軒車の中で


 宮廷に向かう軒車けんしゃ(馬車のこと)に乗り込んだ後。

 おもむろに、瑛明えいめいが問いかけてきた。

「…………寿晏じゅあん。そなたは宮廷について、どのくらい知っておる?」

「…………え?」

 思わず晏如あんじょは、となりに座る瑛明の横顔を見た。

 自分とは反対の窓の方を見ているため、表情まではわからない。

「いいえ…………。くわしいことまでは、知りません」

 晏如は、素直に答えた。

 離宮に来る前に、実兄の澪駿れいしゅんが住む家本邸で、宮廷での礼儀作法や決まり、官位などについて強制的に覚えさせ…………ゴホン、ゴホン、覚えた晏如。

 だが、あくまでもそれは、付け焼き刃程度のものでしかなかったので。白竜宮に来てからは、空き時間を使っては、胡蝶にいろいろと教えてもらっていた。

「…………そうか。では、今から、簡単に注意事項だけ話しておこう」

 細く息を吐いた瑛明は、静かにこう言った。

「はい。お願いします」

 晏如は、瑛明の方を向いて頭を下げていた。

 軒車は、まもなく都大路に入ろうとしていた。



◆◇◆◇◆



 瑛明は、あい変らず窓の外に目を向けながら、静かに話し出した。

「寿晏。そなたは、わたしの後ろにひたすらついて参れ。もし、誰かに話しかけられても、そなたは何も答えるな。会話はすべて、わたしがやる」

「はい」

 晏如は、強くうなずいた。

 つまり、ただついていけばいいだけ、ということか。

 瑛明は、そのまま続ける。

「用心しろ。もし、わたしのいないところで、知らない人に話しかけられたら、瑛明殿下をお待たせしていますので、と言って逃げろ。絶対に一人になるな。わたしから、片時も離れてはならぬ」

 何気に、サラっとすごいことをおっしゃる王子殿下。

 これを言われたのが自分ではなく、女の子だったら、たちまち胸がトキメキでいっぱいになっていただろう。

 しかし、僕はあいにく(?)男だ。まちがっても、ときめくことはない。

「な、なぜですか…………?」

 晏如は、理由を尋ねていた。

 しかし、瑛明は首をわずかに横にふると。

「…………理由は、言わぬ。そなたをいたずらに、こわがらせたくはないからの」

 はぐらかされた。晏如は、そう思った。

 さらに、瑛明は言葉を重ねる。

「よいか。何があっても、気を抜くでないぞ。あそこでは、一瞬の気の迷いが命取りになりかねん」

 ああ、あともう一つ。

 彼はこう付け加えた。

「心をくわれるな。あそこは狐狸妖怪こりようかいがすぐもっている、伏魔殿ふくまでんだ。決して、自分を忘れるな」

 横を向いたままこう言ってのけた瑛明が、晏如には何よりもおそろしかった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る