第17話 訓練とお知らせメール。

 俺たちが本格的にダンジョンへ潜り始めたのは、稽古開始より二週間が経過した辺り頃だった。

 シェーラ曰く、ダンジョンで無事に生き残るために最も大切な事は、仲間との連繋らしい。互いのピンチをいかにカバー出来るかが鍵なんだとか。そういった理由で、俺たちは前衛と後衛それぞれの戦い方を身に着けるための特訓を行なっていた。




「トーマは敵の注意を引いて下さい! アサヒは詠唱を開始!」

「はいよ」

「分かった!」


 立ち止まった朝妃の脇を駆け抜け、俺は剣を片手に敵へ突っ込む。対するは、黄ばんだ牙を剥き激しく威嚇するレベル5モンスター《ゴブリン》だ。

 異世界転移直後の俺であればビビって一瞬で背中を向けていたに違いないが、既にダンジョン深層にて巨大オークに追い駆けられた経験がある今の俺にとっては、己の半分程度の身長しかない小鬼など恐るるに足らない。


「……ッ!!」


 鋭い気合を乗せ剣を振り下ろす。ゴブリンの掲げたダガーナイフと衝突し、火花を散らした。俺は動きを止めることなく刃を滑らせるように剣を振り切り、今度はゴブリンの側頭部めがけて薙ぐ。が、やはりこれも避けられる。

 それから何度か剣撃の応酬が繰り広げられた。


 単純な力比べなら俺に分がある。ゆえに本来なら、このあと鍔迫り合いに持ち込んで武器を押し込み、相手が体勢を崩したところで追撃を加えるというのが有効な戦法だ。しかし残念ながら今は『朝妃の番』。俺一人で倒してしまっては意味が無い。

 だから俺は、互いの武器が次に交錯したとき、わざとその刀身を弾ませよろめいてみせた。


「ギャァァアア!!」


 それを隙と見たゴブリンが勝ち誇ったように吼え、短剣を突き込んでくる。

 そのとき、青白い残像を引いて、ヒュンッという鋭い風切り音が俺の耳元を通過した。次いで響き渡る嗄れた悲鳴。

 仰向けに倒れたゴブリンの胸に、一本の氷柱が突き刺さっていた。ヤツのHPバーが見る間にその幅を減らし、呆気なくゼロになる。白い発光体の群れが洞窟内を淡く照らした。

 

「やった〜〜っ! やっと噛まずに言えた!」


 ガッツポーズとともに朝妃が歓喜の声を上げる。横で指南していたシェーラも軽く拍手をした。


「今のは発動タイミングもぴったりでしたね。狙いに関してはまだ改善の余地がありますが、及第点といったところでしょう」

「えー、シェーラちゃん厳しいよー……」

「戦闘訓練において意識が高すぎるという事はありません。むしろ向上心を失ってしまった時こそ、現役から退くべき時です」


 わーお、ストイックぅ! しかし言っていることはあながち間違いでもあるまい。前にテレビのドキュメンタリー番組かなんかで、スポーツ選手も似たようなこと言ってた気がするし。それに、もう少し狙いがズレていたら俺の後頭部に直撃していたのも事実だ。


「これで二人とも第一段階クリアか……。次はもう少し下層でやろうぜ」

「えっ、でも大丈夫かなぁ……」


 不安げにきゅっと杖を握り締める朝妃に、シェーラが優しく笑いかけた。


「大丈夫ですよ。十層程度ならアサヒも今と変わらない調子でやれるでしょうし、本当に危ないと感じたときはすぐに私が入ります」

「なら問題ねぇな」

「……ですが、トーマは少々相手を見くびり過ぎです。確かにお前にとっては取るに足らぬ相手かもしれませんが、もう少し気を引き締めて戦いに臨んで下さい」


 念を押すように、厳しめの口調でたしなめられてしまった。

 しかしそうは言われても、攻撃を受けたところで痛みを感じず怪我もせず、敵とのレベル差が20もある上に、もし危険に陥ればシェーラが介入することが分かっているという状況下で、油断するなという方が無理な話だ。

 とは言えシェーラの眼差しは至って真剣で、とてもそんな口答えが出来る雰囲気ではなかった。


「……以後気をつけるよ」

「良いでしょう。それでは十層へ向かいましょうか」


 満足げに頷いて歩き出したシェーラの後を、俺と朝妃も足早に追った。




 ***




 やはりというか案の定というか、五層下りた程度では敵の強さに然したる変化は無かった。一つだけ差があるとすれば、敵の最大ヒットポイントが増加したことによって、朝妃が一撃で仕留め切れなくなってしまったことか。

