第20話 足りない力

「…………う…」

「気がついたか、レンカ」


 額に伝わる冷たさと全身に走る痛みにキッカは目を覚ました。そして、自分の額に濡れたタオルを乗せて介抱している人物をその眼にとらえる。


「オウカ…様……私、どうして?」

「二日前に王都近くの川でお前とレンカが流れ着いていたのが発見されてな。フロスファミリアの屋敷に運んでもらったんだ」


 徐々に焦点があって来たキッカは、ここがフロスファミリアの屋敷にある自分の部屋であることにようやく気が付く。そして、徐々に頭が働き始め、オウカの発した言葉に戦慄を覚える。


「二日も……!? いけない、こうしてる場合じゃ――いたっ!」

「無理をするな。先に目覚めたレンカから話は全て聞いている」

「……そうですか」

「よくやってくれた。お前たち二人が持ち帰ってくれた情報のお陰で侵攻に対する準備を進められる」

「二人……あの、ドラセナ隊長は」


 キッカの問いかけにオウカは視線を逸らした。そして、誤魔化すべきではないと判断したオウカははっきりと口に出す。


「アキレアともども未帰還だ。調査隊で生存が確認されているのはお前とレンカだけだよ」

「……ごめんなさい」

「謝るな。私もドラセナも王国騎士団として任務に就く以上は覚悟の上だ。ドラセナは任務遂行のために最も確実な方法をとったに過ぎない。お前が責任を感じる必要はない」

「でも……私たちが――いえ、私がもっと強ければこんなことには!」

「気にするなと言っている」


 行き場のない感情を自分にぶつけ、責め続けるキッカをオウカは強くその胸に抱き寄せた。そして落ち着くようにゆっくりと、優しく語り掛ける。


「……魔族に襲われて二人も帰還できたことが奇跡的なんだ。これは最大の戦果と言っていい。お前たちも、ドラセナもよくやった。これ以上を望むのは贅沢というものさ」

「うっ……うう」

「なに、ドラセナが死んだと決まったわけじゃない。あいつならしぶとく生き残る術を知っている。きっと遅れながらも駆け付けてくれるはずだ」

「はい……」

「後は私たちが引き受ける。今は休め、キッカ」


 キッカを再びベッドに横たえさせ、侍女に後を任せると伝えてオウカは部屋から出た。そして廊下を進み、誰もいない静寂の中で彼女は不意に立ち止まった。


「くっ――!」


 オウカはその拳を壁に叩きつけ、一瞬だけ過った最悪の想像を痛みで振り払った。


「……フジに何と詫びればいいんだ」


 王国騎士として命を落とす覚悟をしているというのは嘘ではない。だがそれを受け入れられるかと言えば話は別だ。

 ドラセナにはまだ幼い子供が二人もいる。それを残して逝くのはあまりにも無念に違いない。しかも、それに関わったのが行方不明だった愛娘マリーだ。もしもの時にはフジに対して申し開きの仕様がない。


「オウカ」

「……トウカか。すまない、見苦しい所を見せた」


 そんな混乱の極みにあったオウカに声をかけることができたのは、もう一人の母親トウカだった。


「……信じよう」

「それはドラセナとアキレアをか。それともマリーをか?」

「全員をだよ」


 その言葉に、思わずオウカは顔を上げる。トウカの眼差しはいつもの優しさをたたえながらも、しっかりと強い思いに裏打ちされたものであった。


「ドラセナならきっと切り抜けているはず。アキレアも生き延びようと足搔くタイプだし、マリーも幽閉されているより協力するふりをしながらキッカたちを助けようとしたんだって私は思ってる」

