの音に似ている。歯車と擦れ合うチェーンの音に。俺は一体何に支配されているのだろうか。腹が立つ。腹が鳴る。腹が減る。そう思ったところで、手元の機器が鳴った。

ラーメンをすすりながら、色々な選択肢を吟味してみるも、決まらない。でも、選択肢が沢山あるのは嬉しいことだな、と実感する。普段の生活では、選択肢なんて殆ど存在しない。ベルトコンベアにでも乗せられてるような生活に辟易していたのだろう。1日が決まり事だけで終わり、ただ、ただ生きてるよりは、迷っている方が余程幸せに感じる。

「決めた」

独りで呟く。今日は、どこかに泊まる。とりあえず、気がすむまでを走ろう。家には、今日は帰らない。そうしよう。

外に出る。クーラーの効いた部屋から出ると、もわっとした暑さがある。大きな入道雲が、空を白色に塗りつぶしていた。太陽を覆ってくれればいいのに、入道雲は太陽を隠さない。相変わらずの、昼の強い日差しが夏を感じさせる。目を凝らして入道雲を見ると、もくもくと、どんどん大きくなっている。暑さは最低だけど、 景色は映画みたいで、悪くない。気分も、悪くない。

「よし」

汗ばんだ手で、自転車のハンドルを握る。行けるところまで、行ってみよう。


こうして、彼は真夏の空の下、強くペダルを踏んだ。歯車は回り、チェーンが音を立てた。

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