5.

浩介と千尋が敵をじっと見る。


「……でかいな……」

「巨大ね」


 同じ感想を漏らす。これだけのタフネスを備えた巨躯の敵となると、一筋縄では行かない。


「あなた、取り敢えず飛びかかりなさい。そしたら私が援護するから」

「それ、もう少し具体的に言ってくれるか?」

「あなたを援護すると見せかけて、背後から最大火力の光線を浴びせるわ」

「具体的すぎるだろ。ていうか俺を殺す気かよ」


 浩介はどん引いた。無謀な背中を千尋の印で攻撃されては、冗談抜きで風穴が開いてしまう。

 ここで大男が初めて動く。2人のいる位置に無造作に巨大な拳を振り下ろした。


「あんたがあいつに試した攻撃は?」

「大量の斬撃を浴びせたわ。ソニックブームみたいな感じで」

「知ってるのかソニックブームを……」


 大男の攻撃を何事も無いかのように躱して、2人は会話を続ける。大男は「ぶるぁ?」と猛獣のような声を上げ、2人が居る方を振り向く。2人は大男から5メートル以上離れた所で、呑気に対策を練っている。


「表皮の硬さが尋常じゃない訳か。となると、一点集中の攻撃が良いか……」

「良いことを思い付いたわ」

「嫌な予感しかしないけど一応聞こう」

「あなたの身体に限界まで『硬』の印をかけるの。そして私が『速』『投』『柔』の印をあなたにかけてあいつに投げれば一発よ」

「俺を人間砲弾にするなよ。ていうか今さり気に『柔』を混ぜたろ。ほとんど生身で突っ込ませる気か」


 浩介がかけた『硬』の印に対して千尋が『柔』の印をかけて相殺しようとしていた。考えただけで恐ろしい提案だった。


「あら残念。ノリで行けると思ったのに……」


 千尋は至極残念そうに八の字に眉を寄せて首を傾げる。美人なだけにそれさえも様になるが、浩介にとっては腹立たしいばかりだ。

 敵がゆっくり近付く。のろりと拳を振り上げて、先程と同様に振り下ろした。さらりと躱した2人が、尚も会話を続ける。


「あんた、あんまりしょうもないこと言ってると本当に揉むぞ」

「永遠に眠りたいの?」

「落ち着け。胸とは一言も言ってない」

「じゃあ、どこよ?」

「……胸、尻、胸、尻、太もも、尻、尻……って感じだな。何気に安産型だよな、あんたの尻って」

「『斬』『斬』『斬』『斬』『跳』『飛』『速』『速』――数多の斬撃よ、跳ねて弾けて切り刻め――」

「うおあぁっ!? あぶっ、あぶねっ……! 『硬』『硬』『硬』『広』『広』『広』――我の身体を守り抜け――!」


 千尋曰くソニックブームのような斬撃が食堂中を飛び回る。浩介は大慌てで逃げ回りながら、受けきれない斬撃を防御力を固めた身体で受け止める。何発かが跳弾のようにして敵に当たったが、まるで気にした様子が無い。


「……はぁっ、はぁっ、はぁっ……何でそんな怒ってんだよ!? 良いだろ、安産型!」

「……あなた、5回くらい死にたいようね……?」


 千尋が耳まで真っ赤にして震えている。浩介は命の危機を感じながらも『可愛いなぁ……やっぱ』などと呑気なことを考えていた。

 浩介が敵を見る。他の敵なら一撃当たっただけでも致命傷になる斬撃を複数受けてもびくともしていない。千尋の言った通りだった。


「……話は本当みたいだな」

「だから言ったじゃない」

「ああ……ところで、俺が一人でやっちゃってもいいのか?」


 浩介の言葉に、千尋は目をぱちくりとさせた。


「……は?」

「いや、だから、俺が一人でやっちゃっていいかって」

「誰が?」

「俺が」

「誰?」

「あのデカいのを」

「出来るの?」

「やれないとは言ってないだろ」

「だってさっき……」

「あれは具体的にどうするか言う前に、あんたが俺を人間砲弾にしようとしたからな。まだ何も言ってなかったぞ」


 浩介の言葉を聞いて尚、千尋はきょとんとしている。


「……私だって手をこまねいているのに?」


 千尋の言葉に、浩介はにかっと笑った。


「誰だって得意分野はあるだろ。あんたがそんなに得意じゃない部分が、俺にとっては大得意ってだけだ」


 浩介はそう言って、悠然と敵に視線を向けた。


「『硬』『硬』『速』『速』『速』『速』――鋼の如き拳よ、目の前の敵を撃ち抜け――」


 浩介の両拳と両足に印が浮かび上がると――

 浩介の姿が、一瞬にして消えた。


「な――っ!?」


 千尋は仰天する。

 千尋が今さっきまで浩介がいた場所から敵に視線を向けると、まるで移動時間が丸々省略されたかのように、敵の前に既に浩介が居た。敵も突然現れた浩介の存在に戸惑うようにきょとんとしている。


