夏なんて大嫌いだ
一条 藍
第1話 いつもと同じ日
じりじりと照りつける日差しの中、誰もがその重圧に負けるかのように項垂れながら歩いている。可憐な足音を響かせ、フリルのついた日傘をくるくるとまわしながら歩く少女たった一人を除いては。
「今日は誰を不幸にしてやろうかしら。」
ご機嫌に呟く声に反応する人はいない。周囲の人たちは相変わらず下を向いてゆっくりとけだるげに歩いている。
「私は夏が好き!だって皆疲れた顔で歩いているの。見ていて滑稽!」
その独り言も蝉の声にかき消されて消えていく。どこに向かうという宛てがあるわけでもなく、暇つぶしのために街を歩く。これが少女の日常だった。
「昨日は感じの悪いカップルを破局させた。その前は嫌な態度のオバサンを大勢の前で転ばせてやった。その前は・・・なんだっけ。わすれっちゃった。」
自慢にならないようなことを自慢げに呟く。誰に話す訳でもなく。呟く声は生ぬるい空気に溶けていく。彼女は毎日嫌がらせをして過ごしているらしく、あまりにも楽しそうな顔をしているものだから僕はついつい声をかけてしまった。
「君、暑くないの?」
急に木陰のベンチで休憩をしている見知らぬ男から声をかけられたら、誰もが驚くし反応に困るだろう。声をかけてからそう気づいてやってしまったと思った。
「暑くないわ。だってこんな滑稽な光景を見ていたら元気になるもの。」
しかし彼女は違った。まるで知り合いかのように平然と答えを返した。しかも、ものすごく正直で予想もしないような答えが返ってきたから逆にこっちが困ってしまったくらいだ。
「そう・・・。」
「何よ。声をかけてきたのはあなたでしょう?」
「いや、ごめんなさい。あまりに正直だったから。」
「別にどうでもいいけれどね。それだけ?なら私はもう行くわ。」
「あ!えっと、いや・・・もう少しお話・・・しませんか?」
歩き始めようとする彼女を見てとっさに引き留めてしまった。なぜそうしたのかは未だに分からないが、そうしたいと思ったことは覚えている。
「いいわ。しょうがないからつきあってあげる。」
自分より年下であろうこの少女は堂々と答えた。そして日傘を畳み、ベンチに腰掛ける姿が何故か僕にはとても儚げに見えた。
「ありがとう。もしかしてどこかに行く途中だった?」
「ええ。これから誰かを不幸にしに行くところだったの。まあ宛てはないけれどもね。」
「不幸に・・・?」
「そうよ。何かおかしいかしら?私はずっとこうしてきたし、何より人が不幸になった時の顔を見るのが好きなのよ!」
おかしいというか、どこから聞けば良いのかと内心考えた。不謹慎だし、彼女は明らかに悪いことをしているはずなのになんだか怒れなかった。
「ははっ。変わった趣味だね。」
「変わってる?そんなことはないわよ。」
「何で?」
「人の不幸は蜜の味って言うじゃない。皆本当は好きなのよ。」
急に遠くを見つめるような表情で話し始る。
「僕は好きじゃない・・・って言いたいけど、もしかしたら自分もそういう所があるのかもしれないね。」
「好きなら好きって言えば良いのよ。堂々とすれば良いじゃない!」
また無邪気な笑顔で語る。
「君は堂々としすぎかなって思うけど・・・」
「こそこそしているのは好きじゃないの。」
「僕も好きじゃないな。ずっとって言ってたけど、いつからそうしているのか聞いて良い?」
「・・・気づいたときからずっとよ。これは私の仕事なの。」
「仕事・・・?」
仕事なんて大袈裟な事を言っていると思ったが、今思えばある意味本当にそうだったのかもしれない。
「そう。天職だと思わない??」
「そう・・・かもね。」
そんなことはしてはいけない。すぐに止めたほうがいい。そう言うべきだったのかもしれないが、何もなくただただ平凡に生きてきただけの僕にはそんなまともな事はいえなかった。
「ところで、あなたは私と話していて楽しいの?」
「楽しいよ。」
いきなりの質問だったが何の躊躇もなくその言葉が出た。
「そう。なら良かったわ。昔、話がつまらないって言われた気がするの。うーん誰かに・・・誰だったかしら?」
「へえ。だったらその人は相当笑いのセンスがある人とじゃなきゃ話せないね。」
「そうね!」
今さっき知り合ったとは思えないくらいに自然と会話が進んだ。
「普段からこんなに誰にでも声をかけているの?」
「いやいや。まさかそんなことして無いって。」
「そう。私に声をかけるなんて相当暇人なのね。」
「はは・・・あ!暇じゃ無いよ!用事があったんだ!」
僕はそう言われてやっと用事があったことに気づいた。頼まれた買い物に行く途中で、あまりの暑さにちょっと休憩していくだけのはずだった。
「変な人ね。それじゃあ私もう行くわ。」
慌てる僕を横目にさっと立ち上がり、傘を開いて歩き始める。その後ろ姿を見ていると自然と口走っていた。
「また!またお話ししましょう!!」
彼女は白いワンピースの裾をふわりと揺らして振り返り、こくりと頷くとそのまま軽い足取りで歩いて行ってしまった。
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