第30話 悪魔の歌姫
アルテミシア城から離れた場所に設営されていた医療キャンプが攻撃を受けていた。大半の騎士たちが城へと進撃していたため、ここには最低限の護衛と傷ついた騎士たちしか残されていなかった。
「てやああああ!」
レンカの鋼線で動きを封じた魔物に肉薄したキッカがダガーを引き抜く。迷わず致命の一撃を入れるとその倒れるのも見届けず二人はすぐに走り出す。二人は先の任務で負った怪我が完治していなかったこともあり、この場所でフジたち医療スタッフの護衛とその手伝いを任されていた。
「フジ先生! エリカちゃん!」
火の手が上がる中、その名を必死に叫ぶ。フジのいたキャンプは他のどこよりも真っ先に攻撃を受けていた。そのため倒れている者も他の場所よりも多いが、二人の姿はまだ見つからなかった。
「キッカ。フジ先生とエリカちゃんがあそこに!」
崩れた建物の前で傷つきながらも背にエリカを庇いながら三体の魔物の前に立ちはだかるフジの姿がそこにあった。
「術式展開――――『加速』!」
「術式展開――――『加速』!」
迷わずキッカとレンカは魔術を発動した。高速で二人の下へ向かいながらキッカは両手でダガーを引き抜き、今まさに二人に飛び掛かろうとした魔物へ向かって投擲する。
放たれた二本のダガーは魔物の首に突き刺さる。残るもう一体はレンカが
「はああああ!」
力いっぱい振り下ろしたダガーが魔物の背に深々と突き刺さった。心臓を貫かれ、断末魔と共に魔物は倒れ込んだ。
「キ……キッカちゃん、レンカちゃんも」
「フジ先生、エリカさん……よかった無事で」
「フジ先生が守ってくれたんです。でも、そのために酷いケガを」
フジの右肩は魔物の爪に引き裂かれ、真っ赤に染まっていた。幸い動脈は傷ついていなかったようだが、すぐに治療をする必要はあった。
「……そばにいたエリカちゃんを守るので精一杯だったよ。ごめん、他の皆が襲われているのに、何もできなかった」
悔しさを覗かせるフジ。皆の命を守りたい一心でこの戦いに加わっていたフジにとって、目の前で命が奪われる様を目撃していたのは何よりも辛いものだった。
「それでも……二人が生きていてくれてよかったです」
「早くこの場から離れましょう。傷の治療もしないと――っ!?」
レンカがとっさに四人を覆うようにして
「くうっ……!」
「レンカ!」
「だい……じょうぶ、です」
攻撃が止み、レンカは
「きゃははは。ほんと便利ねその
「……最悪」
「この声は……!」
キッカもレンカも顔をしかめる。この無邪気で残酷な子供のような声は二人にとって一度聴いたら忘れられないものだった。
そして、声の主はその姿を炎の向こうから現す。見覚えのある銀色の髪、ルビーのような真っ赤な瞳。嫌でもその容貌は一番親しい魔族の少女を思い出させる。
「でも、一思いに死ねた方が幸せだったんじゃない。死にぞこないのお二人さん?」
「……確かアコって名前だったっけ」
「……ええ」
山で魔族に追われた時が二人の記憶に蘇る。あの時はドラセナとアキレアが体を張って食い止めてくれたことと、マリーが一芝居うってくれたお陰で逃げ延びることができた。だがここにはそのどちらもいない。
「やっぱり生きてたのね。マリーが殺したって言ってたけどやっぱり嘘だったんだ」
「この魔族が……マリーの……」
エリカも事情を知る一人として、マリーと魔王の関係は教えられている。そして目の前にいるのが親友の姉であることも理解していた。だが、その彼女の冷たい眼から放たれるのはマリーとはまるで違う人間に対する嘲りの感情だ。
「あは、そこにいるのはマリーのお友達かな。ちょうどいいわ」
アコがその手に魔力を集めていく。姉としての優しい言葉のようで、ただ自分の欲望に正直な魔族としての人間を蔑む感情が嫌になるほど伝わってくる。
