馬鹿と煙は屋上にのぼる

田辺屋敷

第1話.開幕

 とある校舎の屋上に、二つの人影があった。高校一年生の男子生徒と女子生徒。

「ははは。皆様方、よくもまあ頑張るもんですなあ」

 立ち入り禁止の屋上で、藤崎ふじさきケイが言った。彼が見据える先には、学園祭に向けて作業を進める生徒達の姿があったのだ。

「とは言え、それは普通科だけの光景か。進学科は今も教室でお勉強みたいっすなあ」

「そりゃあ私達みたいな普通科と違って、将来をちゃんと見据えてるからね」

 ケイの隣で佇む三木みつきスミレが、無関心そうに言った。

 彼女の髪型は、前髪を片側に流してヘアピンで留めたもの。それは昔、友人に「その髪が一番似合ってるよ」と言われたからで、以降、彼女は髪型を変えていない。たしかに人受けの良い容姿には、今の髪型が似合っている。ただひとつ苦言を呈するならば、彼女は外見と違って内面はなかなかにきつい。他人の短所や非を堂々と指摘する真っ直ぐなところがあるのだ。

 ケイはスミレの返答を聞くや、すこし納得した様子で頷く。

「そうか。将来のことを考えてるんだな、あいつら。……立派だ」

「ケイ、あんたは将来のこと考えてないの?」

「将来、将来ねえ……。スミレはさ、将来なりたい職業とかあるのか?」

 気のない会話。

 しかし問われると、スミレは呆然と遠くの地平線を見据えた。

 真剣な会話になるほど、彼女は人と目を合わせない癖がある。「声を聞くのは耳、声を出すのは口。ならば目を合わせることに神経を向けるべきではない」というのが彼女特有の思想。そしてそのことから、今のスミレが真剣になっていることが窺えた。

