第七話 決戦への船出

 覇夜斗はやとは予定より早く筑紫島つくしのしま入りしていた。

 当初、出雲国まで一旦戻り、合流するはずであった出雲配下の連合軍が、既に筑紫島へ渡っているとの連絡を受け、彼も直接現地へ赴くことになったのだ。

 それは国に残してきた妹夕月ゆづきが、時間を優先して手配させたことだった。


「気を利かせ過ぎだぞ」


 夕月の機転に感心しながらも、愛しい妹との再会が次回に持ち越され、覇夜斗は苦笑した。

 連合軍と合流を果たした覇夜斗達が、狗奴国くなこくを目指して筑紫島を南下して行くと、どこへ行ってもある噂で持ち切りだった。


「邪馬台国の女王が、狗奴国王の手に落ちたらしいぞ」


 その噂を聞いて覇夜斗は耳を疑った。

 倭国を束ねる邪馬台国の女王が狗奴国王の妃になれば、倭国は事実上、狗奴国の属国となるに等しい。

 倭国の連合軍が狗奴国を倒し、自分達を独立に導くと期待していた筑紫島内の倭人の間には、一時絶望感が広がった。

 しかし、その噂にはまだ続きがあった。


「そのことに怒った月の神が、この世を暗黒に包むそうだ。だがその闇が晴れた時、新しい時代が始まるとか」


 伊予之二名島いよのふたなのしま(四国)同様、海に囲まれ、月を神と崇める海人族あまぞくが多く住む筑紫島において、月の神の怒りを買うという話は恐怖を持って受け止められ、瞬く間に噂が広がったようだった。

 月の神と聞いて、覇夜斗にはこの噂が月読つくよみと無関係であるとは思えなかった。

 しかし、これらの噂が何を意味しているのかは彼にもわからなかった。

 ただ、とんでもない何かが起ころうとしていることは肌で感じていた。

 できるものなら伊予国に戻り、事実を確認したいとやきもきしている彼のもとへ、月読からの使者がやって来た。

 使者は皇子からの要請として、覇夜斗に密かに熊襲国くまそのくにに赴き、その地を占拠している狗奴国軍を陥落するため、爾岐にぎが率いる倭国の傭兵と合流し、指揮して欲しいと伝えた。