「一緒に殺してあげるね」
まるで、虫を潰すような感覚でアコは光球を放り投げた。高密に圧縮された魔力の塊。しかしキッカはすぐに「付与」を使い、魔力を帯びたダガーでそれを打ち払った。
「……へえ」
「レンカ、やるしかないわよ!」
「……ええ!」
先の戦いで魔族たちが自分たちの実力をはるかに超えているのはキッカもレンカも身をもって理解していた。本当ならば戦わず逃げるのが得策だ。だが負傷したフジも子供のエリカも早く走ることが難しい。王国騎士として、フロスファミリア家の者として、二人に戦う以外の選択肢は残されていなかった。
「……この間の鬼ごっこのスコア、訂正しないと」
「行くわよ、レンカ!」
「はい、キッカ!」
「――二人殺して、私の勝ちって!」
再度放たれた光球はキッカとレンカを狙った。それを魔力を帯びるダガーと
「フジ先生、エリカちゃん。ここは私たちに任せて!」
「今の内に逃げて下さい!」
「させないよ!」
アコが足下に光球を叩きつけた。爆炎と煙でキッカたちがその姿を見失う中、魔法でアコは空中へと飛び上がる。天にかざした両手に魔力を集めて歌い始める。
「――星はきらきら瞬いて」
「しまった!?」
魔力が形を変える。空に光る五線譜が引かれ、輝く音符がアコの歌に合わせて配置されていく。それはまるで昼間に出現した星空。彼女が言葉を紡ぐほどにその数は増え、一つの楽曲として完成していく。
「雨のごとくに降り注ぐ!」
アコが両腕を振り下ろす。無数に空に展開した光球が一斉に四人めがけて降り注いだ。
「キッカ、伏せて!」
レンカが
「残念でした。その防御はもう通じないよ!」
しかし先ほどの一撃と違い、今度は型を使ったアコの独自魔法。防いだと思った矢先に網目の様に張り巡らせた
「そんな――!?」
鋼の盾の裏側で光が炸裂する。残る光球も舞い上がる黒煙を蹴散らすように降り注ぎ、辺り一帯を広範囲に爆撃する。
「あ……う……」
「レンカあああっ!」
「キッ……カ…わた…し…に構わず……先生たち…を」
「――っ!」
フジとエリカのいた方へとキッカは振り向く。アコの広範囲への爆撃は二人にも及んでおり、とっさにエリカを庇ったフジは全身に傷を負って倒れていた。
「先生、しっかりして下さい! 先生!」
「はやく……逃げるんだ…」
「逃がさないよー。誰一人」
空からアコが二人に向けて手をかざす。今からどこへ逃げても彼女の魔法はエリカか、フジのどちらかに直撃する。手の平に魔力が集まる時間がフジとエリカには迫る絶望までの秒読みだった。
「くっ、武器が!」
「これで……ゲームオーバー!」
「フジ先生! エリカちゃん!」
キッカはダガーを投擲しようとするが、先のアコの魔法でホルダーが破壊されており、ダガーの柄をつかもうとした手は空を切る。
そして、身を寄せる二人へとアコの光球が放たれた。避ける手段も防ぐ手段も持たない二人は爆発の中へとその姿を消す――。
「――やれやれ、間一髪でした」
「……あ」
だが爆炎は二人を脅かすことはなかった。目を開けた二人はその前に立つ若い男が魔力の防壁でアコの魔法を防いだのを見た。
「ただの人間ならば守る義理などないのですが……この二人に限っては仕方ありません」
「お前は……!」
「マリー様の主治医と一番の友人を失うわけにはいきませんので」
「……ノアか」
フジが自分たちを守るその男の名を口にした。ノアは不敵に笑いながら腕を振って爆炎を吹き飛ばす。視界が開けて彼の姿を認めたアコもまた、面倒なものが現れたと顔をしかめて舌を打つ。
「アコ様……マリー様の姉君と言えど消えていただきます!」
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