涼宮ハルヒの妄想

神無月招央

プロローグ

 目に入ってくる見知った部屋の光景を認識すると、さっきまで自分のいた場所やしていた事の記憶が煙みたいに掻き消えて行く。なんとかその記憶を繋ぎ止めようとしても両手で汲み上げた水みたいに海馬という指の間を零れ落ちて行く。夢なんてのはそんなもんだ。

 時々思うように体が動かない、手足に鉛でもくくり付けてあるんじゃないかと思うほど、自分の体が鈍い事がある。それは大概夢の中か、そうじゃなかったら知らない間に風邪をどこかの馬鹿(谷口)からうつされているかのどっちかだ。風邪の時はその馬鹿(谷口)に恨みの念を送りながら保健室へ行くだけだが、夢の中だとちょっと得をした気分になる。

 自分が今夢の世界にいるのだと意識することが出来れば、そこは自分が全てを支配出来る、言い変えれば何をしてもお咎め無しという素晴らしい世界に降り立つことが出来ているわけである。道の真ん中で大声を上げて歌を歌っても奇異な目で見られることはないし、ファミレスで普段は頼めない肉厚のステーキセットにデザートとドリンクバーを付けたものを食っても財布はイタまないし、無免許の俺が路駐してある峠仕様にカスタムされたランエボに乗って、街中を交通規制を完全に無視した走りをしても警察が飛んできたりはしない。それは夢の中なんだから当たり前だし、仮に自分にとって何らかの不測の事態に陥ったとしても、現実の世界に戻れば全てが帳消しになっているのだから問題はない。

 そして俺はまさにその状況で、今自分がいるのは夢の中であると確実に認識している。それは決して肢体が鈍いという根拠じゃあない。俺の横に純白のウェディングドレスに身を包んだ朝比奈さんが、俺に満面の笑みを浮かべながら神父の誓いの言葉を一緒に聞いているからだ。

 別に朝比奈さんとの結婚に不満があるわけじゃない。むしろ望むところである。しかし未来人である朝比奈さんが俺とこの時代で結婚式を挙げるということは不可能な事であるから夢としか考えられない。

 もしかしたら、本当はここは現実で、今は思い出せないが俺と朝比奈さんとの超えるにはあまりにも高く、壊すにはあまりにも強固な壁をどうにかこうにか排除して、結婚というまさに夢のようなゴールに辿り着いているのかもしれんが、ハルヒが静かだったり、長門が笑っていたりと、朝比奈さんとの結婚以上にありえないものが視界の端に映っているので、夢であるとしかやっぱり思えない。

 しかし、いいのだ。これが夢だろうと現実であろうと、今朝比奈さんが俺の横で誓いのキスを待ちわび、つぶらな瞳を瞼で隠している姿は確かなのだから、俺は形式に則りやることはただ一つである。理性なんてものは教会裏の野良犬に食わせてやったさ。

 夢の中でもあなたの愛らしさは変わりませんよ、朝比奈さん。

 朝比奈さんの可愛らしい顔にかかる白いヴェールを静かに上げて、ぷっくりとした唇をめがけて顔を近づけて行く。そして俺も目を閉じた。

 瞬間だった。

「………、おい、………起きろっ!」

 俺の耳に男の声が乱入する。それが自分の名前である事を理解した途端、俺の脳が急速に活動を始め、半分寝ていた意識を完全に呼び起こす。瞼を開けたとき、俺の目に入ってきたのはキスを待つ朝比奈さんの花嫁姿ではなく、半袖のポロシャツ姿の担任だった。

「いくらホームルームだからって、居眠りしてるんじゃないぞ」

 担任は俺にそう注意すると、今度行われる体育祭についての話をし始めた。話の感じから、すでに内容の半分は話し終えているようである。

 まったく、なんとタイミングの悪い担任か。午前中勉学に勤しんだ生徒に対しての行動とは思えないね。ホームルームくらい寝かせておいてもらいたいもんだ。しかも朝比奈さんとのキスを目の前にして起こされたのには悪意さえ感じる。起こしたのが担任でなく、谷口や国木田辺りだったら間違いなくグーで殴っていただろう。

 まだ鈍く付きまとう眠気の妖精を振り払う。出来れば、もう一度眠りについてさっきの夢の続きを楽しみたいところだが、体育祭の種目の選手を決め始めたようで、ここで寝ていたら厄介な種目をまわされかねない。

 俺は頬杖をつきながら黒板に箇条書きされている幾つかの競技に目を配った。

 またベタな競技ばかりだ。多分、ハルヒが体育祭の実行委員に所属していて競技内容を決めるような事があれば、とんでもない競技を入れてくるんだろう。そんな事を思わせるほどに在り来たりな競技だった。

 俺の後ろの席にいる涼宮ハルヒに一瞥を送る。

 ハルヒは気持ち良さそうに寝息を立てていた。

 男女平等の世界はどこにいったんだろうね。

 俺は担任に殺意を覚えざるを得なかった。

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