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1.ダンジョンでロマンスするのは云々
絶海の孤島、ボルモロス島。
ラール大陸の東方、
港町ルトフから船で三日ほど渡った先にある、小さな無人島だ。
丸一日もあればぐるりと一周できる程度のその島の中央に、ぽっかりとダンジョンへの入り口が開いている。
その中には、島の大きさからは想像もつかないほどの、広大な迷宮が広がっていた。
かつて、ラール大陸全土を恐怖で支配したアルスドル帝国の皇帝マギレウス。
その強大な魔力の源は、「黄泉の宝珠」と呼ばれる強力な
ボルモロスの迷宮の奥底には、その黄泉の宝珠が隠されているという、古い言い伝えが残されていた。
今まで、
そして、誰一人として戻って来ることは無かった。
魔力によって生成された複雑怪奇な迷宮に、数多くの恐ろしいモンスターたち。
黄泉の宝珠に至るとされる道には、無数の困難が待ち受けていた。
黄泉の宝珠の存在は、長い間伝説として語られていた。
迷宮を踏破する者も現れず、誰もが伝説を本気にしなくなってきていた、とある時代。
地上での魔物の力が活性化しつつある中、再びその存在が注目を集めようとしていた。
迷宮の壁は、見た感じは大きな四角い石を積み上げて作られている。隙間なくびっしりと詰められた、美しい石垣。
しかし、これは普通の石ではない。実際には魔力によって構成されている。叩いて壊して通る、なんてズルは、まず通用しないだろう。
地面は踏み固められた土。のようだが、やっぱり掘ろうとして掘れるものでは無い。削ったり、小さな穴を掘る程度が限界だ。
通路幅は、太ったドワーフが三人並んでラインダンスができる程度はあった。圧迫感を覚えるほど狭くは無いし、不安になるほど広いわけでもない。
この迷宮を作った魔術師は、定規片手に相当な労力を持ってこれだけものを作り上げたのだろう。きっちりと、全てが直線で仕切られている。大したものだ。
オーガがハイジャンプして手が届くくらいの高さの天井からは、常に淡い光が発していた。お陰様で、明かりが無くても少し先までは見通すことができる。
これには正直助けられていた。何しろ、ランタンなど準備していなかったのだから。
地下迷宮という時点で、
誰かが持ってくるだろう、程度の認識でしかいなかった。
とりあえず迷宮についてゆっくりと観察している暇は、今のところは無さそうだ。
ルミリアはとにかく走った。全力疾走だ。
一張羅のローブの裾が邪魔で邪魔で仕方なかったが、そんなことを気にしている余裕は欠片も無い。
その横を、アーシュが同じように全力で駆けている。ルミリアより背が低い癖に、ハーフリングだけあって本当に足だけは速い。すばしっこい。
縮れた短い赤毛が、まるで転がる毛糸玉みたいにルミリアの横を並走している。
ルミリアは段々イライラしてきた。
「もう、なんなのよ!」
ちらり、とルミリアは後ろの方に視線を向けた。何かの間違いで消えて無くなっていて欲しかったが。
世の中、そんなに甘くは無かった。
アーシュとほとんど変わらない大きさの巨大ネズミ、ヒュージラット。
それも一匹とか二匹ではない。
数十匹が群れを成して、怒涛の勢いでルミリアたちを追いかけて来ていた。
「アーシュ、アンタちょっと、呪文詠唱する間だけで良いから、あいつら足止めしなさいよ」
ルミリアは手に持った
数は多いが、高々ネズミだ。ちょっと火でも見せて脅かしてやれば、散らすことぐらいは出来るだろう。
「嫌だよ。こちとら前衛職じゃないんだ。壁役なんて真っ平ゴメンだ」
アーシュは
しかし、そうは言っても、走りながらでは詠唱に集中できないし。
ならばと、ここで立ち止まってネズミの大群に
「じゃあどうしろって言うのよ!」
ルミリアが悲鳴を上げたところで、正面に扉が見えてきた。
気を取り直して、ルミリアはアーシュに声をかけた。
「あの向こう。あそこに逃げ込みましょう」
鍵などかかっていたらもうオシマイ、だったが。
幸いにも扉は簡単に押し開くことができた。
