リリィ・ラブ

古瀬 雪

恋は愛でず、試みる

桜舞い散る景色の中で彼女は眩しそうに目を細めていた。


九回裏、甲子園の決勝戦は5対6と白熱している。

親族皆が集まり応援するのは私の弟。

整った顔をしていて高身長、私と本当に血が繋がっているのだろうか?

2アウト満塁、一発逆転のチャンスで弟がバッターボックスに立った。

ピッチャーの放った球はそのままバットに吸い込まれ、そのまま空高く飛んでいく。

親族達の歓声。

それが意味するのは言わないでも分かるだろう。

「おめでとう 直樹」

母は珍しい顔をして私を見た。

私が弟を褒めるのがそんなに珍しいだろうか?


少し不機嫌になりながら私は図書館に行く支度をする。

私も、もう高校三年生だ。

そろそろ高校生というブランドから離れる年齢になってきた。

あっという間の三年間。

私の高校生活最後の夏が始まる。


図書館には妖精さんがいる。

黄色い髪を伸ばした妖精さん。

私が飽きもしないで図書館に通うのはきっと妖精さんが居るからだ。


妖精さんと話すのは楽しい。

それこそ時間が高速で過ぎ去ってしまうそんな錯覚を覚えるほどに。


だから今日も私は図書館へ足を踏み入れる。

妖精さんに会うために。


図書館に入り一番奥の棚に行くと妖精さんがいる。

妖精さんは真面目な顔をして何かを読んでいた。

偉人の名言集と書かれたその本を食い入るように読む妖精さん。


「偉人か〜」

「ぬわっ!僕の背後に立つなといつも言ってるだろう!」


妖精さんは独特な口調でそう言う。

……声が大きい。

指でしぃと唇に人差し指を当てるとはっと口を抑え椅子に座った。


漣 蓮華さざなみ れんげ

これが妖精さんの名前だ。

芝居掛かった喋り方と一人称が特徴的な小柄な少女。


高校二年生らしいがそうは見えない。


「おはよう」

「はぁ、おはよう 今日も相変わらず暑いね、太陽に文句を言いたい気分だよ」

「ここは冷房効いてるけど外はほんと暑いよね」


不機嫌そうに鼻を鳴らす蓮華ちゃん。

蓮華ちゃんが暑さに弱いのは確認済みだ。

前に一緒に外のジュースを買いに行ったときも一瞬でばてていた。


「蓮華ちゃんはいつ来たの?」

「だからちゃん付けは止めろと……9時半ぐらいだ」

「ちょうど開くぐらいの時間に来たってこと?」

「ああ、文句あるか?」


ジロッと睨む蓮華ちゃん。

可愛い顔なので怖くない、むしろ背伸びをする子供みたいで可愛い。


「いや、なんでそんな時間に来たのかなって」

「ふんっ、君が来る時間がいつも違うからじゃないか」

「え?」

「あっ……」


カーっと効果音がつきそうな程に真っ赤に染まる蓮華ちゃんの顔。


「わ、悪いか!君と喋っていると楽しいし君を待たせるのは申し訳ないと思ったんだ!それに今日は遅すぎる」

「甲子園観るから遅くなるって言ったような気がするけど……」

「あっ……」


蓮華ちゃんは指をぷるぷる震えさせながら歯をくいしばる。

本当に妹みたいで可愛いな蓮華ちゃんは。


「蓮華ちゃん、近くに美味しいアイスクリーム屋さんがあるんだけど行く?」

「あ、あいす?なんで急に」

「暑いからかな?」

「僕は子供か……行く……」

「そうこなくっちゃ」


図書館を出て蓮華ちゃんと一緒にアイスクリーム屋、ミサに向かう。

最近オープンしたおしゃれなお店は女の子たちの憩いの場となっている。


「ぼ、僕がこんなリア充な場所に入っていいんだろうか?」


真っ青な顔になってしまった蓮華ちゃん。

いきなりここはハードル高すぎたかな?


