天屍の浮かぶ空
「ものみがいませんわ!」
耳に響く
泥のように沈み込んでいたソファから身を起こす。まだ日が出たばかりだが、それでも2時間ほどは眠れたようだ。
まったく、朝っぱらから騒がしい。
「昨夜の騒ぎの間、玄関が開いていましたから、驚いて逃げ出したのかもしれません」
取り乱す主人に、執事は鹿爪顔で応えた。
「腹が減ったら帰ってくるだろ? こっちも飯にしようぜ?」
「あの子はまだ小さいんですのよ。きっとどこかで怖くて震えていますわ!」
「すぐに捜索の手配をします」
騒ぎを尻目に、アスキスは熱いシャワーと申し分ない朝食にありつき人心地付いた。
朱鷺乃たちが猫探しにかまけている間、鍵が置かれていた
眼帯の女は、黒犬の相手をするアスキスを尻目に、悠々と玄関から侵入している。
黒犬を片付けすぐに後を追ったが、その頃には既に邸内はもぬけの殻だった。
「角度……か」
師であるアビゲイルから聞いた話だが、セイレムに計算した角度に基づく魔術を使う家系があるいう。
執事とやり合っている際、あの女はそんなようなセリフを吐いていた。
あの水晶片を利用すれば、追跡不可能な逃走もたやすいだろう。
「ものみは見つかりまして!?」
「そっちか? あたしは眼帯女を追う手掛かりを探してたんだよ!」
外を探し歩いてきたらしい、汗だくの朱鷺乃に問われるが、朱鷺乃の世話でさえイレギュラーだ。猫はアスキスの勘定には入っていない。
「それじゃあ、その手掛かりは見つかりましたの?」
「……いや」
アビゲイルなら魔術の痕跡を見つけ出し、追跡の手掛かりを得ることができるかもしれない。
だが、アスキスには使われた魔術を推察するだけで手一杯だった。
「魔女と言ったところで、役に立ちませんのね。それじゃあせめてものみを見付けてやって下さらない?」
「お前なぁ……」
やることがあるという朱鷺乃と交代で、アスキスは猫探しを押し付けられた。
「執事が警察と保健所に連絡入れて、張り紙まで張って回ってるんだから、もう充分だろ」
裏手は山に面していて、木製の低い柵で区切られているだけ。山に入り込んでいたなら厄介だ。
簡単な獣寄せの呪いなら、仕掛けて置くこともできなくもない。即席の使い魔として使役する、カラスや猫を呼び寄せるための物だ。
近くに住む獣を無作為に引き寄せるだけの呪いなので、猪や熊でも寄ってきたなら面倒なことになる。
「あたしにも使い魔がいりゃあ、あの眼帯女にも後れを取らなかったのに」
猫の好きそうな茂みや物陰をお座成りに探しながら、散歩がてら近所を一回りしたアスキスが戻ってくると、執事がワンボックスカーに大量の荷物を詰め込んでいるところだった。
「見付かりましたの?」
指示を出す朱鷺乃は、余所行きらしいワンピースに帽子姿。黒なのが暑苦しいが、喪に服す意味合いか。
「ご期待に沿えず申し訳ないが、あたしはペット探偵じゃあねえ」
「魔女なのに? 大人になったら何になったりはしませんの?」
「魔女だからだよ! 大人になっても魔女だよ! それより、どこか出掛けるのか?」
「行きますわよ、
唯一の手掛かりである封筒の消印から調査を始めるのだという。
「悪かねえ考えだけど、少し荷物が大げさすぎやしないか?」
「ご心配なく。これでも旅慣れていますから、荷物はこれだけですわ」
「
ひょっこり帰ってきても締め出してしまわないよう、猫用のドアを開け自動給餌器をセットすると、一行は執事の運転する車で無名都市へと向かった。
さすがに封筒の消印だけで出立を決めたわけではなく、朱鷺乃には他に何か思い当たる手掛かりがあるようだ。
禅や詫び錆びを理解する日本のセンスでは、おかしくないのだろうか。
「ところで、なんでこいつは執事の格好してるんだ? コスプレか?」
頬杖を突き、晴れ渡る夏空を物憂げな表情で眺めていたアスキスは、運転席を顎で指し、隣に座る朱鷺乃に問い掛けた。
「貴女がそれをいいます?