ルミリアとアーシュは、何も考えずに扉の向こうに転がり込んだ。
後は振り返って扉を閉める。
という動作をしようとして。
手足がばたばたを中空を掻いた。
これはどうしたことだろう、と思う間も無く。
床に開いた大きな穴の中に、二人は真っ逆さまに転落した。
「ちょ」
「言っとくけど、これはオイラのせいじゃないよ?」
「うそでしょー!」
ルミリアの絶叫が長く尾を引きながら。
二人は迷宮の更なる深淵へと飲み込まれていった。
「いったーい」
お尻をさすりながら、ルミリアは起き上がった。自慢の金髪がぐちゃぐちゃだ。
髪を軽く指でとかすと、何本かがさらさらと抜け落ちた。酷い。
それから、くるり、とその場で回って。
特に異常が無いことを確認した。
よく年端もいかない子供に間違われるくらいの、小さな身体。何もかもが小さいと言われて、カチンときたこともある。
まあ実際、大きいところなんて声と態度ぐらいしか思いつかないが。
無傷であることが判って、ルミリアはほっと息をついた。
頭から落ちていたら、どうなっていたことか。いや、そうでなくても、本当なら普通に転落死している高さだ。
迷宮を作った魔術師の悪戯心という奴だろう。このダンジョンからは、全体的に
すぐ近くで、アーシュがひっくり返っている。
はぐれなくて良かったのか、悪かったのか。
ルミリアよりも更に小さい、ハーフリングの少年。
ハーフリングというのは、顔だけでは大人なのか子供なのかはっきりしない。
アーシュの場合は顔立ちも中性的で、言われてみれば確かに子供、というぐらいのものだった。
うーん、と一つ唸ってから、アーシュはむっくりと起き上がった。
どうやらアーシュの方も無事らしい。
はぁっ、と。
ルミリアは、さっきから何回目か判らないくらいのため息をついた。
ルミリアもアーシュも、このボルモロスの迷宮に黄泉の宝珠の探索に訪れていた。
ルミリアは宮廷魔術師。国王の勅命によって編成された、ボルモロスの迷宮探査団の一員だ。
それが迷宮探査団に与えられた使命だった。
若くして実力を認められ、
城内で一目ジャスティンの姿を見かけたときから、ルミリアはそのイケメンっぷりにすっかり熱を上げていた。
強くて、爽やかで、カッコいい。
そのジャスティンがボルモロスの迷宮探査団の団長に任命されたと聞きつけて。
ルミリアは真っ先にそのメンバーに立候補した。
薄暗い迷宮の中。
「ジャスティン様、危ない!」
「ルミリア、ありがとう。キミの魔法のお陰で助かったよ」
ジャスティンと共に、お互いに協力し合い、いくつものピンチを潜り抜けて。
「ジャスティン様のためなら、私はここで朽ち果てる覚悟です」
「そんなことを言ってはいけない。ルミリア、君は私の・・・」
危険な冒険の果て、二人は素敵なロマンスを繰り広げて。
「二人の力を合わせるんだ」
「はい、ジャスティン様」
やがては、深い愛を
「ルミリア、そろそろ、ジャスティン様はやめてくれないか?」
「は、はい・・・では、ジャスティン・・・」
「ルミリア・・・」
そんな甘い甘い夢を見て、ルミリアはこのボルモロスの迷宮にやって来た。
の、だが。
現実は、ハーフリングのガキンチョと二人、ドタバタコメディを展開中、という状況だった。
それというのも、ガイドという触れこみで雇った
このハーフリングは、ボルモロス島や迷宮に詳しいわけでも、優れた
ダンジョンのお宝目当てで迷宮探査団に近付いてきただけの、ただの子供詐欺師だった。
最初に見たときから、妙に幼い感じがするな、とルミリアは思っていた。
しかし、ジャスティンも、ルミリアも、他の迷宮探査団のメンバーたちも。
あまりに長い間、城の中で、ぬるい空気に浸かりすぎていた。
世の中についてよく理解していなかった。
すっかり騙されたまま、一行はアーシュと共にボルモロスの迷宮にのこのこと入り込んで。
最初に見つけた、今思えばあからさまに怪しい宝箱を不用意に開け放って。
そこに仕掛けられていた
その結果がこれだ。