「昔はお花屋さんになりたい、とか脳天気に言ってたかなあ」

「ははは、純粋だねえ」

「しょうがないでしょ。あの子が――ヒロが向いてるって言ったんだから」

「ああ、言ってたねえ、あいつ……」

「ま、今となっては花屋はないかなって思うけど……」

 とそこで、屋上のドアが開き、二人は慌てた様子で目を向けた。

 立ち入り禁止の屋上。もしや、教師が咎めに来たのではと警戒したのだ。

 しかし開いたドアから現れたのは、一人の男子生徒――浅見あさみキイチ。がたいは良く、髪は短い。そして責任感が滲み出たような顔つきをしている。

「ん、やっぱりここにいたのか」

 キイチはケイとスミレを視認すると、呆れたように息を吐いた。

「馬鹿と煙は高い所に~とはよく言うが、お前らもそのうちか?」

「きみは失礼だね、キイチくん。俺のどこが馬鹿だと言うんだい?」

 ケイがとぼけた調子で言い返すと、キイチは語るに及ばずと冷笑。それを受けて、ケイはちらりと進学科の教室を一瞥する。

「それはそうと、なんで進学科のキイチくんがここにいるのかな? 進学科は普通科と違って授業の最中みたいだけど?」

「ただのサボりだよ」

「なるほど。だから屋上にねえ。まさに馬鹿と煙だ」

「普通科がよく言う。まあ、冗談はそれくらいにして……本当にやる気なのか、ケイ」

 腑抜けた空気を引き締める厳かな声を発し、キイチが歩み寄ってくる。

「当たり前だ。俺はやると決めたんだ」

 それに毅然として答え、ケイは二人に背を向けた。

 街が見える。哀愁の暁に染まる街並み。

 この街で皆は出会い、そして永遠の別れを経験した。

 芳野よしのヒロ。

 彼女は自宅で首を吊って死んだ。それは自殺として処理され、ケイ自身も自殺だと思っていた。受け入れがたいが、そう考えることが現実的だったのだ。

 しかし。

 先日の出来事を以てケイは考えを改めた。

 ヒロは自殺したんじゃない。殺されたのだ、と。

「決めたんだ。ヒロを殺した犯人を見つけ出し……」

 ケイは目を細めた。何処かにいる、初恋の人を殺した犯人を見咎めるように。

 そして告げる。

「……殺してやると」

 これは復讐なのだと、怨嗟を込めた声は、ケイの喉から地を這うように発せられた。

 そんな日の風は、屋上から一階の窓までをも隠すほどに長い垂れ幕をゆらゆらと靡かせていたのだった。


          ◆


 時は唐突に飛ぶ。

 物語の決着がついた翌日のことである。

 夕暮れ。

 水瀬みなせミカは書店へと入り、漫然と店内を回ることにした。

 来店にこれと言った目的はない。あえて目的を挙げるならば、趣味が読書だからだろうか。事実、彼女は自室の本棚に所狭しと小説を並べている。

 そしてそんな趣味だからと、学校の休み時間を読書に費やしていた。でも、実際は趣味だから読んでいたのではなく、誰かと会話をすることが苦手で、読書に逃げていただけ。言い訳に趣味を使うあたり、自分はどうしようもないとミカは自責してしまう。

 ふと一冊の本に目が留まり、指を伸した。

 それは調理学校の先生が執筆した料理本。これでも読めば、彼――藤崎ケイの料理の腕は向上するだろうか。しかしこんな本を渡すのは失礼に値する気がして、とても渡せる気がしない。

 しばらく黙考したのち、ミカは苦笑一つで料理本を棚に戻した。代わりに適当な文庫小説を購入し、書店を出る。そして待ち合わせの場所へ。表通りをしばらく進むと、そのファミリーレストランは姿を現す。腕時計は待ち合わせの二〇分前を指していた。すこし早く来てしまったかと思いながら店内へ。客入りは六割程度。見た様子、食事ではなく休憩に立ち寄ったであろう客層がほとんど。雑談するそのテーブルにはカップだけが置かれていた。ミカはウェイトレスに案内されるがままボックス席へ腰を下ろすと、ホットコーヒーを注文して先ほど購入した小説を読み始めた。

 最近、読書に集中できない日々が続いていた。それは読書を言い訳に使っていた心苦しさから来ていたように思える。その証拠に“今回の一件”以降は読書に対する集中力が戻ってきたように感じられるのだ。

 そんな店内では客の話し声と、本を捲る音だけが静かに流れた。

 時が進み、一〇数分が経過。

 ミカの向かいに腰を下ろす二人組みがいた。浅見キイチと三木スミレである。二人は席に着くと、ひとまずウェイトレスを呼び、揃って飲み物を注文。それから読書に夢中なミカの名を呼んだ。しかしミカは反応しない。それだけ読書に集中しているのだ。なのでスミレはミカの本を取り上げた。

「ちょっとミカ、聞いてる?」

「え、あ、二人ともいつの間に……」

「今さっきよ」

 スミレが呆れた調子で言うと、それに同調してキイチが頷いた。

 ミカはそんな二人の姿を交互に見やって、はてと小首を傾げる。

「あの、ケイくんは?」

 藤崎ケイ。その名が出た途端、ミカの向かいに座る二人は揃って目を伏せた。

「ケイは……。ケイは、捕まったよ」

「そう、なんだ……」

 スミレの答えに、ミカも目を伏せる。

「私のせいだよね。私が、なにも知らないのに勝手なことをして……。だからケイくんは捕まっちゃって……。私のせいだよね」

「ううん、ミカのせいじゃない。ケイが捕まったのは、ケイがいけないことをしてたからだよ。だから気にすることない」

「でも……」

「自分を責めなくていいって。それよりも巻き込んじゃってごめんね、ミカ」

「ううん、私が勝手に関わっていったことだから」

「でも……」

 スミレは声を詰まらせた。その横でキイチがため息をつく。

「気遣いも押しつけると迷惑になるぞ」

「わかってるわよ! でも……」

「もう終わったことだ。現実として受け止めようぜ。な?」

「受け止めるって言われても……。キイチはどうとも思ってないわけ? 私は、こんな結末は嫌だ。だって、救いがなさ過ぎる」

「嫌だってお前……。ミカ、お前からも言ってやれ」

「私?」

 話を振られると思っておらず、ミカは言葉が出なかった。そして、そんな二人の視線から逃れるように窓から空を見上げる。

 今回、皆が巻き込まれた事件。それは救いのない物語。

 友人が人に殺され、友人が人を殺した。

 あのような結末を変えられるのならば、今からでも変えたいと思う。

 だが、もはや過ぎ去ったこと。後戻りなど出来ないのだ。

 ミカは側の窓から夕空を見上げ、此度の事件を思い返すことにした。


 そして時は、物語の始まる前――ミカが皆と出会う前にまで遡る。

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