「いやいや、説明になってないぞ? 家政婦ならこのお仕着せはおかしいだろって聞いてんだ」
納得しかけたアスキスだったが、すぐに澄まし顔の朱鷺乃に問いを重ねる。
「ほんとうはメイド服を用意したのですが、灰里がどうしても嫌がって」
「だからお仕着せをやめてやれよ?」
「なにごとにも相応しい装いというものがありましてよ。私には、貴女の服装にも不満があるのですけど」
微かに眉根を寄せる朱鷺乃に、アスキスは口元を歪めて返した。
「とんがり帽子で黒ローブの、か? ご期待に沿えず悪かったな」
「いえ、ピンクのミニにフリルたっぷりで、光るステッキのほう」
「そっちかよ!」
あたしはこれで良いんだよ。いちばん大事な人が決めてくれたんだから。
そっぽを向き、ふたたび車外を見るアスキスは、心の中で呟いた。
「そろそろ着きますわよ?」
朱鷺乃の声で前方に視線を移すと、巨大な石柱が、青い空を割るようにそびえ立つのが見えた。
電柱やアンテナ塔の類ではない。何かのモニュメントか。遠景にも、同じような石柱が見える。
「停まれ!!」
「何をするんです!?」
内臓を素手で弄られるような、異様な感覚。
後ろからサイドブレーキを引き、無理矢理停車させると、アスキスは執事の抗議を無視し車外に飛び出した。
「どうしましたの?」
追い詰められた表情を浮かべるアスキスには、心配顔の朱鷺乃に応える余裕はない。
なんだ、この違和感は?
吐き気をこらえ、落ち着きなく辺りを見回す。
すぐ後方には、通り過ぎたばかりの石柱が影を落としている。
一つ、二つ、三つ……
視線を巡らせると、さらに遠景の建物の合間にも、滲んで同じ形の影が見える。
全部で8……いや、9本。石柱は、街並みを囲むように配置されている。
違う、これじゃない。
上……もっと上だ。
襲い来る悪寒と不快感をこらえ、アスキスが額に脂汗を浮かべながら上げた視線の先に。
さっきまで存在しなかったはずのものが見えた。
空を覆い街を見下ろす巨大な異形の影。
それは一見、鳥のように見えた。――いや、鳥だったモノか。
複数の眼球を持つ頭部はその右半面を砕かれ、内部器官が覗いている。
翼のようにも、巨木の枝のようにも見える器官は、左翼のみしか存在しない。あるいは初めから片羽根なのか。
はみ出した肋骨と、そこからこぼれる臓物。続く下半身は存在しない。
その背から伸ばされた二本の触腕は、力なく垂れ下がっている。
半ば透き通るそれに実体はない。
アストラル投射されたものか。活動している様子は見えない。
石柱と併せ、その光景にアスキスは鳥籠を想起した。
異形の屍骸を閉じ込めた檻。
毀されてもなお、眼下を見下ろし、場を支配する存在。
白い壁。
強い日差し。
咲き誇る大輪の花。
アスキスはうずくまり、胃の中のものを全てぶちまけた。
錆びた釘でも打ち込まれたかのような頭痛が襲う。
異形に対する恐怖や嫌悪だけではない。
フラッシュバックする映像に、脳を掻き毟りたくなるようなもどかしさを抱く。
折れた指。
空の蒼。
白い羽根。
あたしは以前あれを見たことがあるはずだ。
『だいじょうぶ?』
『そんなにしてまで、欲しいものがあるの?』
覗き込むんだのは、銀色の天使。
「大丈夫ですの!?」
違う。あの子はもういない。これは今の雇い主だ。
朱鷺乃や執事に、あれは見えていないのか。
制御しきれない苛立ちと、理由も知れない喪失感を抱えたまま、アスキスの意識は闇に落ちた。
§
この部屋は犬臭い。彼女は物陰で様子をうかがった。
さっきの奇妙なやつは、テーブルに何かを置いて部屋を出る。
水音がする。シャワーってやつだ。
テーブルに飛び乗り確かめる。それからは少しだけ、友達の匂いがする。
弄っていると紐が首に絡まった。ちょうどいい、友達への戦利品だ。
それにしても、ここはどこなんだろう? 開いた窓から顔をのぞかせる。
見たことのない景色。嗅いだことのない風の匂い。
わくわくを抑えきれない彼女は、迷うことなく飛び降りた。
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