 まぁ俺が予めダメージを与えておけば良いだけの話なので、だからどうという訳でもないのだが。




「ぐるあっ!!」


 獰猛な雄叫びとともに、頭上から肉厚の刃が打ち下ろされた。

 パワータイプの敵の攻撃は、まともに受けないのが基本だとシェーラに教わった。範囲攻撃の恐れがある場合はその限りでも無いらしいが、これだけ低レベルの敵が相手ならそんな心配もあるまい。

 だから俺は剣先を下げたままそれを躱すと、相手が次の攻撃モーションへ移るより先、一気に懐に飛び込んだ。

 すれ違いざま敵の脇腹を浅く斬りつけ、走り抜ける。ある程度距離を取ってから振り返ると、HPを二割ほど減らしたレベル10モンスター《コボルド》がその瞳を怒りに燃やしていた。


 ――もう十分か。


 俺は再び剣を下段に構え、コボルド目がけて地面を蹴った。

 コボルドは頭部がイヌだけあって、やはり人型モンスターより学習能力に劣るらしい。またしても俺を迎えたのは力任せの斬り下ろしだった。

 対する俺は渾身の斬り上げで対抗。無論それだけ力めば弾かれた後にバランスを崩すのは必至で、俺は当然のごとく尻餅を搗いてしまう。一方のコボルドは2メートルに迫る身長もあってか、たたらを踏むに留まった。


「今っ!」


 合図と同時、ボッ! という発火音とオレンジ色のライトエフェクトが前方より届く。直後、朝妃によって放たれた火球が、緩やかな螺旋軌道を描いてコボルドの後頭部へと迫り――。

 ところがその寸前、俺より一足先に体勢を立て直したコボルドが、突然右への跳躍を試みた。


「はぁ!?」


 まさかの回避に、直線上にいた俺も慌てて身を投げ出す。肌を焼くような熱風が背中のすぐそばを通り過ぎて行った。僅かな間を置いて、ボォンッ!! と激しい爆発を伴い反対の岩壁に着弾した。

 着地した俺は再びコボルドへと視線を戻してから、思わず苦笑を零した。ったく、マジで何つー反射神経してんだよ……。あのタイミングから完全に避けられるとか、流石に予想できんわ。そして当然、朝妃にとってもそれは同様だったらしく、次なる詠唱を開始しようともせずに慌てふためいていた。


 ――あー、これはダメなパターンですね……。


 まず朝妃のミスは、攻撃に火属性魔法を選択したことだろう。火属性魔法は《燃焼》による継続ダメージが発生する分、他属性より威力に優る。が、それと引き換えに弾速が遅いのだ。だからコボルドのように身軽で反射神経の優れた敵には、概して命中率が低くなる。

 また、俺にもミスが無い事もない。上層でのゴブリン戦にて、俺は危なく朝妃の魔法の餌食になるところだった。恐らくそのことを無意識の内に危惧し、敵と朝妃との間に自分がいないような位置取りをしてしまったのだろう。己の役目が《盾》であるという前提を、完全に失念していた。

 結果、コボルドの意識が朝妃に向き、彼女がいつ標的にされてもおかしくない上、二者の間に割り込むには距離がありすぎるという状態になってしまったのだ。


「面倒くせ……。もういいや」


 俺は溜め息を吐き出しながらゆっくり立ち上がると、剣を上段担ぎ気味に構えた。俺の意図を読んだらしく、朝妃のそばで戦闘を傍観するシェーラが首を振ったが、知ったことか。朝妃のペースに合わせるのもいい加減飽きたんだっつの。

 そんな俺の気持ちを顕現するかの如く、剣に眩い光が宿る。何かを感じ取ったように、コボルドが両耳をピンと立たせてこちらを向いた。


 コボルドが完全に視界に俺を捉える直前――俺は姿勢を低く、地面を蹴った。

 突進も含めて《技》として設定されているようで、普段ならあり得ないほどの速度で接近する。俺を迎え撃つべくサーベルを掲げようとするコボルドだったが、俺からすればその動きすらもスローモーションのようだった。


