第六話 出雲の巫女

 河内国から出発した月読つくよみ達は、明石国と同盟の誓いを交わしたのち、南海道みなみのわたつみち(瀬戸内海航路)にある大国、吉備国で船を停泊させた。

 この国は、北海道きたのわたつみち(日本海航路)にある大国、出雲国と背を合わせるように位置し、北からの物資を航路で運ぶ要所として栄えていた。

 海辺に向かって緩やかに傾斜した街並が特徴的で、港から沖に目をやれば島影が重なり合う美しい景観が臨めた。

 邪馬台国に忠誠を誓うこの国でも、月読達は歓迎され、港で出向かえた王の使者によって宮殿まで丁重に案内された。

 その道すがら、畑を耕す民の手元に目をやると、邪馬台では一般的であった木製ではなく、鉄製のくわすきが握られていた。

 そのことからも、隣接する出雲国の鉄器生産の盛んな様子がうかがえた。




「あの国の王は、なかなか曲者くせものですぞ」


 吉備国の王は、そう言って口元を歪ませながらあごを撫でた。

 狗奴国くなこくとの戦いに際し、長年来の同盟国である吉備国の王は協力を快諾してくれた。

 しかし、このあと月読達が出雲国へ陸路で向かうつもりであると伝えると、急に苦々しそうな表情を滲ませたのだった。


「あの国は、渡来人に魂を売り渡しておりますのでな」


 海を隔てて朝鮮半島に近い出雲国には、魏や新羅しらぎなどからの渡来人が多く訪れていることは広く知られていた。

 そして、出雲がそのような渡来人が持ち込んだ技術によって鉄器を生産し、周辺国に売ることで利益を得ているということも。

 だからこそ月読は、鉄の材料であるはがねの有利な買い付けを取り付けることを、河内国王と約束して来たのである。

 また月読には、狗奴国との戦いに向けて、北海道沿岸の国々を配下におく出雲国と同盟関係を結びたいという目的もあった。

 それが叶えば、これまでにない大きな兵力を得ることができるのだ。

 しかし、そのことを口にすると、吉備国の王は一層口を歪ませてうなり声を上げた。


「これまでも我々は幾度か邪馬台国と共に狗奴国と戦ってまいりましたが、出雲国が参戦したことは一度もありませぬ。あの国はいつも遠くから傍観し、我々と狗奴国の両国に鉄製の武器を売りつけては潤ってきたのです。五年ほど前に若い王に代が替わりましたが、その姿勢は変わっておりませぬ」


 元来出雲国では鉄の原料を輸入に頼っていたが、国内で良質の砂鉄が採取できることがわかってからは、鉄の原料となる鋼まで生産し始めた。

 そのため、鋼の生成技術を持つ渡来人を以前にも増して大量に呼び寄せているのだという。


「それでいて、あの国の王家は邪馬台国の王家をも凌ぐ血統の長さを誇り、自分達こそが神の末裔であると主張しております。そんな王家の血をひく巫女の呪術と、製鉄が生み出す金によって、北海道沿岸の諸国を掌握しておるのです」


