10-2


「それで、統斗すみと様は、一体どうなされるおつもりなのですか?」

「えーっと、それなんですけどね……」


 ゆったりと、温かい湯がられた大きなお風呂に、のんびりと並んでかるけいさんからの、もっともな疑問に、俺は答えをにごすしかない。


 それはもう、この湯船を満たしている最高の湯を、乳白色に染め上げている入浴剤のごとく、濁っていると言ってしまっても、過言ではないのであった。




 竜姫たつきさんたちから、重要な報告を受けてから時は過ぎ、もうすでに夜も深い。


 あれから、色々と会議は続いて、それなりの結論が出たところで、本日はお開きということになり、竜姫さんと朱天しゅてんさんは調査の続きと、それにより完成させるという資料を取りまとめるために、八咫竜やたりゅうの本部へと帰っている。


 祖父ロボと俺の親父、それと母さんは、新しい情報がもたらされたこともあって、本日は色々と仕事があるとかで、家に帰らないというので、俺はこうして、本部ビル最上階の方の家へと、戻ってきていた。


 こちらの方が、単純に距離の問題で、なにか俺が必要な状況になっても、わざわざワープを使わずとも対応できるということで、使い勝手はよかった。


 まったく、一人で使うには広すぎて、寂しさすら感じてしまう家だけど、それでもやっぱり、他のみんながいれば、当然ながら不満はないし、便利でもあるのだ。


 というわけで、俺はその便利さを、いかんなく発揮するために、こうして、昼間はそれぞれ忙しく、会議に参加できなかった最高幹部のみんなが、夜に時間がいたということで、こうして集まり、そこで決まったことを、のんびりと風呂で身体を休めながらではあるけれど、伝えていたというわけである。


 まあ、その前に、色々と楽しいというか、桃色な思い出を皆で作っていたせいで、業務連絡も遅くなり、なんだか、こうして心地よい疲れを癒している最中に、かなり事後報告っぽい感じになってしまったわけだけど、それは特に、問題ではない。


 差し当たっては、それはまた別の問題が、俺の頭を悩ませていた。


「とりあえず、八咫鏡やたのかがみの確保は、保留ということで……」


 先ほどの契さんからの質問に、俺はなんとなく、小さくなりながら答えてしまう。


 残念ながら、なんだか格好つけて、悪の総統として決断を下す! みたいな感じを出してみたはいいけれど、結局のところ俺の出した答えは、なんていうことはない、非常に消極的なものだった。


 うん、なんだか本当に、ごめんなさい。


「えー? なんだかスッキリしないなー! せっかくなんだし、ゲットしようぜ!」

「そうね~。ワタシも~、ちょっと興味あるから~、ぜひ手に入れて欲しいかも~」


 その魅力的すぎる裸体を、惜し気もなくさらしながら、豪快にお風呂へと飛び込んできた千尋ちひろさんと、まるであやしい蛇のように、スルスルと湯を泳ぎ、俺の側へ到着したマリーさんにも言われてしまったけれど、二人の気持ちも、よく分かる。


 しかし、こればっかりは、仕方ないのだ。


「うーん、そっちの線も考えたんですけど、どうにも状況が不透明すぎて……」


 残念ながら、もろもろ踏まえた上で、まだ今の段階では、そこまでの強行策をとる必要はないと、俺は判断したのだった。


 もちろん、悪の総統として。


国家守護庁こっかしゅごちょうの件ですか? 確かに、あの辺りは微妙な情勢ですが」

「ああ、ええっと、それもあるんですけど……」


 こちらの腕を、そっと掴んで、その豊かな胸の谷間で挟み込んできた契さんの言う通り、今回の目的地である富士山は、丁度この国の中央辺りに存在するので、単純に真ん中から西と東で、悪と正義に分かれるような現状の勢力図にあって、実に微妙な位置にあるともいえる。


 まあ、そもそもの問題として、悪の組織が支配しているといったところで、それは特に表立った制圧ではないわけで、それぞれの街の中では、なにも知らない一般人が普通に生活をしているし、ちゃんと公共機関も動いているし、おまわりさんも元気に働いてくれているし、どこの情勢だって、微妙といえば微妙なのだ。


