メオネニムの玩具

山橋和弥

第1話

 大気が震えた。

 地面が揺れた。

 物見台の上から鳴らされた鐘は非常事態を知らせるもの。

 人々が大勢集まっている昼時の市。屋台の上に並べられている果実や穀物は揺れ、転がる。市を取り囲むように点在している建物の壁から土の塊が落ちた。

 何が起こるのかと人々の視線は揺れ動き、刹那の静寂のあと――。

 平穏な日々を、突如としてそれは引き裂いた。

 いつものように市に買い物に出ていた少女。その瞳が振り返った先にあったのは、街を囲っている外壁が轟音を立てながら崩れ去っていく風景だった。外壁は木と土に戻され、砕けて地面に落下していく。

 土煙の向こうに見える影を見て、少女は声を出した。

「なんで……玩具が……」

 太陽の光が遮られる。

 森に立ち籠める濃霧のような砂煙。

 視界に収まりきらないほど大きな玩具。外壁よりも高い位置にある四角い胴と思える塊は小さいが、そこから伸びる脚は長く節を一つ挟んで折れ曲がり、先端を地面に突き刺している。節足動物のようにも見えるが、生命体のような滑らかな質感はそこにはない。

 大型玩具は肢体であろう木材や金属材を軋ませながら、歪に動いた。その動作は外見から推測するよりもずっと俊敏だった。脚と思われる幾つもの材を何本も同時に動かし地面に突き刺しながら、目の前にあるすべてをなぎ倒しながら、それは進んだ。

 街の男たちは大声を張り上げて、人々に逃げる指示を与えた。市にいた人々は玩具から出来るだけ遠ざかろうと懸命に地面を蹴った。

 少女は呆然と玩具を見上げる。外壁が破壊されたことよりも、市の一部が崩壊したことよりも、なぜこの場所に玩具が存在し、また動いているのかが疑問だった。

 と、玩具は一度動きをとめ、人間が辺りを見回すように脚を交互に動かしながら何かを探しているような仕草をした。そして一度肢体すべてを静止させたかと思うと、それまで以上の速さで街の奥に進み始めた。

 少女は手に持っていた食材を地面に落とした。トマトが注ぎ出された血のように、地面を濡らした。少女は大型玩具を追った。通った道には、瓦礫の山、砂埃、そして倒れる人々と叫び声があった。

「やだ……そっちは」

 少女は震える手足を動かした。

「祭壇には、まだ……」

 不規則に呼吸が揺れる。逃げ惑う人々と反対の方向に少女は走っていた。地響きをあげて崩れ落ちる石の雨を避けながら、少女は足を速めた。

「どうして……なにが……」

 市は破壊された。街の中心を目指して大型玩具は進んだ。と、凄まじい音と共に、土砂が巻き上がって少女の視界を塞いだ。少女は顔を背け、咳をしながら腕で顔を覆った。

 徐々に砂煙が収まる。少女は目を細めた。

 そして少女はそれを、確かに見た。

 地響きを伴う咆哮のような音を立てながら、玩具は祭壇を粉砕していた。二つの赤い禍々しい眼のようなものが空を仰いだ。鼓膜を引き千切るような鈍い音。

 そして、果たすべき天命をまっとうしたかのように大型玩具は動きを止めた。

 少女は驚愕した。祭壇は潰れている。

「いやだ……いやだよ」 

 少女は震える腕で自分の体を抱いた。

 と、静止していた玩具が嘆くような音を立てながら自らの体を崩し始めた。鋭く削られた金属の先端を突き刺し、抉り、貫き、自らの体を崩壊させた。木材や金属の破片が辺りに飛び散り、地面に積み上げられてく。身の毛がよだつ、意味の分からないその行為に少女は恐怖した。

 少女は大型玩具から距離を取りながら祭壇に駆け寄った。この街で一番小さな建物である祭壇は、崩れ、砕け、燃え、役目を終えたように地面に突っ伏していた。幕屋の入り口に二つ立てられていた灯台が倒れ、木材や仕切り幕に火が燃え移っていた。降りかかる砂と炎の煙で呼吸が苦しい。焦げるような匂いと、湿った土の匂いが混ざり合っていた。

 少女は幕屋の中にあった至聖所の側に近寄った。中には祭壇が置かれている。

「そんな……」

 壁に使われていたアカシヤの木は崩れ、燃え上がっていた。少女は震える掌を口元に近づける。そして、足を一歩前に踏み出した。が、すぐに炎がその進行を妨げた。少女は燃える火に押され、後ろに下がった。

「こんなの嘘だ……嘘に決まってる」

 身体が崩れ落ちる、少女は地面に膝をつき、額を地面に擦りつけた。

「こんなの……わたしは絶対信じない」

 少女は地面を指で掻いた。そして、土を掌で強く握りしめた。

 大型玩具の動きは徐々に鈍くなっていた。少女は顔を上げた。近くにあった木材を手に取り、立ち上がって大型玩具に突進する。木材を振り上げ、腕と腰を回して力の限り振り切った。脚にわずかな傷が刻まれる。少女は右から左へ、そして左から右へと小さな武器を悲しみの咆哮と共に振り回した。

 大型玩具が虚弱になった視線を少女に向けた。少女の体が硬直する。

 そして、脚の一つが手のように伸び、少女の頬を撫でた。そのまま脚はもげ、大型玩具はそれ以上動くことはなかった。

 少女は地面に倒れこみ、拳を作って何度も何度も土を叩いた。目をきつく瞑り、声にならない悲鳴をあげ続けた。

 白煙と黒煙が入り混じる。木は燃えて赤い炎がいきり立つ。塵は空気を汚した。

 街が街でなくなった。

 少女の嗚咽はいつまでも空気を揺らし続けた。

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