時のない国

楠樹 暖

 

 時のない国に来て一週間が過ぎた。いや正確には体感時間で一週間が過ぎた。旅行先をこの国にしたのは理由がある。

――抱えていた仕事がひと段落し、有給休暇を使って旅行にでも行こうかと思った矢先に、次の仕事が来週から開始することが決定した。旅行がぱぁになってしまったのである。休めるのは土日だけ。せっかくのんびりと羽根を伸ばして魂のリフレッシュをしようとしていたのがダメになってしまった。そのとき飛び込んできたのが時のない国の観光案内だ。

「時のない国は時間が止まった国です。

 時のない国で何日過ごしても、時のない国を出れば時間は一秒も経っていません。

 (ただし、宿泊費用は体感時間分を頂きます)」

 私はいつか読もうと買っておいた本を数冊持って時のない国へと旅立った。


 時のない国は国と言っても本当の国ではなく、テーマパークのようなものだ。人里離れた山奥の半径五キロの円形のゾーンが時のない国だ。

「ここからは、歩いていきます」

 ガイドが運転する車が時のない国のゾーンの手前で止まった。

「ここから先は、車の時間が止まってしまって動かなくなるのです」

 不思議なもので、機械は時間が止まってしまうけど、人間は動けるのだという。

 時のない国の領域に足を踏み入れるといきなり影の位置が変わった。太陽の位置が変わったのだ。

「時が止まって以来、お日様はずっとあの位置のままなんですよ。急にお日様の位置が変わるんでビックリしますでしょ?」

 まだ自然が残る道を歩く。小鳥のさえずりや、木々のざわめきが聞こえてきそうで聞こえてこない。音のない世界に違和感を覚える。


 宿のある集落への道中、ガイドが時のない国の説明を始めた。

「時のない国の中心地には、研究所があったんですよ。ある日、その研究所が事故を起こしたんです」

ガイドの説明はパンフレットに書いてあることそのままだったが、ほかの話題もないので、そのまま聞き続けた。

「その研究所では、マイクロブラックホールの研究をしていたらしいんです。それが暴走して重力の影響で空間が圧縮されて、この辺り一帯の時間の進みが遅くなったらしいです」

 光速で移動する宇宙船のウラシマ効果のようなものだろうか? でもそれなら浦島太郎のように、外の世界に戻ったら何十年も経ってそうなのに。そもそも、人間だけが時が止まらずに動ける事の理由になっていない。

「今の説は、前に案内したオカルト雑誌の記者さんが言ってました。ホントかどうかよく分からないんですけどね」


 集落に辿り着くと思ったよりも人が多かった。私のような観光客が多いのだろうか?

みんな痩せて眼鏡をかけている。その中の一人が私のところへ駆け寄り話しかけてきた。

「君は何の技術者だ?」

 いきなりの質問に面食らって何と返答していいかともたついていると、「もういい。また今度にする」と駆け足で離れていった。

「気にしないでください。まだ来たばかりですからね。時間はたっぷりあります。おいおい分かるでしょう」

 ガイドが、なにやら含みのある笑みを浮かべていた。


 白夜の国では太陽は沈まないが水平線と並行に移動する。でも時のない国では太陽はずっと同じ位置だ。寝る時間になっても外が明るいため最初は寝にくかったが、今は慣れてきた。持ち込んだ本も全て読み尽くしてしまった。することもなく、のんべんだらりとした時間を過ごす。こういうのも悪くない。

 滞在予定は体感時間で二週間だが、その半分でもう元の世界が恋しくなってきた。本当に元の世界に戻ると元の時間に戻るのだろうか? 少し不安になってきた。実は何十年も経っていて法外な宿泊費用を請求されるのでは?

「お客さん、そんな心配よりも元の世界に戻れるか心配したほうがいいですよ。実はこの集落の人間は研究所の事故でみんな死んでいて、天国にも地獄にも行けない煉獄の様な状態かもしれないんですよ。お客さんもこの国に足を踏み入れた時に既に……」

 えっ?

「なーんて、冗談ですよ。オカルト雑誌記者さんの受け売りですけどね」

 一瞬ひやりとした。あと一週間のんびり過ごそう。でも他の人はなんであんなに忙しそうなのだろう?

「そりゃそうですよ。時のない国ですよ。もう時間がないんですよ。急がないと!」

 その言葉を聞いてからは、時のない国滞在中ずっと時間に急かされユックリ休むことができなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

時のない国 楠樹 暖 @kusunokidan

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