 というわけで、今回は別に、それが決め手になったわけではない。


 問題は、別にある。


「竜姫さんたちの話だと、神器っていうのは、なんだかとんでもなく物騒なモノを、封印するための道具みたいじゃないですか?」

「おう、そうだな! なんだか、すっげー伝説って感じだぜ! 格好いい!」


 まるで子供のように、太陽みたいに笑いながら、バシャバシャを湯船をかき分けてきた千尋さんに、契さんとは反対側から、豪快に肩を組まれて、幸せである。


 いや、違う。

 

「それなのに俺ときたら、そんなことも知らずに、そんな重要なものを、ホイホイと分解しちゃってたわけで、今さらながら、大丈夫なのかなとか……」


 というわけで、知らなかったこととはいえ、正直に言ってしまえば、割とその場のテンションに任せて、俺は取り返しのつかないことをしてしまったのではないかと、今さらながら、心配になってしまったというわけである。


 とはいえ、あの時は、それがベストだと思った上で行動したので、これも今さら、後悔しているというわけでは、ないのだけれども。


「う~ん、そうね~」


 そんな俺の心中を察してか、なにやら考えている様子のマリーさんが、するすると流れるように、するりと正面から、俺のことを抱き締めてくれた。


「まあ~、大丈夫じゃないからしら~。さっきの話だと~、八尺瓊勾玉やさかにのまがたが~、本来のあるべき場所から離れたのは~、ずいぶんと大昔みたいだけど~、そんな~、世界の終わりみたいな問題は~、まだ特に起きてないみたいだし~」


 うん、マリーさんの言うことも、よく分かる。


 げんに、今の今まで、悪と正義の戦いが巻き起こっているとはいえど、この国自体は平穏そのものというか、そんな壊滅的な事態には、おちいっていない。


 それはもちろん、八尺瓊勾玉と天叢雲剣あまのむらくものつるぎが、とりあえず物体として、世界から失われた後も同じだ。


 もちろん、それはまだ、最後の一つがあるおかげとも考えられるが、少なくとも、現状では少しの、まったく微塵みじんの変化すら、観測できていない。


 つまりは、現時点では、一切合切いっさいがっさい、なにもかも、詳細不明というわけだ。


「確かに、ちょっと心配しすぎかなとは、自分でも思ってるんですけどね……」

「いいえ。ことことですから、慎重になるのは、よいことだと思います」


 そんな右も左もわからない、情けない俺をなぐさめるように、契さんが優しくこちらの頭をでてくれたのが、大きな救いではあるけれど。


「そうだなー、いきなり封印が解けちゃって、オレたちどころか、世界がヤバイ! みたいなピンチは、大変かもなー。ちょっと燃えるけど!」

「わざわざ~、そういう伝承を残したってことは~、もしかしたら~、なにかの警告かもしれないしね~。内容が抽象的すぎて~、よく分からないけど~」


 個人的には、元気に盛り上がっている千尋さんの気持ちも分かるし、少し冒険してみたいような気持ちもあるけれど、やはり立場上、少しでもリスクを感じるならば、無理は禁物であり、危険は最小限に抑えるべきだと、俺は判断する。


 超至近距離で笑っているマリーさんの言うように、八咫竜に隠されていた情報は、まだまだあまりに抽象的で、その封印したという厄介なソレの正体すら、不明という状況なので、警戒しようにも、なにを警戒すればいいのか分からない。


 しかし、そういった超常的な危険が、現実に起こりうると、もう何度も身をもって体験している俺たちからすれば、絶対に軽視するわけには、いかないのだ。


「というわけで、とりあえず調べてみたところ、今のところ八咫鏡やたのかがみは、誰のものでもないというか、いまだに富士山に眠ってるようなので、しばらくは、様子見かなと」


 そして幸いなことに、状況はまだそれほど、切迫しているわけではなかった。


 八咫鏡というのが、俺が手にした天叢雲剣と八尺瓊勾玉、その二つと同じような、なにかとんでもない力を秘めている可能性は十分というか、ほとんど確実なのだろうけれど、その所有権は、まだ空白で、他の誰かに使われる心配もない。


