マリーと怪物の森
「マリー。ほら行くよ」
フォックスが、マリーを手招きしている。
彼女を母親のもとへ送るためだ。
「もし、まだママの生活が落ち着かないようなら、戻ってきてもいいのよ」
マリーへ小さな布製の旅行鞄を持たせながら、チェシャが安心させるようにいった。体調もよくなり、身綺麗に整えられたマリーは中流階級のお嬢さんのようだ。かつてストリートで擦り切れるまで働かされていた少女の面影はない。
チェシャはマリーを上から下まで一通り眺め、彼女の洋服や髪型を見立てた自分の手腕に満足した。
「とっても可愛いわ。あなたのママも気に入ると思う」
マリーは恥ずかしげに微笑んだ。
「おい。
名残惜しげに話し込むチェシャにフォックスが苦笑いを浮かべた。『日が暮れちまうよ』と急かす老爺に。
「待って! ちょっとこれだけ!」
と、引き留めて。マリーの胸元にネックレスを下げた。
それは彼女がこの森へ来たとき、ポケットに持っていたネックレスだった。
「これ、大切なものなんでしょう?」
「ママがくれたの」
「そんな大切なもの、人にあげてはダメよ」
胸元に光る銀のクロスをつまみながら、マリーは頷いた。
それから、何かを気にするように家の方へ視線をさ迷わせた。チェシャはそれを察したらしく。
「ごめんなさいね。クロウはお別れが苦手なの」
『泣き虫なのよ』と、くしゃりと笑って見せる。
つられるようにマリーが笑い声をたてた。
「その内忘れた頃にふらっと顔を見せると思うから、その時は優しくしてあげて」
「チェシャ……」
「なぁに?」
「ありがとう」
マリーはチェシャをぎゅっと抱き締めた。
チェシャは嬉しそうに彼女の背中に手を回してハグに答える。
「どういたしまして! さぁ、もう行かなくちゃ。フォックスがしびれを切らすわ」
マリーから体を離すと、チェシャは彼女の肩をつかみ回れ右させた。ようやく話が終わったと見てフォックスが側によってくる。
「やれやれ、忘れられたかと思ったよ。さぁ、もういいかな?」
マリーはもう一度家を振り返った。
目に焼き付けるように眺めていると、窓のカーテンが揺れたような気がした。彼女はその窓へ、優雅にお辞儀をして見せる。それからフォックスに手を引かれ、振り返らずに森を出ていった。
カーテンの奥、小さな少女の後ろ姿を見送る人影があった。
***
「見送りしなくてもよかったの?」
薄いカーテン越しに外を見ていたクロウにキルケは声をかけた。レルネーの屋敷から連れ帰ってから一週間ほど眠ったまま目を覚まさず、その間キルケは彼に付きっきりでいた。
そんな彼女を察して、チェシャもフォックスも事の顛末を尋ねるようなことはしなかった。ただ、クロウの傍を1度だけ離れて出掛けた後、帰ってきた彼女の様子から全て終わったことを理解した。
クロウは軽く首を横に振り、窓から離れてキルケを見つめた。
「ハッピーエンドならそれでいい」
そういって、少し満足げに笑みを浮かべた。
いつになく素直な反応にキルケは少し不安を抱く。
彼は自分の弱さや痛みを表にさらさない。けれど、体に受けたダメージはかなりのもので、すっかり癒えたとは言い切れない。それが分かっているだけに、キルケは彼のどんな些細な変化にも敏感になってしまう。
「ねぇ、クロウ」
部屋から出ていこうとするクロウの後ろ姿を引き留める。
振り返った彼は視線で『何か?』と、問い掛けてきた。その目のグレーの色合いがやさしい。
「私の名前を呼んでみて」
『何を今さら?』そう言いた気に肩をすくめたクロウに『いいから』と名前を呼ぶように促す。
「キルケ」
少し照れたような笑みを浮かべてキルケの目を見つめた。
彼女はその視線をしばらく受け止めて目を伏せる。儚い微笑みを浮かべて納得したように数回頷いた。
「そうよ。それでいいの」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます