2 リメンバー・マンハッタン

 ぴぴぴ、とアラームが部屋に響いたことで、今まで見たものが夢であったようやく気付く。同時にこうも思った。すべてが夢であってくれたらいいと。

 チープな電子音の鳴る目覚まし時計を叩くと、金属がへしゃげ、安っぽいプラスチックの割れるいやな音が響く。アラームよりもその音の方が目覚めに効いた。


「……ああ、くそ」


 ゆっくりとベッドから身を起こし、俺は叩いた目覚まし時計へと視線をやる。正確には、加減を間違えてスクラップと化した目覚まし時計の残骸へと。これで何度目だろう。


 見慣れた部屋を見回した。壁にかけられた無数のトロフィーや勲章。ポスターや2001年、9月11日、すべてが変わったあの日を初めとしたいくつもの新聞の切り抜き。日に焼けて乾き、茶色くなった記事をそっと撫で、冷蔵庫へ向かう。


 シリアルに牛乳を注ぎ、スプーンでかき回して流し込む。ただそれだけに、随分と時間がかかった。少なくとも、CNNのニュースをたっぷり半時間見れるほどには。ワインレッドのスーツに、ブロンドの髪をしたアナウンサーがニュースを読み上げている。マンハッタンでバイク泥棒が急増している。捜査にも関わらず、犯人は捕まらない。エトセトラ、エトセトラ。


「”アイアンマン”が現実になる時が来たのかもしれません」


 そこで俺は顔を上げてニュースに集中した。もしかして、とも思った。分厚い強化外骨格に身を包んだ少女を思い出す。最初に会った時の彼女は『オズの魔法使い』に出て来るブリキのような不細工な鎧を身を纏って空を飛んでいた。確か、2002年のはじめだ。


「とっくの昔に現実になってるぜ。十年以上前に」


 思わずぼやいた。返事をする者はいない。独り暮らしの間に身に着いた悪い癖だった。


「サムライ・コーポレーションが昨日発表した多目的補助スーツ「ゲニンⅠ型」は、社長であるサヨコ・ヤカモト自身が纏ったアーマーから着想を経たものであり、強力なパワーアシストから、幅広い分野での活躍が期待されています。マンハッタンでの発表では――」


 説明と共に、ばかでかいスクリーンに映像を映しながらプレゼンを行う女性の姿があった。クノイチ……サヨコ・ヤカモトがそこにいた。アーマーに身を包んでいたローティーンの頃の面影を残しながらも、大人の女として、ぱりっとしたスーツに身を包んで、多くの人々を前に話をしている。自信で疲れを覆い隠した、あの時と同じようにどことなくゆっくりとした口調。


「ここまで来るのに、随分と苦労しました。なにせ、昔のように放棄された最新鋭の戦闘機や戦車を分解なんて、もう出来ませんから」


 クノイチ、もといサヨコの言葉に会場がどっと沸いた。おれも思わず唇の端を歪めた。ノーテンキな聴衆はグラウンド・ウォーを忘れ去っている。だから、冗談だと笑える。


 全て事実だった。堂々と犯罪行為を言ってのける彼女の肝っ玉の大きさには感心す

るしかない。


 テレビ越しの再開を懐かしむ一方で、彼女の視線から逃れたいと思うようになった。液晶の向こうにいる以上、その視線はカメラへむけられたものであるのに。被害妄想気味の思考を、おれは笑い飛ばせなくなってきているのだ。


 気が付くと、リモコンの電源ボタンに手を伸ばしていた。指先でつつくように、そっと電源を落としたのは、これからの出勤に備えて、現代の鎧たるビジネススーツに着替える必要があったからだ。そう思うことにした。


 外に出て、目の前に広がるのは二つ。海近く都市部へと近づくにつれて高さを増す建物。内陸の郊外へ広がるのは、キャンピングカーややプレハブ小屋といった粗末な家屋の並ぶダウンタウン。おれの家はその中間、正確に言えばぎりぎり都市部というような場所だった。


 少なくとも、ちょっとした庭が合って、中型のスポーツバイクを維持できるくらいには、まともな生活を送れている。莫大な褒賞の使い道が分からないのだ。


 そう言えば、と。このバイクも彼女の産物ということを思い出す。複雑な心持になりながら、鞄に押し込んであったハンドルキーを差し込んだ。チタン合金製の、伸縮可能なそれは時に警棒代わりにもなる優れものだ。バイクそのものもMotoGPで優勝を狙えるだけのスペックがあるという。今ではその機会も無く、おれの最低限の手入れによって通勤用の足となってしまっている。


「悪く思うなよ」


 ぶんとアクセルを吹かし、発進。良い加速だし、素人のおれにも良いバイクであると分かる。ほとんどの日を家と職場の往復で終えるそいつに同情を覚えなくも無い。


「使える場所があるだけ、マシなんだ」


 小さく呟いた言葉は早朝のスクランブルに飲み込まれた。


 通勤時間は、そのバイクの性能もあいまって、それほどの時間はかからない。目指す場所は、海沿いにある、海兵隊の基地であるキャンプ・グラウンドゼロ。遠くに倒れたままの自由の女神像が見えた。倒れた左半身は波に洗われてほとんど削り取られた結果、単なる細長い筒のようになってしまっている。


 マンハッタンも随分と様変わりしたものだと思う。なにせ、経済の中心から、世界を変えた災禍の中心へ。そして今では自由と平和のシンボル――有体に言えば、軍のシンボル的な位置へと。アラモを忘れるな。真珠湾を忘れるな。そして、自由(リバティ)とマンハッタンを忘れるな。新たなスローガンのお題目へと変わったのだ。そのおかげで、志願者は減ることが無い。それが良いことなのか悪いことなのかは、おれの考えるところではなくなってしまった。


 門が見えて来る。と言ってもフェンスのような簡素なものだった。ゲートのようなものはなく、入り口に二人、小ぎれいな野戦服姿でライフルを肩に引っかけている、若い警衛の兵士が二人いるだけだ。速度を落とすと、警衛は大儀そうに近寄ってきた。


「民間人の方は許可証を。軍関係者ならIDカードを」


 気の抜けた声だった。マンハッタン。惨劇の地を守る者がこんな有様で良いのだろうかと一瞬思う。けれども、そんなことを言う資格もおれにはない。


「ほら、早くして」


 警衛の急かす様子に、おれもIDカードを渡す。衛兵は右腕に取り付けた、古めかしいSFに出てくるようなウェアラブルデバイスを起動し、リーダーにIDカードを通す。ロゴをちらりと見ると、サムライ・コーポレーションの名があった。


 やがて警衛の男はふんと笑っておれを見た。ずけずけと、プライバシーもくそもなく踏み込んでくるような気安さ、そしてねっとりとした好奇の目だ。またか、とおれも小さく鼻をならした。


 俳優を見る目だった。それも、大ヒットした奴では無い。家を舞台に泥棒退治をするコメディ映画とか、予定を大きく遅れて完結した有名スペースオペラ映画の子役(赤いサーベルと黒いマスクとマントのあれだ)。その何年後かを見ているような視線と言うと一番しっくりと来るかもしれない。


「今日は何の用事だい、ヒーロー」


 ほら来た。IDカードを突き返しながら、警衛の男はにやりといやらしい笑みを浮かべてくる。


「そうだな。ドーナツとコーヒーを胃に収めて、それから対カイジンの講習だ」

「そりゃいい。頑張ってくれよ」


 警衛の男はいやらしい笑みをさらに深くして、おれの肩をパンと叩いた。


「ありがとう」


 精一杯の余裕、言い換えるならば虚勢を張って、おれはバイクを走らせる。

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