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「ああ。だから前に、駅伝同好会がどうのって福浦と一緒になってやってたのか」
「そうです。あいつは短距離が専門ですけど、腐れ縁的なものがあって。先輩が言ったとおり、苦しいしつらい種目なんで最初から人が集まらないのはわかってましたから、いっそ駅伝をやるためだけの部活を一から作ろうってことではじめたんです」
「けど、誰も見向きもしてくれなかったと」
「……はい。当然ですよね。それぞれ部活もあるし、第一、おれの考えが甘かったんです。たとえ五人集まって同好会からスタートできても、それ以上増えなかったら部にすることもできないし、大会にも出られません。陸部の名前があれば、もしかしたら……と思って遅れて入部したんですけど、実際、長距離は先輩とおれしかいない状況じゃないですか。だからここからはもう、地道に増やしていくしかないんだろうなって」
そう、思ってます。
相変わらず翔琉は速いなーと微苦笑しながら、康平は康平でぐっと拳を握って覚悟を見せる。翔琉とふたり、校内マラソン大会でも派手に宣伝したりもしたが、翔琉が本当は駅伝をやりたくて陸部に入ったことはまだ伏せていたほうがいいだろうと思った。それでなくても東北大会までもう日がない。あくまで自分が駅伝をやりたいために翔琉に協力してもらったという形を印象づけたほうが、この場合は正解のような気がした。
ひとつ嘘が増えてしまったことに罪悪感が胸の内側を蠢く。けれど、どこで本当の目的を打ち明けるかは、翔琉との間でもまだ決めていなかった。嘘を重ねていくごとに苦しくなるのはわかっていたけれど、康平の判断でどうこうしていい話ではないのだ。
こと今に関しては、翔琉の耳を煩わせたくない。せっかく得た東北大会への切符を無駄にしないためにも、翔琉との関係を〝腐れ縁〟程度にしておく必要があると感じた。
それに、川瀬なら普通に許容範囲の内容だと思う。少々決めつけてものを言うようなところがあるものの、気のいい先輩に変わりはない。むしろ康平の目的を知ってもプラスに捉えてくれる要素が彼にはある。まだ短い付き合いだけれど、川瀬はそんな人間だ。
もしかしたら、南波とちょっと似たようなところがあるかもしれない。ふたりを引き合わせたら、先輩後輩や部活の垣根なく、すぐに意気投合しそうな気がする。
「はは。おまえ、よくもまあおれの前で正直にペラペラと……。陸部の名前欲しさに入ってくるとか、駅伝にどんだけのものを感じてんの。そんなに魅力的かねえ、駅伝って」
その読みは見事に当たり、川瀬は呆れた笑い声を上げて康平に視線を向けた。額の汗はもう十分に引いていて、徐々に体力が回復していることが窺える。
あと少し休んだら、もう一本走りに出ないかと誘ってみようと思う。つい先日、東北地方でも梅雨入りが発表されたが、盛岡はそれを裏切る勢いで今日も気持ちのいい快晴だ。
この中を走らなくてどうすると足が疼く。翔琉とのこともあるが、今の康平は走ることが単純に楽しくて仕方がない。川瀬に少し打ち明けたことで心も軽くなっていた。
「そりゃあもう、めちゃくちゃ魅力的ですよ! だって、長い距離を走ってきた先に襷を待ってる仲間がいるんです。それをゴールまで繋いでいくんですよ。チームそれぞれや個人個人にドラマがあって、バックグラウンドがあって。
「お、おおう……」
だから今までになく饒舌になってしまう。こんなに長く駅伝の話をしたのは翔琉以外にはいなかったし、そんなに魅力的かと言う川瀬にちょっとした反発心もあった。
けれど、体を仰け反らせている川瀬を見て、さすがに度が過ぎたとはっとする。
