1:〈ロード家、その人柄〉
広大でありながらも限られた大陸に名が付いたのは、人間がこの大陸を手中に収めてからだった。
名は、ガルバメント大陸。
大昔、多くの魔物と亜人が大陸を統治していたが、人間が大陸に足を踏み入れた瞬間から、人ならざる者たちは人間に支配される存在となった。
人間は傲慢にも己の領土を増やし、資源を食い潰し、各地に分裂していった。
多くの国が生まれ、瞬く間に衰えていく。
それは何百年と時が経っても同じだった。
*
ガルバメント大陸東部、ツァラスト王国貴族領土、貿易都市『アイト・ハルペ』。自然豊かな地形に囲まれ、付近にある山岳の町から発掘される鉱石を輸出する窓口として交易を行う、貿易都市である。
最近では貿易だけでなく、独自に大衆の娯楽施設を建築し、大陸全土にその名前を広めようと画策している。
その都市を治めるのは、貴族マイル=ギラパール。彼は巨大な娯楽施設を作り上げるため、二人のロードを呼び寄せた。
朝、マイル=ギラパールの館。
食堂に繋がる長い廊下を、一人の少年が歩く。
黒髪に青い瞳、線の細い輪郭。威圧的な雰囲気を醸し出すも、15という若さ故に、どこかあか抜けていない。
「娘を助けていただき、ありがとうございました」
言葉は突然、背後からかけられた。
少年――エノーマスは振り返り、相手を見る。
声の主は、この町を治める貴族であり、館の主マイル=ギラパール本人だった。
強面の顔だが、頬を緩ませ、相手に安心感を与えるような微笑を浮かべている。
対するエノーマスは無表情のまま、
「仕事ですから。当然のことをしただけです」
抑揚なく答える。
「いえいえ、流石は大陸最強の剣豪一家。要望通りに全員くびり殺していただいたおかげで、町中にドブネズミどもの首を晒せました」
褒め言葉を送られても、エノーマスの反応は薄いままだった。
「ささっ、ご一緒に朝食でも。昨晩の武勇を是非お聞かせください」
昨晩という単語から、少女のことを連想させられる。
涙をボロボロと流しながら、自分の手を払った少女。
――変わった子だったな。
たかが人を殺した程度で、血相を変えるなんて、人生のほとんどをこの狭い館の中で過ごしていたに違いない。
「エノーマスさん?」
マイルの呼び声に、エノーマスは我に返る。
「あ、結構です。よくよく考えたら、お腹は減ってないので」
「え? そ、そうですか」
「失礼します」
マイルが二の句を発する前に、エノーマスは腹の虫が聞こえないように足音を大きく立てて、その場から離れた。
*
目的地を食堂からエントランスに変える。
エノーマスが進む先に、壁に背を預けて立つ男が居た。
爪痕のような目に痩身という、やたらと細々しい姿。更に細いイメージを増長させるように、男の腰に提げられた刀もまたスマートだった。
その男もまた白髪に赤い瞳を宿し、ロード家であることを示している。
痩身の男ライザ=ロードが、エノーマスを指さす。
「昨晩の課題、ぎりぎり合格だよ、エノー」
開口一番にライザが言った。
「ほぼ失格だけど、まあ依頼主の娘を生きて奪還できたからね。ギリギリで及第点をあげるとしよう」
「兄さん……どこかで見てたなら、せめてあの子を運ぶときくらいは手伝ってくれても良いと思うんだけど?」
再びライザに指さされる。
「それは浅慮だよ、エノー。俺が近くに居ると分かったのなら、その時点でエノーは頭を使わなくなるからね」
「ボクは、そこまで怠け者じゃない」
ライザはやけに演技がかった仕草で首を横に振る。
どうやらエノーマスの言い分は聞き取ってくれないようだった。
嘆息混じりにエノーマスは話題を変える。
「ところで、昨晩のどこが悪かったのさ?」
マイルの娘を奪還する作戦において、エノーマスは対象の救出を任された。
結果として、娘は無事に助け出せた上に、相手の戦闘員は皆殺し。なにも問題はない。
「恐怖が与え足りなかったんだよ、エノー」
しつこく、こちらを指さしてくるライザ。
「より強い恐怖を与えた勝利に、価値はある。相手にどれだけ恐怖を植え付けて殺すか、そこが重要なんだよ」
ロードの名を冠する者に敗北はない。その理由は、ロード家に流れる特殊な血にある。
「いいかい、エノー。俺たちには『染血』がある。エノーはまだ完全に開眼していないから、血を点眼しなければならないけど、俺のように完全な染血状態となれば無敵さ。だからこそ――」
長い説教が始まった。
エノーマスは、億劫な気持ちを抱えつつ、渋々と説教を受ける。
「昨晩のアレは殺しすぎだ。わざと何匹か見逃して、俺たちの強さを巣にいる奴らに知らしめる。そうすればドブネズミは自ずと尻尾を巻いて逃げていく。無駄な戦いを避けつつ、相手に恐怖を与える合理的な方法だよ」
「なるほど」
確かに、ライザの言葉は理に適っている。
「鮮度の良い情報ほど有益なものはないよ、エノー。良い勉強になっただろう」
戦闘を演出としか見ない兄であったが、決して無駄なことは教授しない。
「無駄はどこまでも無駄でしかない。スマートな生き方をしよう、エノー」
ライザの言いたいことが終えたところで、エノーマスの腹の虫が鳴った。
「若いね、エノー」
微笑むライザを前に、エノーマスは頬を赤く染めて顔を逸らす。
「食堂に行って、朝食としようか」
「……いや、ボクは食堂には行かない」
「やせ我慢はよくないよ、エノー」
「違うんだ。ボクは、助けた子に嫌われてるから、行かない方がいいんだ」
思い出されるのは昨晩の少女の顔。畏怖に染まり、拒絶を露わにした表情が、エノーマスの心の隅に居座っている。
殺した相手以外に、あんな表情をされたのは初めてだった。そんな相手と、どんな風に接すればいいのか、エノーマスには分からない。
「ぷっ、あははははは! おもしろいことを言うね、エノー! まだまだエノーは人間を知らないなぁ!」
ライザが背を丸めるほど大笑いする。
「だけど知らなくていいよ、エノー」
笑みの残滓を含む表情で、ライザが言った。
「人間なんて下等生物、俺たちからすればドブネズミと何ら変わりがないんだからさ」
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