気が付けばルミリアは役立たずのハーフリングと二人、迷宮の何処とも知れない場所にすっ飛ばされていた。
真っ青になってジャスティンや他のメンバーを探したが、近くにいる様子は全く無い。
迷宮の中で、迷子。
それも最低のオマケ、お荷物付きだ。絶望以外に、感じることは何も無かった。
「ここ、どの辺よ?」
流石にマジックコンパスくらいは持って来ている。
ルミリアは現在位置を確認した。
地下二十階層。相当な深さだ。
さっきの落とし穴、シュートに引っかかる前は、確か十五階層にいたと記憶している。
五階層分も落ちたことになるのか。「お尻が痛い」で済んで、本当に良かった。
いや、単純に喜んで良いものなのかどうか。
作り主の悪戯心に感謝するよりも、楽に死なせてくれなかったと恨んでやるべきなのかもしれない。
どちらにしても、素晴らしいショートカットぶりだった。
「オイラ、運だけは良いから」
アーシュがえっへん、と胸を張った。
ルミリアは何も言わず、ただじろり、とアーシュを睨みつけた。
なるほど、運は良い。
迷宮に入って一日も経たずに、二十階層まで到達だ。
確かにこれは強運だ。認めざるを得ない。
だがそんな悪運、今は全くお呼びではない。
仲間とはぐれて。
何もできないハーフリングの子供と一緒になって。
ズンドコ迷宮の奥深くに入り込んで。
こんなのは、全然嬉しくない。
ルミリアはマジックコンパスをしまうと、ぐるり、と辺りを見回した。
二十階層と言われても、全くピンとこない。見た目上は、今までと何の変化も無い石垣の壁だ。
同じような風景が続くので、地図が無ければ自分が何処にいて、どっちを向いているのかですらあやふやになってくる。
迷宮、と言われるだけのことはあった。
「
アーシュが首をかしげて訊いてきた。
「う、うるさいな。そういう地味な魔法は好きじゃないのよ」
痛いところを突かれて、ルミリアは顔を真っ赤にした。
それができるのなら、とっくにそうしている。
ルミリアには、それがしたくてもできない事情があった。
「ところでルミリア、あんた、まさか漏らしてないよね?」
アーシュが突然とんでもないことを言い出した。
何て失礼なハーフリングだ、と思ってから。
ルミリアは初めて自分の腰の辺りがびしょびしょに濡れているのに気が付いた。
どういうことだろう、とローブをまくってみて。
ベルトの所に下げてあった薬瓶が一つ割れているのを発見した。
「あー、師匠に貰ったスペシャル回復薬がぁ!」
ルミリアは悲鳴を上げた。
瓶の中に入っていたのは、王宮の魔術研究所秘蔵の回復薬。
ルミリアが迷宮探査団に加わって城を出る際。
緋色の塔の長である、大賢者ルビーが渡してくれたものだった。
どのような傷、どのような呪いからも救ってくれる、究極の癒し。
死すらも退けてしまうという、特別な代物だ。
ルミリアの予定では。
「ぐあぁ!」
「ジャスティン!」
ジャスティンがピンチに
「ルミリア、僕はもうダメだ。後のことは・・・」
「しっかりして、ジャスティン。私は、あなたがいないと」
ルミリアが颯爽と薬を取り出して。
「お願い、生き返って」
口移しで飲ませて、その命を救い。
「こ、これは」
「良かった。ジャスティン、助かったのね」
「ルミリア、二人の愛の力が、奇跡を生み出してくれたよ」
これをきっかけに、二人のロマンスが始まる。
はずだった。
残念ながらそれは今、ルミリアのローブにすっかり染み込んでしまっていた。
お尻の下辺りがぐっしょりで、なるほど、パッと見はお漏らしでもしたみたいだ。
瓶は完全に割れてしまっていて、中身はもう一滴も残ってはいなかった。
「うううっ、酷いよう・・・」
半ベソをかきながら、ルミリアはローブの裾を絞った。
何一つうまくいかない。予定と違っている。
本当なら、今頃はジャスティンと一緒に華麗にモンスターを退治して。
二人の絆が深まり始めているはずだったのに。
そんなルミリアの様子を、アーシュがにやにやしながら眺めていた。
このハーフリングのせいで、何もかもが滅茶苦茶だ。
ルミリアの中にふつふつと怒りが沸いてきた。