 吉備国王は、出雲国を憎々しく思う反面、鉄製品を港から流通させることで交易の利を得、自国自身もそれら鉄器を重宝している現状に、複雑な感情を抱いているようだった。




 吉備国を出発した月読達の一行は、川沿いの道を北上して出雲国を目指した。

 途中、山あいにある盆地の町で体を休め、連なる尾根をいくつも超えて行くと、川沿いのあちこちで立ち昇る煙が見られるようになってきた。

 また、木々が軒並み伐採され、山肌がむき出しになった箇所が、処々目につくようにもなってきた。


「あの煙は、砂鉄を溶かす炉から立ち昇るものです。鋼を作るには、炉に焼べる炭が大量に必要なため、あのように木々が次々と切り倒されているのです」


 不思議そうに煙や山に目をやる月読に、吉備国王が道案内として付けてくれた男がそう説明した。

 その後も、出雲国の中心地に向かい下流に進んで行くと、今度は次第に川の水が赤く染まってきた。

 案内人によると、砂鉄を取り出すためには大量の水を必要とするため、製鉄所は川のそばに作られ、そこから流れ出る砂鉄の錆によって川が赤く染まるのだという。

 やがて町に入り行き交う人々が増えてくるにつれ、倭人に混じって異国の髪型をし、見慣れない衣をまとった渡来人の姿が目立ち始めた。

 町を歩くだけで、様々な言葉が飛び交う様子に、一行はこの国の異質さを徐々に実感していった。

 前方に町中の風景に不自然に存在するうっそうとした森が見えてきた頃、使者が月読達を出迎え、王のもとへと導いた。




 使者に連れられ小道を進んで行くと、森の奥にひっそりと王の住む宮殿があった。

 静寂が包み、昼間でも薄暗い森の中には神聖な空気が漂っていた。

 町中の異国文化が入り交じるにぎやかな様子とは別世界のように、倭国古来の自然界の神々が其処其処で息をひそめているような緊張感がそこにはあった。


(不思議な国だな)


 月読は、木々の枝葉が覆う空を見上げながら、ひととき血なまぐさい現実を忘れ、心が洗われるような気がした。




 謁見の間で向き合った出雲国王は、月読とさほど年が変わらないように見受けられる青年王だった。

 その姿を見て月読は親近感を持ったが、その思いはあっという間に覆された。


「随分きれいな皇子様だな」


 月読の顔を見るなり、出雲国王は鼻で笑った。

 神事を司る者のような白い衣装を身に着け、長い髪を垂らした王は、その身なりに相反して不躾な口調で続けた。


「さぞかしここまで、各国の媛君を泣かせてこられたことであろうな」


 それは、同盟国と血縁関係を結びながら旅して来た月読を、非難しての言葉に違いなかった。

 月読は感情を押し殺し、静かに座ったまま若い王を見据えて単刀直入に用件を述べた。


「狗奴国との戦いにあたって、協力を願いたい」


 突然、月読の目前に磨き抜かれた鉄剣の刃が迫った。

 出雲国王が腰の剣を抜き、いきなり差し向けたのだ。

 あるじの傍らに控えていた牛利ぎゅうりが咄嗟に柄に手をかけて立ち上がりかけたが、月読は目線を王に向けたまま後ろ手でそれを制した。

 そんな様子を見て、王は再び鼻で笑った。


「ふん。見た目より性根は座っているようだな」


 王は月読を見下ろしながら剣を鞘に納め、もとの座に戻り腰を降ろした。

 それを見て牛利も座り直し、剣から手を離した。


「女王を偽っていたというからどのような容姿かと思えば、なるほどこれなら誰もが騙されような」


 月読の後ろで、牛利が歯ぎしりをするのが聞こえた。


「協力願えるか?」


 月読は努めて冷静に再度尋ねた。

 王は顔を月読から逸らし、片手で頬杖をつくと無表情に答えた。


「断る。我が国は邪馬台国の翼下に入るつもりはない」





「確かに曲者でしたな」


 謁見の間を後にすると、牛利は回廊を歩きながら苦々し気に拳を固めて言った。


「月読様へのあのような無礼な振る舞い、許せませぬ。なぜ、咎められなかったのです?」


 珍しく興奮気味な牛利を横目に、月読は思わず苦笑した。


「ひとまず、しばらく滞在することは認めてくれたのだ。時間をかけて説得することにするよ」


 出雲国王は戦いへの協力は断ったが、河内王との約束である鋼の調達については交渉に応じるとし、当面月読達には寝所が用意されることになったのだ。

 月読は与えられた時間の中で、わかり合えるまで何度でも王に訴えかけるつもりでいた。

 怒りが覚めやらぬ様子の牛利を背後に感じながら、月読が回廊を歩いていると、前方にある部屋の入り口から懐かしい香りが漂ってきた。


(香木……?)