「あ、すみません、めっちゃ力説しちゃいました」
「いや、全然いいよ。戸塚が駅伝をどんなふうに思ってるのかが知れてよかった」
すると川瀬は、ふいに白旗を上げたような苦笑を見せた。
「ぶっちゃけ、駅伝の話が出たときは、陸部の名前を使われてるみたいでいい気はしなかったけど、なにかちゃんとした目的があって入ってきたのはわかってたし、そんだけの気持ちでやってるなら、納得しないわけにはいかないじゃん。純粋に協力してやりたいとも思うよ。戸塚がそこまで言う駅伝ってもんを、おれも感じてみたいって」
「……えっ?」
反して康平は、一瞬、なにを言われたかわからなかった。目が勝手に瞬きを繰り返し、川瀬の言葉を飲み込み咀嚼し、ちゃんと理解するまでにだいぶ時間がかかってしまう。
「なんだよ、その反応は。おまえは一緒に駅伝をやってくれるやつを探しに陸部に入ってきたんだろ? だったらなんで、いの一番におれに声をかけない? おまえより成績が悪いから、はじめから数に入れてなかったとか? だったらめっちゃ心外なんだけど?」
「い、いや……」
直後、ずいっと顔を寄せられ、今度は康平が仰け反る番となった。
確かに川瀬が駅伝のメンバーに入ってくれたら心強いとは思っていた。けれど、そう簡単に首を縦に振ってくれないだろうとも思っていたのだ。個人競技での長距離は五千メートルが最長。駅伝の場合、区間によってはそれ以上になるところもあるというのに、いくら普段から走っている川瀬でも二の足を踏んでしまうんじゃないかと思っていたのだ。
断じて川瀬の成績が良くないから声をかけなかったわけじゃない。ただ、どこまで本気で長距離をやっているかわからない川瀬を前に、後輩の自分が熱すぎる位置から誘いをかけたら逆に断れるかもしれないことに高いリスクを感じていた。そのためにタイミングを計ってもいたし、一緒に走ることでそれを感じられないかとも思っていた。
本気で駅伝大会を目指しているなら関係なくぶつかっていけばいいはずなのだが、それができなかったのは、やはり自分たちの本当の目的がネックだった。あとから「実は……」なんてひょっこり駅伝の輪に入ってこられたら、じゃあ短距離はどうするんだ? ということになり兼ねない。県総体での成績が上乗せされているぶん、それが複雑に絡み合う。
……ここでも間違っていたんだろうか、おれたちは。一瞬の間にさまざまなことが頭の中を駆け巡り、嬉しいはずなのに、康平の頭はひどく混乱してしまった。
そんな康平を見て、川瀬は単に突然のことに驚いているだけだと判断したらしい。どこか挑発的にニッと片方の口角を持ち上げると、なにやら楽しげに声を潜める。
「わかってるだろうけど、このままじゃ全国高校駅伝の県予選には出られない。ちゃんとした陸上部員じゃないとああいうのには出られないって決まってるからな。でも、戸塚がさっき言ったように、助っ人の加入もオーケーな日報駅伝なら、最低限の人数さえ集めれば出られる。――そしておれは、走ってくれそうなやつに何人か心当たりがある」
「え……」
「おまえにはちょっと不服かもしれないけど、岩手日報が毎年主催する日報駅伝は歴史ある大会だろ? 一学だって毎年出てる。だから、ターゲットはそこにしないか」
「日報駅伝……」
「そう。日報駅伝だ」
放心したように口の中で声を転がすだけの康平に、繰り返し川瀬が言う。
ただ単に、今の状況なら日報駅伝が唯一走れる大会だろうかと話題に出しただけだったのだが、思っていた以上に食いついてもらえ、さらに助っ人に心当たりがあると言われてしまえば、嬉しい気持ちよりもまず先に驚きと放心がやってきた。
