8 卒業研究のテーマ
学院の敷地の最北にある図書館は、急遽発生したレポート作成を行う生徒で賑わっていた。ミアたちも例外ではなく、付属の談話室の片隅を陣取って輪になっていた。
寒さの厳しい王都では、暖を取るために地下で石炭を焚いている。室内はそこから運ばれる蒸気で暖められていて、学院も例外ではない。部屋の隅は暖気が通る鈍色のパイプが張り巡らされているために暖かく、穴場だった。
あの場に居合わせた生徒全員にリューガー教授はレポート提出を言い渡したのだが、完全専門外の法科のフェリックスと魔術科のマティアスは途方に暮れていた。見かねて、皆でやったら早いとミアは図書館へと二人を誘った。本も談話室までなら貸出手続きをせずとも読めるため、調べ物にはうってつけなのだった。
信じられないことにフェリックスは今まで一度もここの図書館を利用したことがないらしく、物珍しそうにキョロキョロしている。彼の手元を見て、ミアは目を釣り上げた。
「なに、まだ真っ白じゃない。やる気あるの」
放課してからもう一時間経っているのに、フェリックスのレポートは白紙だったのだ。
「だって『創薬の歴史』のレポートとか、単位に関係ないし」
ミアは呆れる。言われてみればそうなのだけれど、ならば最初になぜそう言わないのだろう。
「じゃあなんでついてきたの」
少しきつい口調で問い詰めると、
「そりゃあ、ミアと一緒に居たかったから」
「……は?」
「だから、ミアと一緒に居たかったから?」
小首を傾げて微笑むフェリックスに、ミアはかあっと顔を赤らめさせた。こういった言葉に免疫がないせいでどう返していいかわからない。返答に詰まったところで、
「ふうん、《天使の涙》と《悪魔の爪》って同じ時期に発生してるんだな」
ヘンリックが呟き、ミアはフェリックスから逃げるため、縋るように話に食いついた。
「え、それ知らなかった。見せて!」
「……また脱線? 二人に任せてたらいつまでも終わらない」
会話を中断されたせいなのか、腐ったフェリックスが遮る。「脱線じゃないよ。歴史上重要なポイントだし」と返しつつも、ヘンリックは時計を見て「あ、もうすぐ夕食だ」と言う。するとフェリックスは顔色を変えて「早く行かないと売り切れる」と片付けを始める。ミアも慌てて続く。ここのカフェテリアでは、一部のまともなメニューを除くと、栄養のバランスだけを整えたという、不可思議な味の食べ物がよく出てくるのだ。数少ない食べ物の争奪戦に負けると、鼻をつまんで食事をとるはめになる。
「ところで、さっきの計画書の話だけど……テーマはどうするんだ? てっきりそれを話すのかと思ったからついてきたんだがな」
それまで静かに魔術書を読んでいたマティアスも、片付けながらポツリと呟いた。ちなみに彼のレポートも真っ白だが、魔術科の人間は実技がすべてだから、魔術を優先すべきだと早いうちに論破されてしまったのだった。
ミアはてっきりもうテーマは決まっていると思っていたので驚いて聞き返す。
「え? だから、《悪魔の爪》についてだけど」
すると、万年筆を筆入れに入れていたヘンリックが口を挟んだ。
「《悪魔の爪》の何? 病状? 歴史? 漠然としすぎてるよ。卒業研究がスタートするのは三年生から。卒業するまで長くてもたった四年なんだ。もっとテーマを絞らないと何の結果も出せないで終わる」
「四年もあるのに?」
フェリックスがのんきに問うが、ミアはヘンリックの言うとおりだと思った。となると、遠慮している場合ではない。望みを思い切って口にしてみる。
「わたしは《悪魔の爪》の薬を作りたい。だけど……それだと内容が薬科に偏りすぎてると思うの」
「そうでもないよ。医科は臨床でデータを出せる。問題は――」
ヘンリックが視線を法科と魔術科の二人に向ける。ミアの懸念もそれだ。一緒に薬を作るとしても、彼らには旨みがないと思うのだった。だが、フェリックスはどこ吹く風だ。
「まあ、俺は計画書が出せて単位さえ取れればいいし、自分の役割はおいおい考えるよ。夏至祭の前まで提出さえすればいいんだろう? 半年あればなんとかなる」
「いいや、その前にどのテーマでやるか、冬至祭までにタイトルと概要を書いた企画書を提出しないといけない。聞いてなかったのか?」
「そうなのか? あと一ヶ月しか無いじゃないか」