 その香りに引き寄せられるように、月読は部屋の戸口に近付き、室内に目を向けた。


「巫女か……」


 そこは祈祷の間のようだった。

 室内には、一人の巫女が祭壇に向かって一心に祈りを捧げている姿があった。

 月読の嗅覚を刺激した香りは、嗅ぎなれた祈祷で神に捧げる香木の香りだったのだ。

 祈りを捧げる巫女の後姿を見ていると、審神者さにわとして卑弥呼や壹与いよのそばで過ごした日々が思い出され、懐かしさで月読はその場に立ち尽くしてしまった。


「どなた?」


 不意に声をかけられ、月読は我にかえった。

 祈りを終えた巫女が人の気配に気付き、彼を見つめていたのだ。

 祭壇を背に立つ巫女は、落ち着いた雰囲気の大人の女だった。

 その美しさに月読は一瞬で心を奪われた。

 巫女の方も、突然現れた美しい青年から目が離せなくなっていた。

 傍らで二人の様子を見ていた牛利は、絡み合う二人の視線に、これから始まる未来へ胸騒ぎを覚えていた。





「我が国は神を捨てるつもりはない。ゆえに、そなたが目指す朝廷には賛同しかねる」


 翌日、再度謁見の間で協力を要請する月読に、出雲国王はきっぱりと言った。


「神を捨てろとは言っておらぬ。信仰とまつりごとを切り離せぬかと申しておるのだ」


 月読も一歩も引かなかった。

 昨日見かけたこの国の巫女の顔が浮かび、彼女を重責から解放してやりたいと思うと、言葉に一層力が入った。


「ここは邪馬台とは違うのだ。信仰がなければ、渡来人にこの地を奪われる恐れがある」


「……?」


 王は唇を噛み締めて間をおくと、眉間に皺を寄せて言葉を続けた。


「ここは半島に近い。物も人も無限に流れ込んで来る。我々はそれを逆手に取り、渡来人の製鉄技術を発展させ、彼らと共存することで繁栄して来たのだ。しかし、信仰心だけは我々だけのものなのだ。それを失くせば、この地はやまとの一部でなくなるかもしれぬ」