「……よっ、と」


 小さく浩介が唸る声だけが、やけにはっきりと聞こえた。

『硬』と『速』の印を浮かべた両拳が、敵の分厚い胸板に猛然とラッシュを繰り出す。一撃一撃がコンクリートをぶち破りかねない威力の打撃を、千尋にも、敵にも目に負えない速度で繰り出した。


「が……っ」


 自分が致命打を数十も打ち込まれた事に反応する余裕さえもなく、敵はゆっくりと倒れ込んだ。ずずん……と物々しい音を立てて、食堂のテーブルや椅子を巻き込む。光を帯びて消えたかと思うと、プレートに浩介のポイントが加算された。


「まあ、こんなもんだろ。大量の敵だったらあんたが相手した方が絶対早いけど、こういう敵なら俺の方が……」


 浩介が振り向くと、千尋は自身を両腕で抱いて浩介から離れていた。


「……なんで?」

「あなた、どれだけ鍛えてるの? 硬と速一つずつでそんなに強化されるなんて……印の習熟度も勿論だけど、元の肉体が相当強くなければあんな風にはならないわ」


 強化系の印は足し算ではなく掛け算、という考え方が一般的だ。『火』『強』の印を出した時、それぞれ5と2程度の力であれば掛け算をして10になるが、強化系の印を使い慣れて5程度の力が出せるようになると一気に25まで跳ね上がる。浩介の場合は掛け算をされる側が肉体なので、印の習熟度とは別で純粋な肉体強度が問われる。千尋から見ても、その強さは異常と言う他なかった。

 千尋の言葉に、浩介は自分の手を握って開いてを繰り返し、苦笑いを浮かべる。


「どういう訳か強化系の印しか使えないんでな。元の身体を鍛えるしか選択肢が無かったんだよ。これでも一応、毎日のように鍛えてるから結構な速度で成長してるんだ……ていうか、そこまでビビられると俺も凹むんだけど」


 浩介が言うと、千尋がほんのりと頬を朱に染めて顔を背けた。


「……あなたに組み伏せられたら、私、印を使う余裕もなくなすがままにされるじゃない。……変態、鬼畜、ど外道」

「それ全部あんたの想像だろ!? 何言ってんだ!?」

「肉体に施す印なら使えるんでしょう? なら、やろうと思えば『淫』だって使えるんじゃないの? そんなものを使われたら、私は……」


 ちなみに『淫』というのは文字通り、肉体にかけるとそういう気分が高まり、肉体の反応も格段に高まる印である。大人が恋人同士で趣味として使ったり、或いは使える人の少なさからそれを利用して仕事として成り立たせている場合もある。


「え、なに、あんた変態なのか?」


 平静を装っているが、浩介の内心は気が気でなかった。千尋の言うことはあり得ない話ではないが、浩介にはもちろんそんな意志は無い。


「でも、あなた。今私が言ったことで、その光景を考えたでしょう?」

「んなこと……っ」


 千尋の言葉で、考えてしまう。

――まずは『速』の印を自身の四肢にかけて、千尋を組み伏せる。続けざまに『淫』を千尋の身体に2重にかけて、その隙に『速』の印を解き、今度や千尋の四肢に『弱』の印をかける。そうしたら後は、意識が朦朧として、とろけきった表情の千尋を……。


「……………………」

「……本格的に想像してるんじゃないわよ、変態」


 千尋が後ずさる。壁に背中が付くと、不安げに浩介を見つめてきた。


「……いや、妄想だから! んなことする訳ないだろ! 第一今は訓練中だぞ!?」

「……その言い方だと、今授業や訓練じゃなかったらやっていたということ……?」


 千尋が壁に背を付けたまま、ずるずると身体の高度を落としていく。浩介を見つめる目が必然的に上目遣いになり、浩介はごくりと息を呑んだ。

 浩介が千尋に歩み寄る。

 千尋はびくりと身体を跳ねさせる。

 千尋の目の前に浩介が立つと――千尋の真っ白なおでこに、ずびしとチョップを加えた。


「痛いわね……」

「俺を変な気持ちにさせた罰だ」

「変な気持ちになるあなたが悪いのよ、この変態。ど変態。色情魔」


 恨めし気な視線を送る千尋に、浩介が手を伸ばす。千尋は諦めたようにため息を吐くと、浩介の手を掴んだ。


「あんたさ」

「何よ」

「ドМだよな」

「『氷』『氷』『氷』『剣』『吹』『荒』――夥しき氷の剣よ、吹雪の如く荒れ狂え――」

「んなぁぁ!? あぶっ、あぶねっ、死ぬ、死ぬ……っ!」


 食堂が一瞬で地獄と化した。

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