フェリックスが目を丸くする。ミアが「去年やったんじゃなかったの?」と問うと、「いや、実はこの授業の単位、落としたんだ」とカラッと笑った。
「…………そんなだから留年するんだ」
ヘンリックが呆れ返るが、フェリックスは「だって出せば《可》を貰えるんだろう?」と余裕の表情だった。
じゃあ、あなたは? とミアがマティアスを見ると、彼は彼で何の屈託もないらしい。
「だから、そもそも俺は魔術科だから、魔術の訓練さえやってれば何の問題もない。卒業論文だって、中身なんか、魔術科の教授はきっと誰も読まない。実技さえできれば、タイトルと名前だけでも通ったって先輩に聞いた」
「…………」
ミアがヘンリックを見ると、彼は「僕は《可》や《良》なんてごめんだね」と肩をすくめた。どうやら必死にならなければならないのは、ミアとヘンリックだけのようだった。
それから数日後のこと。学院中が冬至祭に向けて賑々しく飾り付けられているというのに、この教授室は相変わらずの重苦しい本の壁だった。圧倒されながら、ミアはリューガー教授を睨みつけていた。手元には突き返されたレポート用紙が握りしめられている。
「せめてどこが悪いのかを教えて下さい。他のチームの企画書には駄目な部分にアドバイスが書いてあるのに、どうしてうちのだけ何も書かれていないのですか」
「まず前提がだめだからな。何度提出しても、これではだめだろう」
「だから、どうしてです」
教授の口からは駄目という言葉しか出てこないのではないか。
どうしてそんな意地悪をするのですか! ――そう言いたいのを、ミアは歯を食いしばってぐっとこらえた。
あれからミアたちは毎日放課後に図書談話室に集まって、ネタ出しをして、幾つか出たテーマを一つに絞った。というより、ミアしか積極的にテーマを出さなかった、が正しいのだが。フェリックスとマティアスは知識がないため、口出しが出来ずに見守っているだけ。唯一意見したヘンリックも、ミアの意見に細かいダメ出しをするだけで、具体的な対抗案は出してこなかった。そのため、ミアの希望通り、『悪魔の爪の薬』でひとまず進めてみるという事になったのだ。
だけどそれらはあっさり没になった。返却された企画書には「話にならない」と書かれていただけで何が悪いのかわからない。だからミアはなぜだと聞きに来たのだ。
「《悪魔の爪》の治療薬を作るだと? テーマが広すぎる。君たちみたいな子供が出来ることなんて本当に限られているんだ。先人の研究までたどり着くのに最低一年はかかる。残り三年でどうやってなにを成し遂げる」
これでも広いと言われるとは思わなかった。ミアは反論する。
「でも、薬の一つくらい、」
「創薬を舐めてるのか」
ミアの発言をするどく遮って教授は尋ねた。
「このイゼア王立学院で開発された薬がどれだけ世に出ていると思っている?」
「……百種類くらい、でしょうか?」
王立学院なのだ。国で一番の研究ができる場所ならば、きっと相当な量の薬が開発されているはずだと期待を込めて答えたミアに、教授は呆れたようなため息を吐いた。
「いいや。たった一種類だ。それが奇跡だと言われている、《天使の涙》の特効薬だよ」
王立学院に薬科が設立されて、今年で七十年のはず。
(七十年かけて一種類?)
ぽかんと口を開けるミアに、教授は更に言った。
「で、年間どれだけの金が創薬の研究費につぎ込まれていると思ってる?」
今度は、ミアは見当もつかず、黙りこんだ。
「学院の運営費の二十%だ。だから薬科は金食い虫だと上から嫌われている」
「二十……!?」
七十年間、運営費の二十%。それだけの金を動かしてようやく一種類。ミアは卒倒しそうになった。
その様子を見てリューガー教授はニヤニヤと笑う。
「だがそれが現実だ。金も時間もない一介の学生には大きすぎるテーマってことがわかったろう。諦めて私の出したテーマに取り組むほうが賢明かもしれんな」
反骨心をなで上げるような顔だとミアは思う。萎えかけていた心が逆にしゃんとする。そうだ、ここで負けたら、すべてが終わる。
「そういうことなら余計に諦められません! 失礼します」
ミアは教授の部屋を飛び出すと、寮に戻る。そして突っ返されたレポート用紙を思い切りゴミ箱に突っ込むと、新しい用紙に鉛筆を突き立てた。
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