 月読は、王の言葉に彼の本心を垣間見た気がした。

 彼は彼なりに、自分の国を護ろうと必死なのだ。

 渡来人が多く行き来し定住するこの国にとって、信仰による政が倭国の一国であるという最後の証なのかもしれない。

 しかしそれを理解した上であっても、月読はもう国のために身を滅ぼす巫女の姿を見たくなかった。


「私の姉である卑弥呼は国の責任を一身に背負い、巫女であることを貫き、無惨な死を遂げた。あの巫女にはそのような悲劇を背負わせたくない」


「あの巫女……? まさか夕月ゆづきと会ったのか?」


 出雲国王の顔色が変わり、大きな手が月読の肩を強く押した。

 そして、仰向けに倒れた月読に股がると、腰の剣を抜き取り、その首筋に刃を当てた。

 垂れ下がる長い髪の隙間からのぞく殺気を帯びた視線が、月読を睨みつけていた。


「貴様には、絶対に夕月はやらぬ」


 並々ならぬ気迫にも、月読は若い王に冷静な目線を向けていた。


「各地で妻を娶り、いつ訪れるかもわからぬような男に妹はやらぬ。不幸になるだけだ」


 王の言葉に、月読は一瞬眉をひそめた。


「王! 何を!」


 二人の様子を心配して見に来た牛利が、月読に覆い被さり刃を突きつける王の姿を目にし、慌てて室内に駆け込みながら叫んだ。

 王は舌打ちをして立ち上がり、剣を鞘に納めると、月読に背を向けた。


「鋼の手配はなんとかする。そのかわり、一刻も早くこの地を去ってくれ」





「あの王は、なぜあれほどまでに、あなた様を敵視されるのでしょうな」


 謁見の間を後にし、月読と牛利は回廊を歩いていた。

 一度ならず二度までも、月読に刃を向けた出雲国王に、牛利の怒りはなかなか覚めやらぬ様子だった。


「私が諸国の媛と婚姻関係を結んでいるのが気に食わぬらしい」


「それは、国固めのために必要なこと。非難されるいわれはありませぬ。それに、あなた様はどのお方も大切にしておられます。お気になさいますな」


 河内国の言葉媛以降、月読はここまでに明石国と吉備国のそれぞれでも妻を得てきていた。

 最初は宇多子への未練もあり、新たに妻を得ることに抵抗を感じていたが、狗奴国との決戦に向け、同盟国との結束を固め、王家を存続させるためと割り切ることにしたのだ。

 その上で、本人の意思に関係なく、自分の妻になることを強いられた女達を彼なりに愛し、誠意を尽くそうと努めてきたつもりであった。

 それだけに、先ほど出雲国王が彼に言い放った言葉は、心に深く突き刺さっていた。


「私の妻になる者は、不幸になると言われたよ」


 月読は苦笑して回廊の欄干に肘をかけた。

 夕暮れの風は、ざわざわと深い森に音を立てさせていた。


「王の妹である巫女を、私が奪いに来たように思われているようだ」


「巫女……」


 牛利は、はっとして、昨日この回廊の先で遭遇した巫女のことを思い出した。

 あの時の見つめ合う二人の姿を思い浮かべると、王の懸念は単なる思い過ごしでは済まぬ気がした。


「しかし、王も彼なりのやり方でこの国を護ろうとしていることはわかった。国を背負った年の近い者同士、もう少し心を寄せ合いたいものだがな」


 そう言って牛利の方を向いた月読の目に、欄干に手をかけて立つ巫女の姿が映った。




「兄の母は、遥か北の国にあるやしろの宮司の娘でした。遠征の帰りに訪れた父である前王がたまたま見初め、滞在中、側女そばめにしました。しかし帰国後、王が彼女を訪ねることは二度となかったそうです」


 夕月は牛利に尋ねられ、出雲国王が月読を敵視する理由を語り始めた。


「兄を産んでからも、彼女はずっと父を慕い続け、泣き暮らしていたそうです。しかし五年前父が亡くなり、正室に男の御子がいなかったため、兄が跡継ぎとしてここへ強引に連れてこられたのです。そして兄の母は、王を亡くし、息子を奪われた悲しみから、海へ身を投げて自ら命を絶ったと……」


「それで……」


 月読は沈痛な面持ちで額に手を当ててうつむいた。

 王の旅先の側女となった母の境遇から、自分の妻になる者が不幸になると言った彼の心情がわかるような気がした。


「兄はここへ連れてこられるまで、社の宮司となるべく修行を続けておりました。そのため、人一倍深い信仰心を持っております。それだけに、あなた様がおっしゃるような神託に頼らぬ政は受け入れがたいのでしょう」