「……おれ、特別気合いを入れて長距離をやってたわけじゃないんだ。走ること自体はもともと好きだったし、長距離のほうが得意だったから、はじめただけであってさ。だからその先になにか目標や夢があって走ってるわけでもなかったんだ。けど、おまえが入ってきて、急に入賞までした。おまえの走りを見てすげーって思ったけど、めちゃくちゃ悔しかったんだよ。さっきの外周だって、すぐに置いていかれた。そんな自分が情けなくてなんねーんだ。――今、後輩に負けてられっかって、初めて腹の底から本気で思ってる」
「先輩……」
「だから、な。ターゲットはそこしかない。あと五ヵ月、死ぬ気で練習しようぜ」
――日報駅伝。
川瀬の説明のとおり、日報駅伝は岩手日報社という新聞社が毎年主催している大会だ。
その歴史は長く、今年で七十七回目を数える。日時は毎年、十一月二十三日、勤労感謝の日と決まっていて、ダイジェストだが毎年テレビ放送もされている。
一般の部と高校の部に分かれており、一般は一ノ関駅を、高校は東北銀行北上支店をスタート地点に、ゴールの盛岡・東北銀行本店前を目指してひた走る。一般は九五キロ、高校は四九.二キロの道のりをそれぞれ十一区間と六区間で襷を繋ぐのが日報駅伝である。
そこに一学も毎年必ず出てくる。二十三連覇なんていうとんでもない強豪校の一学にとっては、十二月下旬に行われる全国高校駅伝の前哨戦と言える大会だろうか。
六月も半ばを過ぎても新しく部員が入ってくる気配がない現状を考えると、助っ人を起用できる日報駅伝は、自分たちが唯一ターゲットにできる大会にほかならない。しかも川瀬は、自信満々にやってくれそうな人に心当たりがあると言う。川瀬本人も本気だ。
「……マ、マジですかっ⁉」
だいぶ遅れてじわじわと実感が湧き、康平の声のボリュームが一気に跳ね上がる。
思わず手にしていたタオルとスポドリのボトルをぽーんと宙に放り投げてしまうくらい、川瀬からの提案は手放しで喜ぶには十分すぎるほどの衝撃と歓喜だ。
「ははっ。マジだよ。……その声の調子だと、全然不服ではなさそうだな?」
「もちろんですよ! 人が集まらないのはわかってましたから、今年はもうほとんど諦めてたんです! 三年あるうちの一回でもどこかの大会に出られたらって!」
「よかったな。一年のうちに夢が叶いそうで」
「先輩のおかげですよっ!」
ほんとにすげー……! すげーすげーすげーっ‼
康平は次々と湧いてくる喜びを全身で噛みしめる。けして後悔はしていないが、あれから翔琉との仲がぎくしゃくしてしまっていることもあり、その喜びも一塩だ。
「おいおい、どうしたんだよ?」
「ちょっ、戸塚が泣いてるんだけど、なにがあったわけ?」
康平の声を聞きつけゾロゾロ集まってくる部員たちに、言葉にならない康平の代わりに川瀬が身振り手振りを交えながらかいつまんで経緯を説明していく。
ややして、ひととおり説明を聞き終えた部員からは、事情を知っている友井と紫帆を除いて「おおー!」とどよめきが起こった。「駅伝かぁ」や「だから前に福浦と……」などと部員の反応も川瀬とほとんど同じで、川瀬は「そのくだりならさっき一回やったから」なんて若干煙たそうにしながらも、みんなの反応に満足しているようだった。
――ただ。
そこに翔琉の姿がないことに、康平は最後まで気づくことができなかった。
突如として目の前に灯された明るい光があまりに眩しくて。一瞬のうちにすべての問題が解決したような気がして。日報駅伝という初めて明確にターゲットと言える大会ができたこと、心当たりがあるという助っ人の存在にすっかり舞い上がっていた康平は、その嬉しさを噛みしめるだけで精いっぱいで、翔琉がどう思うかを考える余裕はなかった。
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