第08話 初めての魔物。
「やったっ!」
「おー……」
と、朝妃が胸の前でガッツポーズをするのと一緒に、俺も思わず小さく拍手をしてしまった。
魔法でダメージが減ったところを俺がトドメを差そうなどと、若干セコい事を考えていたのだが、この分だとどうやら俺の出番はなさそうだ。そのことを少々残念に思いつつ視線を外そうとした、その時――。
煙の中から、何事もなかったかのようにモンスターが姿を現したのだ。
身長2メートルを超える巨体と、アメコミヒーローを
だが、俺が驚いたのは、その異様な外見に対してではない。
奴の頭上に表示されるHPバーが、未だ九割方残っていることにだった。
火球が炸裂したのを、俺はこの目で見た。だから回避されたという可能性はあり得ない。それにヤツは、粗雑な
ならば、ダメージを与えられなかった理由は何だ?
その一瞬の間に、ありったけの脳細胞をフル稼働させて疑問の答えを必死に探した。そして見つけた。敵HPバーの、更に上。
レベル55《オークウォリアー》。
その固定表示を目にした途端、俺は全身の毛が逆立つのを感じた。
当然だ。
レベル1の駆け出し冒険者が、いきなり50以上ものレベル差がある敵に挑むなど、聞いたことが無い。むしろ一割足らずにしろダメージを与えられた事が、もはや奇跡と言えるだろう。何故こんな高レベルモンスターが……。
と、その思考を掻き消すかの如く、俺の視線の先でオークが唾液を
「ウゴアァッ!!」
憤怒に赤く染めた瞳を爛々とさせ、威嚇するように地面を踏み鳴らす。怒号を上げながら両手の得物を幾度も床へ叩き付ける。砕けた石片が宙を舞う。
そうして交差させた武器を両サイドに払うや否や、ぐっと身を低く構えた。
その際、咄嗟に俺が『ヤバい』と思ったのは、もはや直感に近かった。
原始的な恐怖とでも呼ぶべき一生物としての本能に突き動かされるように、叫びながら
「走れ!!」
幸い、その一言で彼女も事態の
オークは、獰猛極まる雄叫びを迸らせながら背後に迫る。
「ガアアアァァッ!!」
朝妃は、女々しい悲鳴を上げて疾走する。
「きゃあああああああ!!」
俺も、情けなく悲鳴を上げて疾走する。
「うわあああああああ!!」
たぶん二人とも、おそらく学校の体力テストの時なんぞより余程速く走っていたろうと思う。オリンピックの短距離走選手もかくやという見事なフォームで、一心不乱に逃走し続けた。
もし洞窟が真っ直ぐに伸びていたなら、きっとあっと言う間に追い付かれていただろう。しかしここは迷宮。俺たちは何度も折れる幅広の通路をコンパクトに曲がれるが、奴はそうはいかない。
それでも、圧倒的な歩幅の差から、両者の距離は着実に縮められつつある。
角を曲がり切れず緑色の巨躯を壁に激突させる音が、すぐ後ろで轟く。それにビビった俺は両脚の回転を更に上げた。
「朝妃っ! このままだと追い付かれる!」
「でも、だったらどうするの!?」
「次の角で、曲がってすぐの壁に張り付いてやり過ごす! いいな!」
朝妃が無言でこくっと首肯した。
コーナーまであと10メートルという所――。
背後から、ぶおんっという低い風切り音がした。刹那、首筋を鋭い風圧が掠め、つい数瞬前まで俺の足があった地面を凄まじい地響きとともに肉厚の刃が断ち割った。
弾け飛んだ細かな
あと5メートル。
僅かな静寂ののち、またも震動音が響く。オークが猛進を再開したのだ。だがその時すでに、俺たちは曲がり角に差し掛かっていた。
「ここ!!」
という俺の合図に合わせて、二人して片足で制動をかける。朝妃はカーブギリギリで、俺はその外側を若干大回りに曲がりながら、疾駆の勢いを利用して全身を壁際に寄せた。びたーん! と背中を強か打ち付けるが、やはりダンジョンへ迷い込んだ折と同様、痛みは感じない。
「グオオオオッ!」
狂暴な咆哮を轟かせて、朝妃の脇を緑の巨体が通過する。流石にカーブにも慣れてきたらしい。オークは携えた剣を巧く利用して、壁に激突することなく滑らかに角を曲がったあと、俺たちの目の前を猛然と過ぎて行った。
どすどすと遠ざかってゆく足音が完全に聞こえなくなった途端、体中に張り詰めていた緊張が一気に解かれた。
「ふぅ~~~~」
長く息吹きながら、ずるずると崩れ落ちるように座り込む。
きっと朝妃も同様の感覚を味わっているはずなのだが、しかしどうしたことか俺が隣に視線をやると、彼女は未だ壁に張り付いたまま微動だにしていない。
「朝妃、どした」
という俺の問いかけに、朝妃が言葉で答えることはなかった。
代わりに、ギギギ……と音がしそうなほど錆び付いた動きで、彼女がこちらを向く。浮かべているのは、『ヤバい、やっちゃった』とでも言わんばかりの引き攣った表情。その視線がゆっくりと動き、自身の手元を示す。
釣られて、俺も壁面に押し付けられた朝妃の手に目をやった。
壁の一部が、不自然にへこんでいた。
まるで朝妃の手が。
そこにあった何かを、壁の中へ押し込んでしまったかのように。
「おま……まさかそれ、トラッ――」
俺が言い終わるよりも早く、足元の床が無くなった。
正確には、ばかっと開いた。
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