 月読は、王の白い装束と垂らした髪を思い出した。

 王としては異様なあの姿は、神事を司る者のものであったのだ。


「あなたはどうなのです? 巫女としてこの国を背負う重圧から、解放されたいとは思いませぬか?」


 月読の問いかけに夕月は言葉を失った。

 熱を帯びた月読の視線に、彼女は戸惑いの表情を見せて目を逸らした。

 そしてしばらくして暗くなった空を見上げると、悲し気に小さくつぶやいた。


「私は巫女として、王である兄を支えるだけです。それ以外の生き方は考えられませぬ」





 その夜、月読の寝所を牛利が訪れ、二人は酒を酌み交わして語り合っていた。


「明日、もう一度王に話してみる。彼女のためにも」


 真剣な面持ちでそう言い、月読は酒を口に含んだ。

 牛利はそんな月読の表情をまじまじと見つめ、心の疑念をぶつけてみることにした。


「……月読様は、夕月様のことを……?」


 月読は、盃を持つ手を止めて、しばらく黙り込んだ。

 そして、視線を床に向けると、静かに盃を置いた。


「……ああ。こんな気持ちは初めてだ」


 そうつぶやいた月読は顔を赤くしてあごをさすり、再び言葉を失った。


「夕月様も、あなた様に惹かれているご様子でしたね」


 月読に見つめられ、戸惑いながら目を逸らした夕月の顔を思い出し、牛利は表情を緩めた。

 しかし、月読は目を閉じてうつむき、小さく首を振りながら苦笑した。


「いや……。あの方が愛されているのは、この国の王だよ」


「え……。しかし、あの方々は兄妹では……?」


 牛利は驚いて、手にしていた盃を膝に置いた。


「腹違いなら夫婦にもなれるさ。巫女でさえなければ」


 月読はうつむいて目を伏せ、こめかみに手を添えた。

 牛利は彼のこんな切な気な表情を見たことがなかった。

 これまで政のために女達を受け入れる立場であった月読が、初めて味わった自分から求める気持ちであったのだろう。

 しかし、その想い人の心は、既に他の男のものであったということなのか。


「しかし、なぜそれを?」


 牛利は昨日からの夕月との会話や表情を思い起こしてみたが、どの場面をとってみても、彼女が兄王を愛しているという素振りは感じられなかった。


「私が何年、巫女と向き合ってきたと思う? 祈る姿で彼女に神の声が聞こえているかどうかくらいわかる。あの方には神の声が聞こえていない」


 昨日、初めて祈祷の間で祈る夕月の姿を見て、月読は既に彼女には神託が聞こえないことに気付いていたのだ。

 つまりそれは、神以外に心を占める者があるということなのだ。


「そして王も同じ気持ちだ。だからこそ、あのように私を敵視したのであろう」

 そう言って月読は再び盃を持ち上げると、一気に喉に流し込んだ。





「まったく、しつこい男だな」


 出雲国王は頬杖をつきながら、面倒臭そうに月読の顔を見た。


「河内国へは鋼を優先的に売ってやる。ただし、要望があれば、たとえそれが狗奴国であっても鋼や鉄器を売る。こちらも商売なのだ」


 そう言いながら、王はまっすぐ彼を見据える月読から目を逸らした。

 さすがに昨日、邪馬台国の皇子に対して、あまりに乱暴な振る舞いをしたことを少し自戒しているようだった。


「神の声が聞こえない夕月殿を、一生巫女のままにさせておくつもりか」


 月読は、一層瞳に力を込めて王を見つめた。


「そなたも神事を司る者であれば、気付いていたであろう。あの方に神の声が聞こえていないことを。そして、あの方のお気持ちも」


 出雲国王は目を見開いて月読の顔を見つめた。


「あの方を巫女から解放して夫婦になれ。そなたが妻にしないのなら、私がもらう」


「……無茶苦茶な皇子様だな」


 明らかに狼狽した様子の出雲国王は、首の後ろを掻いてつぶやいた。

 そんな王に詰め寄りながら、月読は言葉を続けた。


「これまでも神託の聞けないあの方に代わって、そなたが政の判断をしてきたのであろう。朝廷になっても何ら変わらぬ」


「まだわからぬか。この国にはどこよりも神聖さが必要なのだ。渡来人が犯すことができぬ領域であると知らしめるような」


 二人の男は、次第に怒鳴り合うように言葉をぶつけ合っていた。

 一旦口を閉じて呼吸を整えた月読は、今度は落ち着いた声で語りかけるように言った。


「では、狗奴国を落とし、朝廷ができた暁には、この国を倭国の信仰の拠点としよう」


「……?」


「どこよりも巨大な社を作り、出雲の国を八百万の神が集まる聖地とするのだ。そなたはこの国の王としてその社を司ればよい。政の拠点が邪馬台、信仰の拠点が出雲。そうして互いに補い合って倭国を治めぬか」