「じゃあな、イヌ野郎」


 己の得物が肉を引き裂く感覚とともに、耳をつんざく断末魔の叫びが響き渡った。




 ***




「冬馬ごめんっ!!」


 朝妃がすぐさま駆け寄ってきて、俺の前で手を合わせた。普段の俺ならお小言を垂れているところだが、自分の過ちも自覚している今、そう強くも言えない。けどせめて理由だけは聞いとかないとな……。


「何でさっきまで氷属性ばっか使ってたのに、いきなり火属性にしたんだ?」

「だってさっき一発で倒せなかったから……」

「やっぱそうか……」


 そんな理由じゃないかと思ってたんだよなぁ。

 するとそのとき、遅れて俺のもとへ歩いてきたシェーラが、朝妃と俺の間に割り込むように立ちはだかった。合図を無視したことがそんなに気に入らなかったのか、予想以上に険しい顔つきで俺を睨み付けている。


「トーマ、お前が倒してしまっては意味が無いでしょう。投擲物で注意を引くなど、他にもやりようはあったはずです」

「や、なんか面倒くさくて――」

「ふざけないで下さい」


 出かかった言葉をぴしゃりと遮られた。語気が強い。ははーん、やっぱり何だかんだ言ってシェーラもお姫様なんだな。そう考えれば、自分の指示を無視されて怒りだしたのも納得がいく。オホホ、教育がなってませんことよ〜。

 と、そんな俺の内心などつゆ知らず、シェーラは厳しい表情のまま言葉を継ぐ。


「……私は……お前のその、すべてを侮っているような目が嫌いです。きっと今も、指示をきかなかったことについて私が腹を立てているとでも思っているのでしょう」

「……」


 見事に言い当てられ、俺は思わず口を噤んだまま瞠目した。

 シェーラが更に続ける。


「いいですか、何度でも言いますが、仲間との連繋はダンジョンで生き残るために最も重要な要素です。その訓練を蔑ろにするような行為は控えて下さい」

「……それは分かった。けど、何でそんなに連繋に拘るのか分かんねぇな。一人ひとりが強くなった方が断然生き残る可能性が高くなるだろ」

「いいえ、確かに個々の力を鍛えれば危機に陥る確率はぐっと減るでしょうが、しかしどんなに強くとも、危機を経験しない人間など存在しません。ならば互いにカバーし合うことで確実に危険を回避していく方が、よほど安全なのです」


 そう説明されたことで、ようやく俺の中で納得していなかった部分が解消された。なるほどな……どうやら完全に俺の思慮不足だったらしい。しかし、だとしても、それでは多少意識の食い違いが発生してしまう。


「シェーラの言ってることは納得した。確かにその通りかもしれない。けど、俺達には時間が無いんだ。こんなにちんたらやってたんじゃ、いつまで経っても強くなれない」

「お前の焦る気持ちは理解出来ますが、こればかりは妥協出来ません。命に関わる問題です。言い方を変えれば、お前たちの連繋力を鍛えるのは、いずれ背中を預ける事になるだろう私自身の保身のためとも言えるのです」


 それを言われてしまったら、もう俺には何も言い返せまい。残念ながら、今は俺たちの教育係として当てられたシェーラの言うことに従うしかないようだ。


「……分かった。じゃあまたコボルドを探そう。次はさっきの失敗を――」


 言いながらあるき出そうとしたその時――。

 ピンポロパンッという軽快な二つの着信音が重なってダンジョンに鳴り渡った。それとともに、視界中央に自動ポップアップする【新着メールがあります】の文字。俺と朝妃は思わず顔を見合わせると、同時にそれをタップした。


【送信者:神様】

【件名:お知らせメールじゃ♪】


 そんなふざけた文言の後に問題の本文が綴られていた。

 その内容に関して、朝妃は事の重大性をあまり理解出来ていなかったようだが、俺は確かな焦燥感を覚えた。恐らくレベル制RPGをプレイした経験のある人間ならば、皆一様にこう思ったことだろう。このままのんびり修行してたんじゃダメだ、一刻も早く強くなる必要がある……と。

 文面を凝視したまま固まる俺に、シェーラが訝しげに顔を覗き込んできた。


「トーマ、どうかしたのですか?」 


 先ほど俺は、シェーラに従うことを決めたつもりだったが、前言撤回だ。もう、なり振り構ってなんかいられるか。

 俺は彼女に向き直ると、両の瞳をじっと見つめて、持てるだけの誠意を込めて言葉を口にした。



「シェーラ、提案がある」

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