 なら、やるべきことは、決まっている。


「さすがに、俺たち以外の、誰かの手に渡りそうというなら、優先的に確保したいと思ってますけど、不確定というか、不明瞭なことも多いですし、今はまだ、それほどあせらないでもいいかなと、対応を保留というか、監視にとどめることにしました」

 

 だから、これが俺の、結論だ。


 まあ、悪の総統としては、ちょっぴり情けない決断かもしれないけれど、不確定なリスクに対するリターンが、それに見合ったものであるか判断できない以上、無為むいに仲間を危険にさらすようなことはしたくないと思うのだから、仕方ない。


 誰になんと言われようと、これが俺の決断なのだ。


「なるほどなー。まっ、統斗が決めたことなら、ちゃんと従うぜ!」

「そうね~。バッチリしっかり、お任せあれ~」


 そんな俺の決断を、千尋さんもマリーさんも、輝くような笑顔で受け入れながら、ぎゅっと抱き締めてくれる。


「私たちは、統斗様の剣であり、盾なのです。どうか、ご存分に、お好きなように、我らのことを、お使いください……」


 そして、優しく微笑んだ契さんが、そっと俺の肩に頭を乗せながら、まるで誓いの言葉のように、真摯しんしな声で、伝えてくれる。


「みんな……」


 そんな彼女たちの想いに、俺の胸は熱くなる一方で、まさしく万感の思いが、この胸にこみ上げるのを、幸せと共に感じながら……。


 なんて、素直に感動したいんだけど。


「……どさくさに紛れて、デリケートな場所に手を伸ばすのは、やめてください」

「まあまあ、そうおっしゃらずに……」

「そうだそうだー! ケチケチするなー!」

「うふふ~、身体は正直よ~」


 ああ、こうなってしまったら、仕方ない。やれやれ、本当にしょうがない。こんなにも魅惑的な感触に包まれているのに、俺の中には、こみ上げるものがないなんて、そんなこと、いやはやまったく、言えるわけがない。



 どうやら、再び真面目な話ができるのは、もう少し後になりそうだ。


 

「ふうっ……、なんにせよ、しばらく慌ただしくならないようで、安心しました」

「うん?」


 なんだかスッキリとした様子の契さんと、再び一緒にお風呂に入り、また貯まった疲れを癒していたら、突然そんなことを言われて、俺の頭の上で疑問符が踊り出す。


 まあ、確かに俺としても、こうしてみんなと、のんびり一緒にいられる時間というのは大切で、かけがえのないものだと思っているけど……。


「これでゆっくり、準備ができます」

「……準備?」


 どうやら、契さんの口調には、それとは別のニュアンスを感じる。


「そうね~、身体中に塗りたくって、ワタシを食べて~、とか~?」

「むむっ! 食べ物を粗末にするのは、感心しないぞ!」


 こちらでは、なぜか夢見るように、身体をくねくねさせているマリーさんが、隣にいる千尋さんから、注意を受けている。


 なんというか、当然ながら、みんな生まれたままの姿なので、眼福な光景ではあるのだけれども、なんだろう、話が見えない。


「へへっ! 気合を入れて手作りするから、楽しみにしてくれよな、統斗!」

「ワタシは~、ちょっと気合入れて~、特別なのを~、頑張っちゃおうかな~」

「二人とも、ちゃんと統斗様のことを考えて、無茶はしないでくださいよ」


 可愛らしく胸を張っている千尋さんと、なにやら不穏な感じで笑うマリーさんを、いつものように契さんがいさめているけど、うーん……。


 まあ、分からいことは、聞けばいいのか。


「えーっと、みんな、どうしたんですか? なんだか、やる気十分だけど」

「はい、それはもちろん、気合が入っています。みなぎっています」


 というわけで、湯だった頭で、あっさりと考えることを放棄した俺に、その美しく輝く瞳を、珍しくギラギラと輝かせた契さんが、あっさりと答えてくれる。


 まるで、大事な大事なことを教えるように、しっとりと……。


「だって、もうすぐ、バレンタインデーですから」


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