 出雲国王には、月読の言うことがにわかには信じられなかった。

 拠点を二つも持てば、決裂して敵対する恐れもあるからだ。

 わざわざそんなことを提案する月読の真意がわからなかった。


「私も邪馬台に一日も早く巫女の重責から解放してやりたい少女がいる。彼女のためにも協力して欲しい」


 月読は両手をつき、額を床に擦り付けた。

 その姿から、出雲国王はこの皇子が自分を同等に扱おうとしていることを悟った。

 剣を突きつけられても一歩も譲らなかった男が、こうして最上級の礼をするということは、そういう意味であると理解したのだ。


「……わかった」


 しばらく黙って月読の姿を見つめていた出雲国王は、苦笑いを浮かべてそう言った。


きたる日に備えて、兵と武器を用意しておけばよいのだな」


 月読は頭を持ち上げて王の顔を見上げた。

 王も月読と膝を付き合わすようにひざまずき、微笑みながら皇子の目を力強く見つめていた。


「そのかわり天に届くほど高く、太い宮柱の社を建ててくれよ。海から来た渡来人達のまず目に入り、ここは神の国であると知らしめられるように」


 答えるかわりに、月読は王の目を見つめ、歯を見せて笑った。

 その顔を見て、王は初めて見せる穏やかな顔で言った。


「そなたになら、夕月を奪われても仕方がないと思えるな」


 出雲国王はため息をつくと、再びにやりと笑った。


「いや、だめだ。やはり、あいつは誰にも渡さぬ」






 数日後、月読達一行は船をとめている吉備国へと引き返して行った。

 当初あれほど険悪であった出雲国王と月読は、いつの間にか無二の親友のように語り合う様子が見られ、最後には固い握手を交わして別れを告げた。

 夕月には何があったのか詳しいことはわからなかったが、ここに連れてこられて以来、他人に心を許すことが無かった兄が、穏やかな表情で年の近い皇子と肩を並べている姿を見ると、嬉しいような、羨ましいような、不思議な気分になった。


「お美しい皇子様でしたね。思わず私、何度も見とれてしまいました」


 月読が去った後、回廊から木々の間に見え隠れする星空を見上げ、夕月は兄王に語りかけた。


「惜しいことをしたか? あの方は、お前に惚れておられたぞ」


 意地悪な兄の言葉に、夕月はうつむいて黙り込んだ。

 巫女であり、妹である自分の立場では言い出せなかったが、彼女には五年前、王が故郷から無理矢理連れてこられた頃から秘めた想いがあった。

 今回月読が訪れた際、国のため、妻として差し出されることも覚悟し、それでも兄の役に立てるのならと受け入れるつもりでいた。

 しかし、改めて兄の口からこのようなことを言われると、悲しみで胸が締め付けられる想いがした。


「いや、たとえ誰であっても、お前は渡さぬ」


 突然、そう言って背後から兄王は夕月を強く抱きしめた。

 思いがけない出来事に、夕月の心臓は大きく波打ち、体が小刻みに震え始めた。

 王は夕月の首筋の黒髪に顔をうずめ、優しくささやいた。


「狗奴国との戦いが終わり、あの方が巫女に頼らない国を造られたら、一緒になろう」


 夕月は黙ったまま何度もうなずいた。その目から、ぽろぽろと嬉し涙がこぼれ落ちた。


「だからその日のためにも、あの方を最高の兵と武器でお支えせねばならぬ」


 そう言って王は一層力強く、彼女を抱きしめた。

 夕月も兄の手に自分の手を添え力を込めた。

 そんな二人の足元の、神殿のそばを流れる小川では、無数の蛍が青白い光を放ち、飛び交っていた。

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