 覇夜斗にもそれが、狗奴国へ対する筑紫島内諸国の不満を爆発させる火種にしようとしていることは推測できた。


「どうやら奴は、意識を取り戻したらしいな」


 その計画を聞いて男鹿おがの策略であると確信した覇夜斗は、ほっと胸を撫で下ろした。

 しかし、それと入れ替わるように、もうひとつの不安が彼の心を占めた。


「女王が狗奴国の手に落ちたというのは、真実なのか?」


 問いかける覇夜斗に、使者は神妙な顔つきでうなずいた。


「新月を迎える日に合わせて、狗奴国王のもとへ身柄を送られます。……ただし……」


 そう言って、使者はにやりと笑って見せた後、今回の戦に向けての計画を彼に語って聞かせた。

 その内容に、覇夜斗は途中何度も目を見開き、声を上げそうになった。

 すべてを聞き終えた覇夜斗は、しばらく言葉を失い、落ち着き無くあごに触れていた。


「……では、あの噂も意図的に広めたというわけか……」


 驚きと興奮の中、ようやく言葉を発した覇夜斗は、ため息混じりに笑った。


「面白い。さすが月の神。とうとう月をも動かすか」






 伊予国の港では、武装する兵達が無数の船に乗り込んでゆく様が見られた。

 この日、倭国の兵を乗せた船団が、狗奴国を目指して出陣することになっていたのだ。

 大小の居並ぶ船には、それぞれ兵士と共に武器や食料等が次々と運び込まれ、誘導する男達の声があちこちで響き渡っていた。

 そんな騒然とする港を、壹与いよと男鹿は砦の回廊から見下ろしていた。


「いい知らせを待ってるわ」


 潤んだ瞳で男鹿を見上げ、壹与は無理に笑って見せた。

 男鹿の胸の傷はまだ完全には塞がっていなかった。

 それでも狗奴国まで船団を率いて行くことを志願した彼を、止める術などないことを彼女は知っていた。

 不安な心を押し殺し、精一杯の作り笑いを見せる少女を、男鹿は心から愛しいと思った。

 そんな壹与を見つめる男鹿の脳裏に、一瞬たけるの存在がちらついた。

 次の瞬間、彼は衝動的に彼女を引き寄せると、少し強引に口付けていた。

 思いがけない男鹿の行動に驚いた壹与は、腰から力が抜けたようにその場に座り込んだ。


「たとえどのような立場であっても、あなた様を愛しています。この先何があっても、この想いだけは変わりませぬ」


 壹与の前にひざまずき、男鹿は真剣なまなざしを向けてそう言った。

 それは彼女がずっと望んでいた言葉だった。

 壹与は涙をこぼし、無言のまま何度も何度もうなずいた。




 砦から降りて来た男鹿の前に、腕を組んだ建が立ち塞がった。


「見せつけてくれるではないか」


 驚いた顔をする男鹿に、建は砦の回廊をあごで指した。


「見ろ。ここから丸見えだ」


 見上げると、たちばなに支えられながら立ち上がる壹与の姿が見えた。

 壹与を奪われたくないという焦燥感に突き動かされた己の行動を思い返し、男鹿は顔を赤らめた。

 同時に、建に対して抜け駆けしたような後ろめたさを感じ、彼から目を逸らした。

 そんな男鹿を見つめ、建は口を尖らせて耳元を掻いた。


「気持ちでは分が悪そうだが、身分では私が有利だ。戦が終わったら、次はお前との勝負だな」


 そう言う建を、男鹿はふと真剣な表情で見つめた。


「そのためにも生きて帰って来いよ。お前の方が危険な場所に行くのだから」


 男鹿の言葉に、建は顔をしかめて吐き捨てるように言った。


「馬鹿か。私はお前を殺そうとしたのだぞ」


「だが結局、お前は私を殺さなかった。今は狗奴国が差し向けた男が、お前で良かったと思っている」


 無邪気に笑ってそう言う男鹿に、建は顔を赤くして背を向けた。


「お前という奴は訳がわからん。利口なのか馬鹿なのか」


 首を左右に振り、ぶつぶつとつぶやく建の背中を、男鹿は微笑みながら見ていた。

 その時突然、周囲がざわめき始め、振り返ると、巫女の衣装をまとった女王が近付いて来るのが見えた。

 長い髪と大きな袖を風になびかせ、黒く澄んだ瞳は、迷い無く前方を見据えていた。

 その圧倒的な美しさと存在感に、人々は女王の歩む先の道を空け、その場にひざまずいていった。

 先ほどまでの喧騒が嘘のように、一気に港は緊張感のある静けさに包まれた。


「建、お前の国の民を守るためにも、しっかり役目を果たしてくれ」


 立ち止まり発せられた女王の言葉に、一瞬呆けたように立ち尽くしていた建は、慌ててその場にひれ伏した。


「月読様、お気をつけて」


「ああ」


 男鹿の呼びかけに、巫女の姿をした月読が小さく笑って答えた。

 今回彼は、男鹿の計画により、建に捕えられた女王として、狗奴国王に近付くことになっていたのだ。

 約二年振りに巫女の衣装に身を包んだ月読は、以前にも増して妖艶に見えた。

 少女と見紛う美しさを見せていた昔と違い、今の彼には性別を超えた神秘的な美しさが感じられた。





「本当にあれは人なのか?」


 彼らの前を通り過ぎ、牛利ぎゅうりと言葉を交わす月読の姿を、建は目を皿のようにして見つめてつぶやいた。


「いや、あの方は月の神だ。今回の戦いで、それが絶対的なものとなるはずだ」


 男鹿はそう言って建に向き直ると、目に力を込めて彼を見つめた。


「何があっても、あの方をお護りしてくれ。そうでなければ、お前の国だけでなく、倭国がすべて闇に沈むぞ」


 建は月読の姿に目を奪われたまま、微かに唇を震わせながらうなずいた。


「お前の母上のことだが……」


 出航の用意をするため、月読を追う建に男鹿が声をかけた。

 その声に立ち止まった建は、意外そうな顔をした。

 男鹿にとっては皇子の命を守るための策を考えることが最優先であり、見ず知らずの自分の母親のことまで考える余裕など、残されていないと思っていたのだ。


「狗奴国王が女王の顔を見てすぐ、褒美として母上の返還を要望しろ。おそらく、王は母上を返すはずだ。ただし、その時、何を見ても、何を言われても、じっと耐えろ」


「何を言われるというのだ」


 建の問いに、一瞬男鹿は口をつぐんだ。


「……母上が連れ去られてから、面会したことはあるか」


 少し考えて、男鹿は建に逆に問いかけた。すると建は寂しそうに首を振った。


「いや。狗奴国王は、これまで一度も母に会わせてはくれぬ」


 男鹿は再び口をつぐみ、言葉を探した。


「とにかく、何があってもじっと耐えるんだ。母上を手元に戻し、月読様が行動を起こされるまでは。わかったな」


 真剣な顔つきで繰り返す男鹿に、建は腑に落ちない様子ながら渋々うなずいた。





「まさかまた、この姿になる日が来るとはな」


 苦笑してそう言う月読に、牛利も笑顔を見せた。

 二人は港に停泊された大小の船に目を配りながら、ゆっくりと埠頭を歩いていた。


難升米なしめの屋敷での戦い以来ですね。随分昔のことのような気がします」


 牛利は冬の空を見上げ、この二年あまりを振り返るかのように遠い目をした。


「ここまで来られたのも、お前がいつもそばにいてくれたおかげだ。お前には心から感謝している」


「まだ戦は終わっていませんよ」


 月読が感謝の言葉を口にすると、大男は照れ隠しにそう言って笑った。


「最後までお前には、一番危険な場所へ付き合わせるな」


 月読達は、男鹿の率いる船団とは別に、建が乗って来た小さな漁船で敵地へ向かうことになっていた。

 建に連れ去られた女王を偽り、敵を油断させるためには、多くの兵を連れて狗奴国王に近付くことはできない。

 熊襲兵を装った味方の兵も用意したが、それも怪しまれぬよう、少数精鋭とした。

 少ない兵で敵の宮殿に乗り込み、最大の結果を生み出すためには、今回も牛利の腕に頼るしかなかったのだ。

 この男がこれまで、望んで戦場に赴いてきたのではないことを知る月読は、そのことを心苦しく感じていたのだった。


「あなた様のそばで戦えるなら、私は本望です」


 牛利は軽く笑って、腰の剣の柄を握る手に力を込めた。


「……その剣……」


 月読は彼の腰に挿された、見覚えのある剣に目をとめた。

 木目の美しい特徴的な鞘に納められた剣は、橘のものだった。


「お前も、守るべき者ができたようだな」


 皇子の言葉に、牛利は顔を赤らめて頭を掻いた。


あいつは大人しく、男に守られているような女ではありませぬ。むしろ、私のほうがいつも支えられています」


「そうか」


 月読はそう言って微笑むと、まだ見ぬ狗奴国を臨むように、果てしなく広がる海原を見つめた。


「必ず再び、この地に戻って来よう」


 月読の隣に並び、牛利も海を見つめて大きくうなずいた。

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