スケアクロウ

 アスキスが木製の扉を押し開けると、整然と並ぶ椅子の列と祭壇が目に入った。

 誰もいない空間をステンドグラス越しの夕日が照らしている。


「礼拝堂か……」


 窓の外に目をやると、手入れの行き届いた庭園の向こうに、聖ルヒエル女学園の学舎が見えた。

 敷地内を探し歩いていた時と比べると、位置関係に齟齬があるようだが、“門”を潜り、隠されていた鐘楼に辿り着いたようだ。


 銀貨の姿を探し求め礼拝室の奥に進む。

 目についた最初の扉を開けると、質素な詰所のような部屋だった。

 牧師服の男が椅子に腰かけ本を読んでいた。


「ここに天使が来なかったか?」


 迂闊にも人がいるとは思いもしていなかった。

 アスキスは扉に手を掛けたまま、平静を装い男に問い掛けた。


 牧師服の男は眼鏡の奥で、驚いたような顔を見せていたが、すぐに何か腑に落ちたような表情を浮かべ、苦笑を漏らした。


「天使? ああのことですか」


 男は本を机に置くと立ち上がり、アスキスから目を背け窓辺へ歩み寄る。

 かなりの上背だ。

 警戒し距離を取るアスキスに構わず、手だけで隣室の扉を示した。


「その前に、まずは服を着なさい。はしたないですよ」


 曲がりなりにも聖職者、見ない振りをしてくれたのか。

 隣室のクローゼットには牧師の物だけでなく、予備らしい女物も収められていた。

 アスキスは丈の合う修道服を選び出し、手早く身なりを整えた。


「天使に導かれてここに迷い込んだのですね。ずっと眠っているというのに、退屈すると彼女はいつもそうやって悪戯をする。困ったものです」


 穏やかに話してはいるが、“門”を使わねば辿り着けない、隠された空間の中で過ごすものが、ただの牧師であるはずがない。


「牧師さん、あんたは天使の知り合いか?」

「牧師……いいえ。僕にはもうその資格はありません。今はただの案山子スケアクロウ。鳥を見張り鳥を追うのが唯一の仕事」


 手足がひょろ長く、麦藁色のぼさぼさの髪。なるほどあざなをつけるなら案山子がぴったりだ。

 だが、ただの字ではないのだろう。自嘲めいた男の言葉には、重苦しい響きが込められている。


「ここは人が立ち入っていい場所じゃない。僕がまで送ってあげよう」

「銀貨に会うまでは帰れねえよ!」


 差し伸べた手を跳ね除けるアスキスの強い拒絶に、スケアクロウは訝し気な表情を見せた。


「彼女の知り合い? だとしたら、随分幼い頃のはずですね。君は、セントブリジット孤児院の出身かい?」


 そこにいたのはごく僅かな期間だった。

 アスキスが銀貨と出会い、そしてシスター・フランチェスカに地獄を見せられた場所だ。


「なんだ、?」


 押し殺したアスキスの感情に気付かないのか。

 牧師服の男はどこか懐かしそうな表情を見せた。


「僕の教区の施設ですよ。手が離せない仕事ができたので、もう長く顔を出すこともできていませんが――」

「お前もあの変態のお仲間か! 銀貨はどこだ? すぐにでもここから連れ出してやる!!」

「何か行き違いがあるようですね。言ったでしょう、彼女は眠っています。絶対に起こして貰う訳にはいかないんですよ」


 困り顔のスケアクロウに構わず、アスキスは詰所を飛び出した。

 部屋数は多くはない。ここまで辿り着けた以上、見付け出すのは難しくない。そのはずだった。


「……先生、お邪魔してごめんなさい。侵入者を確保したらすぐに帰ります」


 礼拝室の扉を開け声を掛けたのは、黒髪の少女ジジ。アスキスを見るや、その掌中に短剣が現れる。

 アスキスを追って部屋を出たスケアクロウは、ジジに気付くと場違いな笑みを見せた。


「久し振りですね、ジジ。今日はずいぶんと賑やかだ。彼女もセントブリジットの出のようだが、友達じゃないのかい? 院のみんなとは連絡を取っていますか?」

「…………」

「瓶詰めで誰にどうやって連絡するってんだ? リィズアンナとは今さっき、ガラス越しに会ったばかりだがな!」


 応えないジジに代わり、アスキスが怒りを爆発させる。

 スケアクロウは無言でジジとアスキスを見比べていたが、やがて表情を消し平坦な声で呟いた。


「慧士郎に直接会う必要がありますね」

「待って、先生。いまはハスターの活性が異常に上がってる……絶対にここを離れて貰うわけにはいかない」


 乏しい表情のまま慌てるジジに構わず、アスキスは奥の扉へ向かう。

 スケアクロウはアスキスの肩を掴み引き留めた。


「二人ともここでしばらく大人しく待っていて貰えませんか?」

「放せよ! 邪魔するんなら、力づくでも押し通る!」


 啖呵を切ったアスキスだが、さして力を入れているようにも見えないスケアクロウの手を、振りほどくことができない。


「そう……聞けませんか。最初に謝っておきます。今の僕は平静を保つ自信がない。



「Bheeeeeea……」



 アスキスの肩に置かれたスケアクロウの右手から、奇妙な鳴き声が響いた。

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