3.

――千尋の鮮やかな黒い瞳と黒髪が、淡い光に包まれて凍てつくような蒼色に変化していた。何者の侵入も許さない、澄んだ蒼。触れたものをただちに射殺す、冷めた蒼。

千尋が両手をかざすと、彼女が同時に出せる印の限界の数、15個の印が浮かび上がる。生徒だけでなく、敵の一味もざわめいた。

 千尋は笑みを浮かべた。不気味な程美しい笑みを。


「お会い出来て光栄だわ。私は、あなたたちを殺す為に魔法印の力を磨いてきたのだから」


 千尋はにこやかに話しているが、目が全く笑っていない。


「『炎』『強』『強』『氷』『強』『強』『雷』『強』『強』『合』『圧』『線』『尖』『太』『射』――炎よ氷よ雷よ、合わさり交わり喰らい合え。一つになったら敵を討て。塵も残さず殺してしまえ――」


 練武場の中に、ぎぃぃぃぃ……っと鋸を金属に走らせたような、恐ろしい不快音が発生する。炎が生み出され、それが勢いを増して強大化し、氷と雷も同様の現象が起き、それらがぐしゃりぐしゃりと混ざり合い、千尋の前で死を予感させるおぞましい唸りを上げる。射出先は弥生に定められ、レーザーポインターのような印が弥生の心臓に添えられた。真っ白に光り輝く剣先のようなものが顔を出し、ぶるぶると震え出す。触れただけでも恐らく絶命を免れないであろう高エネルギー体が、ありったけの力で圧縮されていく。


「う……わぁぁぁぁぁぁ!!」


 一人の生徒が悲鳴を上げたのを皮切りに、練武場の中が阿鼻叫喚の地獄と化す。

 誰もが千尋の生み出したものを見て、同じことを思った。

 あんなものが放たれたら、この場にいる全員が死ぬ。

 いくら圧縮されているとはいえ、僅かにこぼれたエネルギーが壁や天井、床に飛び散り、まるで初めからそこになにも無かったかのように綺麗に抉れている。恐らく人体に触れれば、痛みさえ感じることなくこの世から消滅してしまう。それは千尋の詠唱の通りだった。

 浩介は目の前の光景に息を呑みながらも、対面――今は生徒たちを庇うような立ち位置にいる弥生を見た。


「……これは予想外ね……。うーん、上手く対処しないとここの生徒が皆死んじゃうわね。私だけ逃げる訳にはいかないし……はぁ、しんどいわ……」


 真剣なんだか分からないことを言っていた。


「おい、神条……っ」


 浩介が千尋に声を掛けるが、千尋は弥生だけを見据えている。


「殺す……っ」


 千尋の言葉に呼応するかのように、千尋の周囲の光が禍々しく歪む。光が踊り狂って千尋の周りを渦巻き、純粋なる蒼色に変貌した髪はエネルギーの奔流で逆立っている。

 今この場で突然湧いた感情ではないということが、千尋の鬼気迫る表情を見て伝わった。

 きっと、千尋の心の奥深くに根付いた深い深い闇があるのだ。それに触れるというのは、きっと今すべきことではない。


 だから――



「……死ねっ!」

「可愛い女の子が殺すとか死ねとか言いまくるもんじゃありません」

「ひゃっ!?」



 千尋の指先に集中していた高エネルギー体が今まさに前方に放たれるという瞬間、浩介は一瞬で千尋の真後ろに回り込み、あろうことか膝かっくんをして千尋のバランスを崩す。そして他の場所を掴んでも問題無いのに、わざわざ両胸をむにりと揉んで身体を後ろに倒した。必然的に千尋が伸ばしていた腕は天を向いて、その直後に高エネルギー体が練武場の天井に向けて放たれた。

 閃光の柱が、天に向かって伸びた。

 魔法印の訓練に使う為特殊な防護壁を使っている筈の天井が、まるでアイスのように容易く溶け消えて、空高くまで光線が伸びていった。恐らく予定通りの軌道で放っていれば、広大な敷地にある校舎の3分の1は焼き払っていたであろう。白い雲に綺麗な穴が空いた所で、高エネルギー体は消え失せた。


「あ、あなた何を……あぅぅんっ!?」


 浩介が千尋の制服の胸元に手を突っ込み、直接揉み始める。


「うるさい。お前あのままやってたら俺らの同級生を全員殺してたぞ、マジで。だからおしおきだ」


 真面目なことを言いながらも、浩介の顔は緩みきっている。


「やっ、そ、それは確かにそうだけど……あぅぅんっ! ちょっと、だめ……やっ! そこつまんじゃ……うぁぁんっ!」

『……………………』


 数秒前までの張り詰めた空気が一変してピンクな空間が広がり、弥生を含めた敵と生徒全員がぽかんとなる。生徒の一人が「良いなぁ……」と呟き、隣の女子生徒に頭突きをされた。