「ちょっとアーシュ、元を正せばあんたのせいでしょう!」
ルミリアが怒鳴りつけると、アーシュは恐怖に顔をゆがめて後ずさった。
なんだ随分効果があるな。
そう思いながら、ルミリアはアーシュの方に詰め寄った。
「こんなダンジョンの深いところに入り込んじゃって、一体どうするのよ?」
アーシュが、首をふるふると横に振った。
すっかり目が怯えきっている。
まあ、ちゃんと状況を判ってくれているのなら、それはそれで構わないのだが。
「ル、ルミリア、後ろ・・・」
「はぁ?後ろ?」
ルミリアがぐるり、と背後を振り返ると。
武装した骸骨の一団がこちらに迫ってくるところだった。
「うわあぁあ!」
死して魔力に操られている者。スケルトンの軍団だ。
慌ててルミリアは走って逃げようとしたが。
「ここ、袋小路じゃない!」
背後は壁。左右も壁だった。
シュートから落ちて、すぐに移動しなかったのがまずかった。逃げ道は何処にも存在していなかった。
覚悟を決めて、ルミリアはスケルトンに向かって魔法の杖を構えた。
「呪文唱えるから、少しくらい時間稼いで!」
「無茶言わないでよ、オイラこんなの相手に戦ったことなんて無いよ」
「ああー、もう!」
ハーフリングは、見た目上は人間の半分くらいの身長、子供のようにしか見えない。
が、アーシュの場合は実際に子供だった。
冒険者としても駆け出しだ。期待できることなど何もない。
やってみるしかない。ルミリアは詠唱を始めた。
アーシュがローブの端を握って震えている。この場はルミリアの魔法で切り抜ける以外に方法は無い。
可能な限り早くしているつもりだが。
やはり、あと少しのところで間に合いそうにない。
スケルトンの軍団はもう目の前だ。
ジャスティンと二人なら、この場で揃って朽ち果てるのもロマンかも知れないが。
今一緒なのは、生意気なハーフリングの子供だけだ。
こんなのは。
こんなのは、ちっとも面白くない!
ルミリアがそう思ったところで、突然地面から
「な、何これ?」
新手の罠か、モンスターか。
スケルトンの真下だ。地面の中から、何かがせり出してくる。
光に包まれたそれは。
筋骨隆々とした、一人の男だった。
「す、すごい」
「うわぁ、フルチ・・・もがっ」
ルミリアは慌ててアーシュの口をふさいだ。
見ているものをそのまま言葉にされてはたまらない。
男は、全裸だった。
スケルトンの一団は、男を敵とみなしたようだ。
手に持った短剣を振りかざして、一気に切りかかる。
あっ、と思ったその瞬間に。
男に襲いかかったスケルトンは、粉々に打ち砕かれた。
丸太のように太い腕が、スケルトンを一撃でばらばらに吹き飛ばしていた。
男は、素早く地面に零れ落ちた短剣と小盾を拾い上げた。
よく訓練された動きだ。
体格からも、間違いなく前衛職。
そのまま短剣を器用に振り回し、男はスケルトンたちをなぎ倒していく。
ぽかん、と状況を見つめているルミリアと。
スケルトンと刃を交えている男の目線が絡み合った。
「魔術師殿!早く火炎の呪文を!」
男に言われて、ルミリアははっとした。
詠唱の途中だった。すぐに続きを唱えはじめる。
その間、男がしっかりと骸骨たちの注意を引き付けてくれている。
これなら、余裕だ。
「
ルミリアの呪文が完成すると同時に、猛烈な炎の渦が発生した。
スケルトンたちは炎の中に飲み込まれると、あっさりと砕け散り、消滅していく。
その一撃で、十体以上はいたスケルトンたちは、あっという間に殲滅された。
「はぁ・・・」
ほっと気が抜けて、ルミリアはその場に座り込んだ。お尻の辺りが濡れていて冷たい。
「そうか、スペシャル回復薬」
思い至ったところに、男が歩み寄ってきた。
周囲でまだくすぶり続ける炎の中を、ゆっくりと近づいてくる。
髭もじゃの顔、逞しい肉体。
そして。
「とりあえずさぁ」
ルミリアは男から顔をそむけながら言った。
「どっかからパンツ拾ってきて」
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