「蓮華ちゃん、やっぱファミレスとかに……」

ドン。

ほえっ?

私の背中に感じる、ほのかに柔らかい感触。

私のお腹にまわされた小さな手。

荒い呼吸音。

「すぅはぁ、よし落ち着いた 行こう」


今度は私が真っ赤になる番だった。

蓮華ちゃんはそんな私の顔を見て悪戯が成功した子供のように八重歯を剥き出しにして笑った。


直ぐに自分が何をしたかを思い出して自爆していたのは二人だけの内緒だ。


「いらっしゃいませ〜、ご注文はお決まりでしょうか」

迷う……。

このストロベリーアイスとか美味しそうだ、でもこっちメロンやマンゴーも。


「むむむ、じゃあストロベリーアイスとメロンアイスのハーフください!」

「じゃあ僕はマンゴーアイスを」


「畏まりました 少々お待ちください」


2分程経ち、現れたのは淡い赤と緑のアイス。

蓮華ちゃんの手にはまるく盛られたマンゴーアイス。


椅子に座り、アイスを一口、口に含む。

酸味のあるストロベリーアイスは口に含んだ途端、溶けて私の舌を包み込んだ。


「美味しい!」

「本当だ、これは美味しいね」


蓮華ちゃんもマンゴーアイスを口に含んで満足そうだ。

マンゴーも美味しそうだなー。


「君は本当に幸せそうに食べるよね」

蓮華ちゃんは短くため息をついて私にスプーンで掬ったマンゴーアイスを差し出す。

「へ?いいよいいよ!蓮華ちゃんの分、少なくなるし」

「そんな物欲しそうな顔で見られたら食べにくいからね、一口あげるよ」


パクッ。

私は蓮華ちゃんの持つスプーンに口に含んだ。

んんまああああ。

流石、トロピカルフルーツとして名高いマンゴー。

甘みは旨味、一瞬で私の舌を占領した。


「じゃあ、私のメロンアイスかストロベリーどっちかあげる!」

「じゃあメロンで……」


自分のスプーンで食べようとする蓮華ちゃんを制して私のスプーンで目の前に持っていく。


「あ〜ん」

「うぇっ!?あ、あーん」


はむっ。

可愛さが限界突破した蓮華ちゃんを見て思わず頬が緩む。


あ、そういえばあいつに連絡しとかないと駄目なんだった。

こんな幸せなときに嫌なことを思い出した……。


「ちょっと電話掛けてくるから待っててね」

「うん、分かった」

ぱくぱくと残っていたストロベリーを食べて私は席を立つ。

この場に蓮華ちゃんを残すのはどうかと思ったがアイスに夢中な蓮華ちゃんの様子を見るに大丈夫だろう。



彼女は変だ。

突然、現れて僕なんかに構ってくる変な彼女。

子供っぽく可愛い姉というのが彼女の印象だ。



彼女と初めて会ったのは春、僕が高校二年生になり五日経ったある日のこと。

僕はいつも通り、図書館に向かっていた。




桜の木の下を歩いていると物語の主人公になったように感じることがある。

僕はクズだ。

人が嫌いで、自分の作り出した妄想に逃げ込んで必死に自身を取り繕うとしている。

人は変われるという言葉をよく聞く、それは事実なんだろう。

だが当の本人が変わろうとする意思がないのではもう神様もお手上げだ。


この理屈っぽいモノローグもきっと厨二病の一種なのだろう。


そんなことを考えて僕は唯一の居場所へと向かう。


そう、それは一瞬の出来事だった。

僕風に表すならそれは……。


「天使……」


桜舞い散る木の下で空を見上げ彼女は眩しそうに目を細めていた。


「ん?こんにちは、いい天気だね」

「こ、こんにちひゃ!」


噛んだ僕をくすくすと笑う彼女。


「君、名前は?」

「漣 蓮華だ……です」

「蓮華ちゃんかー、私は柚月 夢だよ」

「こ、子供扱いはよしてくれないか、僕は十七だ!

「え?十七歳!?」


子供っぽい見た目なのは理解している。

それでも子供のように見られるのは不快だ。


「そうなんだ、私も17歳なんだ よろしくね!」

彼女は眩しい笑顔で私に笑いかけてくる。

その笑顔に邪気はない、どうやら信じてくれたようだ。

いや、信じてくれたも何も嘘なんてついていないんだが。

って17歳!?彼女の見た目からもっと年上かと思っていた。


少し変わったふわふわとしたメープル色の髪の優しい目をしたお姉さん。


これが僕と彼女の出会い。

私の前に現れた柚月という変わり者な天使との邂逅。



ふと店内に視線を移す。

きっと僕は神にも嫌われているのだろう。

嫌な顔だ……肉食獣に睨まれた草食獣の気持ちが今なら分かる気がするよ。

よりによって彼女がいないときに……。


「あっれー、蓮華じゃん」


面倒くさい。

無視してやろうか?

明るい髪色の二人組、中学時代の元同級生というやつだ。

正直、この二人は嫌いだ。


「もしかしてぼっちでこの店きたの?」

「ふん、友人と来た、今は電話しに外だ」


僕がぼっちでこの店に入れるような勇者だと思うか?


「友達いたんだぁ」


本当にもう……最悪だ。

さっきまで柚月と一緒に楽しんでいたというのに気分が害された。


「柚月……」

「あ、蓮華ちゃん ごめんね 少し電話が長引いちゃってね……お友達?」


柚月の声が聞こえた。それは幻聴ではなく紛れもない本物の柚月の声。


「柚月、遅いぞ」


少し充血した目は隠せているだろうか。


「ごめんてー、あ、こんにちは!蓮華ちゃんの友人の柚月です」


「あっ、え、その、はい こんにちは」

「こ、こんにちは」


彼女たちは見事にどもっている。

流石の彼女たちも僕の柚月にはいつもの威勢ははれないらしい。

柚月に高圧的な態度で接したら僕が許さないけどね。


「あ、そうだ 蓮華ちゃん これからリオン行こうよ」


リオン、最近名前の変わった大型ショッピングモール。

またの名をリア充の巣窟。


「臨時収入が入ってね 蓮華ちゃんと服選びたくて」

「ふ、服?」

「うん、目星は付けてるんだ、いこいこ!」

「えっちょっと待って!」


僕の静止の声も聞かないで代金を払い手を引いていく柚月。

店から出て細い道へ入った柚月は急に立ち止まった。


「蓮華ちゃん、さっきの子達苦手でしょ?」


図星だ、思わず手を強く握り締めてしまう。


「ごめんね、連絡入れてたから傍に居られなくて」

「い、いや柚月は悪くない……僕が……」

「だから、これからは何かあったらいつでも言って直ぐに行くから」


そう言った柚月の顔はとても大人びていて、僕の心を締め付けた。

なんで、なんでそんな顔をするんだ、君が来てくれたから僕は傷つかないで済んだ、それで十分なのに、なんでそんな顔で自分を責めるようなことを言うんだ。


そこで僕は悟った、もう逃げられないと。


「恋は目で見ず、心で見る……か」

「なに……それ……?」

「シェイクスピアの真夏の夜の夢で出てくる言葉だ」


確かに、そうだ。

恋をしてしまった、今なら分かる。

でも少し訂正させてもらいたい。


この恋を表すならこれが正しい。


恋は愛でず試みる。

この恋は愛でるだけでは駄目なのだろう、この大きく、そして脆い壁が立ちはだかる、冗談じゃないこの恋だからこそ、試みないと駄目なのだ。


「柚月、覚悟してくれよ」

「えっ?えっ!?」


まだ味わっていないストロベリーの味が口唇こうしんからした。


「蓮華ちゃん……?」

「僕の初めてだ、値が張るぞ」


そうだ、これでこそ僕だ。

無愛想で恥ずかしがりの柚月という一人の女の子が大好きな漣 蓮華という一人の女なのだ。


目の前には季節外れの桜が咲いていた。




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