 千尋の蒼くなっていた瞳と髪は、いつの間にか元の艶やかな黒に戻っていた。


「い、良い加減に……しな、さいっ!」


 ようやく起き上がった千尋が、浩介の水月を正拳突きで正確に射抜く。


「おぐほぉっ!? ぐ……や、やるな……」

「うるさい変態。死ね」

「なんでまた印を15個出してんだお前は!? 死ぬわ、マジで死ぬわ!」

「安心して? 今度はきちんと改良して、あなたを取り囲んだ状態で追尾モードにしてあげるから」


 千尋は柔和な笑みを浮かべながら、冷静に浩介を仕留める為の印を展開する。


「何で俺を殺す為にそんな進歩を遂げてるの? 俺のこと好きなの?」

「『炎』『強』『強』……」

「やめてくださいお願いします!」


 浩介が必死で命乞いをしていると、弥生があっはっはと高笑いを上げた。


「ほんとに良いキャラしてるわね……神草くん」

「そうですか、お褒めに預かり光栄でぐはぁっ!?」


 再び水月をぶん殴られた浩介が蹲る。今のは別に良いんじゃないの……? と浩介は思ったが、文句を言えば問答無用でぼこぼこにされるのが目に見えていたのでやめた。

 弥生は浩介を見て満足そうにうんうんと頷いている。


「特に神条さんの性感帯を既に把握している辺り、とっても女好きなのが分かっていいわね。どう、今度デートしてみる?」

「ほ、ほんと……ですか……? ぜひぐほぁっ!?」


 何度も水月を射抜かれる浩介を見て、周りの生徒が「あれ流石に死ぬんじゃない?」「ろくでなしだからそれもやむを得ないと思う」などと話している。

 しかし……と、弥生が真剣な表情になって千尋を見つめる。


「あなたのさっきの瞳と髪の色……やはり、あなたはあの里の血族だと言うことが改めて分かったわ」

「……どこまで知っているの?」


 千尋が訝し気に尋ねると、弥生は肩を竦めておどけてみせた。


「やあね、大人って言うのは秘密を沢山持っているものなのよ? そう簡単に喋ることは出来ないわ」

「そう……なら、力づくでもやぁんっ!?」


 千尋の豊満な尻を浩介がしっかりと揉みしだき、直後に千尋の強烈な後ろ回し蹴りを食らった。脇腹を綺麗に撃ち抜かれた浩介は青ざめた顔で千尋を見る。


「なあ神条、俺そろそろ死ぬと思うんだけど」

「葬儀には顔を出してあげるわ。ココアパウダーを撒いてあげる」

「それ焼香の代わり!? 何て罰当たりなんだ!」


 ていうかな、と浩介が咳払いをして千尋を見つめる。


「あの人……多分、さっきのお前の攻撃も防御出来たぞ」

「……え?」


 浩介の言葉に、千尋は目を瞠った。


「他のモブ忍者だったら闇の印を使おうがその中の空間ごと消滅させてたと思うけど……あの人、俺がお前を後ろに倒した時に、とんでもなく巨大な穴を作ってた。あれなら多分、お前の攻撃を受け止めて、どっかに流してしまうことが出来たと思う。被害が0に抑えられるかは分からんけどな」


 浩介の言葉に千尋が唖然とする中、弥生がくくくと笑った。


「神草くん……良い眼をしてるわね。その通りよ。タイミングをちょっとでも間違えたら私諸共この場所が消し飛んでいたけど、失敗するつもりは無かったわ」


 言って、弥生がぽそりと呟くと、小さな闇の穴が一つ浮かび、途端に巨大な穴になる。


「私の闇の印は特別勢でね。流石に宇宙に繋いで……なんてことは出来ないけど、かなり広い空間が中に広がってるの。部下が作る闇の穴の空間は精々小さいトンネルだったり部屋みたいな空間しか無いけど、私が作ることの出来る空間は……そうね、大体琵琶湖くらいの大きさかしら」

「な……っ」


 浩介と千尋が目を瞠る中、弥生が言葉を続ける。


「それにしても、あなたたち本当に面白いわ。……うーん、……よし」


 弥生が後ろを向いて、部下に呼びかける。


「ここの生徒を連れて、一時的にこのフロアの違う場所に退避しなさい。私はこの子たち2人と闘うから」

『はっ!』


 千尋の言葉にあっさりと従い、敵が一斉に1年生を闇に呑み込んで運んでいく。


「おい! どこに連れていく気だ!」


 浩介の言葉に、弥生は振り返って笑みを浮かべる。


「大丈夫よ、本当にただの退避だから。私……あなたたちと、全力で闘ってみたくなっちゃった」


 弥生がサングラスを投げ捨てると、雰囲気が一変する。練武場の空気がびりびりと張り詰めて、浩介と千尋は自然と身構えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る