拉致

「良い子だねマリー。君に任せて良かったよ」

「これで、ママに会わせてくれるのよね!」


 そのたった二言のやり取りで、レルネーがどんな条件をマリーに持ち出したのかをクロウは察した。必死な面持ちで尋ねるマリーにレルネーは面倒臭そうに目を逸らした。


「そうだったっけ? ごめんね。忘れたよ」


 たいして悪いとも思っていないくせに、レルネーは困ったようすで謝罪をのべた。マリーは予想外の返事に顔色をなくす。


「でも、でも。レルネー様はママを連れてきてくれるって」

「ごめんね。マリー。邪魔なんだ。消えてくれる?」


 お前にはもう用はない。

 レルネーが手を払うように少し動かすと、煙の化け物が一匹マリーへ襲いかかった。素早く繰り出された鉤爪がマリーを捉える寸前、クロウが軌道に割り込んで手をかざす。放たれた風の斬撃に核を破壊され、化け物はただの黒煙に変わり吹き飛ばされて大気へ溶けた。


 飛散した赤い破片が素焼きの瓦上に陽光を受けて煌めく。その光とレルネーの笑顔とを見比べてマリーは涙を浮かべた。


「へぇ、優しいんだ」

「女の子には優しくするもんだぜ。クソガキ」

「まだ元気そうだねクロウ」


 レルネーは引き吊った笑みを浮かべ、再び宝石をばらまいて煙の化け物を呼び出す。宝石が闇の核になるさまを見守りながら、クロウは悔しさに震え涙をこぼすマリーを背に庇った。


「マリー、人を見る目がなかったな。悪い大人ってのは何処にでもいるって言っただろう?」

「ごめんなさい。それでも私どうしても」

「もういい。終わったことだ」


 それより提案がある。俺を逃がしてくれないか?

 罪悪感から目をそらしていたマリーが、肩越しに後ろを振り返ったクロウをみあげる。冷や汗の浮かぶ横顔がほんの少し笑んだ。だがそれは束の間で、すぐに前を向き、油断なくレルネーを伺っている。


 お前を抱えて逃げ切る自信がない。

 だから今からお前を鳥に変えるから飛んで逃げろ。


 クロウは内ポケットから小瓶を取り出して後ろ手にマリーへ差し出した。


 逃げきってからこれを飲め。

 人に戻れる。


 どうしてこの人は私に優しくしてくれるのだろうか?


 それから、これは次いでだが、右側の山の麓に貴族の避暑地があって、そのなかに空色の壁をした邸がひとつだけある。その邸にお前の母親が住み込みの使用人として働いている。


 マリーは驚きに目を見張った。


 お前の母親はなにも知らされずに、未だ孤児院に金を払い続けているそうだ。自分で行ってその事を教えてやれ。


「私貴方に酷いことしたのに」


 貴方を騙して裏切った。それなのに


「これはこっちの事情のせいだ」


 マリーの非は一言もいわずに、『巻き込まれて運がなかったな』と肩をすくめた。まるで、被害を被ったのはお前だと言わんばかりに。


「さぁ、お喋りは終わりだ。悪いが飛び方は教えてやれない。何とか頑張ってくれ」


 マリーは小瓶を握りしめ、クロウに感謝を伝えようとした。


「ねぇ、そっちの用意は良いかな?」


 レルネーが勝利を確信して楽しげに聞いてくる。

 側に佇む靄の化け物に彼らを囲むように指示を出した。


『幸運を』クロウはその言葉を最後に風の刃を四方に飛ばし、マリーを力いっぱい空へ放り投げた。今までにない規模の風圧に瓦がクロウを中心にクレーター状に円を描いてひび割れた。細かな破片が砂塵とともに浮き上がる。その風に吹き上げられてマリーは人形のように空へ飛ばされた。

 浮遊感一転、通りへ落下しながらマリーは一匹の白いハヤブサへと姿を変える。地面に叩きつけられる寸前に態勢を建て直し空へ舞い上がった。


 遠く山が見える。

 その麓に母親の居る邸が建っていると聞いた。

 すぐそこに恋しくてたまらなかった人が居る。でも……。


 旋回して見下ろす屋根の上。

 黒いコートをはためかせ怪物と戦うクロウが見えた。

 マリーはスピードをあげると遠く地平線を覆う森を睨んだ。


 *


 毒のせいで反応が鈍い。

 マリーを逃がしてからレルネーの対応が間に合うか。

 危うい所だがやるしかない。


 マリーを鳥に変え、化け物のうろつく屋根から逃がした後、飛び掛かってくる化け物の目を潰す。


 靄の化け物は切り捨てることはできない。

 確実に核を砕かなければ体を切りつけても煙に切りつけるようなもので意味がないのだ。そのくせ生えた爪や牙は、相手を引き裂く破壊力を持っているからたちが悪い。


 振り回される爪や噛みつこうと飛び込んでくる奴らをかわし、核を潰していく。暴風に舞う宝石の破片がプリズムの光の粒を暗闇のなかに散りばめる。とたんに形を失い黒い煙幕になった化け物の残骸を吹き飛ばし視界を開いた。


 と、暴風にさらわれ棚引く黒い煙のなか、レルネーがいない。すぐ逃げるため転送魔法を発動させたとき、首筋に深々と牙を突き立てられた。

 背後に肘をくれて、行かせまいと体をつかんだ腕から身を引き剥がす。だが、素早く動けたのはそこまでだ。


 一歩遅く不発に終わった魔法がクロウの回りで光の螺旋を描いて儚く消えた。足元がおぼつかず、混濁し始めた意識のなかレルネーの嬉々とした声が響く。


「クロウは本当にお人好しだね」

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