「……それを裏付ける根拠が何一つ存在しないのにか?」

「だから信じるんだよ。これまで私たちが見て来た三人を」


 そう言いながらトウカは胸元からペンダントを取り出す。銀色に輝く剣型の飾り。マリーの残した勲章だ。


「それにマリーは私たちの娘だよ。娘を信じないで母親は務まらないでしょ?」

「……やれやれ、そう言われてしまうと言葉の返しようがない」


 自分の胸元にも同様に光っているそれを見下ろし、オウカは苦笑する。


「強いな、お前は」

「これでも、長年魔族の母親やってますから」


 冗談めかして笑うトウカ。そんな彼女にオウカはそうだったと思わず苦笑してしまう。そして、何気なく尋ねてみる。


「……五日後に魔族たちが西から攻めてくると言う話、お前はどう思う?」

「うーん……ちょっと引っかかってる」

「なんだ、思う所があるのか?」

「うん。あまりにも魔族の手口がちぐはぐかなって思って」


 手の内をあまりにも晒しすぎるとトウカは感じていた。そしてそれはオウカも同様だった。


「そもそも、ドラセナの部隊を不意打ちで壊滅させておきながらゲームを提案してきたんでしょ。部下も多数いたのなら、標的を減らす理由はないと思うんだ」

「私も引っかかっているのはそこだ。奴ら、ゲームと称していながら遊戯に徹しきれていない」

「……カレンって言ったっけ、マリーのお姉さん。彼女みたいにマリーを取り戻すために手段を選ばないって感じはなかったかな。オウカはどう思う。魔族と対峙した経験は私より豊富でしょ?」


 トウカに言われてオウカは腕組みしてこれまでの戦いの記憶をたどってみる。始めて魔族と戦った時のこと、魔王討伐戦の時、そしてこの五年間の中で見た魔族の姿から共通するものが浮かび上がって来る。


「ふむ……考えてみれば、搦手からめては使っても必ず自分が為すべきことに向けて突き進んでいたと感じたな」

「ノアに言わせれば、それは魔族特有の『こだわり』みたい」

「こだわり……か」

「うん。人よりも寿命が長くて魔法で思うがままに振る舞える魔族は人よりも一生の密度が薄いんだって。だから何か打ち込めることを見つけるとそこに全力を注ぐみたい。ほら、ノアは分かりやすいんじゃない?」

「魔王にマリーを託されたこと……か」

「たぶん、魔王の命令かマリーを守ることがノアにとって最も大事なことなんだと思う」


 それにしては所々ずさんな点が目立つと、オウカはため息をつく。


「トウカに預けて身の安全は確保しておきながら、マリーの体調や教育などには気を回していなかったからな、ノアは」

「それだよ、オウカ!」

「な、なんだいきなり大声で!?」

「本当にやりたいことじゃなかったんだよ、『ゲーム』は!」

「どういう意味だ?」

「ううん。少なくとも『ゲーム』をやりたがっていた魔族がいたのは本当だと思う。だけど、アザミって魔族にとってそれは本来の目的と関わりが無かったんじゃないかな?」

「だから場当たり的な始め方をしたと?」

「そこへ強引に自分の目的も絡めたと考えた方がいいかも。ほら、レンカの話の中でアザミ自身が言っていた目的って言ったら」

「王国の襲撃か?」


 トウカが首肯する。だがその狙いは既にレンカたちが情報をもたらしたことによって露見している。そんな本来の目的を達成するために障害となるような作戦をあえて実行するものかとオウカは指揮官の立場として疑問を抱く。


「……待てよ、それもアザミの狙いの内だとしたら」

「魔物の襲撃は本当でも狙いは別ということはあるかもね」

「陽動というわけか……これはシオンと話し合って部隊編成を見直す必要がありそうだな」

「いいの、全部私の予想だよ?」

「いや、一考の余地は十分にある話だ。まったく……つくづく王国騎士団に欲しい人材だよ、お前は」


 魔術の才能に恵まれていないことを差し引いてもその剣の腕と戦術眼はフロスファミリア家の者として申し分ないと言える。王国騎士として働いてもその実力に見合った地位に昇り詰めるに違いないだろう。マリーが彼女の待遇を惜しんだのもオウカには理解できた。


「あはは、無理無理。今の作家生活の方が私の性に合ってるよ。あ、そろそろ稽古の時間だね。父さん先に行って待ってるかも」


 柱時計が鳴る音が廊下に響き渡る。話はここまでだとトウカは背を向けて歩き出した。残りの数日でいかにフロスファミリアの剣技を修めるか、家の切り札たる魔術を使いこなせるようになるかは二人の努力にかかっていた。だが――。


「……お前の魔力が少ないのが残念でならないよ。フロスファミリアの切り札たる魔術の片方もお前の剣の腕なら最も生かすことができただろうに」

「こればかりは仕方が無いよ」


 二人は既に家の秘伝たるその術式を習得していたが、やはりトウカの魔力量の少なさは致命的な問題だった。使用するだけですぐに魔力切れを起こしてしまった。だがそんなことを気に病む様子もなく、トウカは言葉を返す。


「全てに恵まれた人なんていないもの。それに、私は力が足りなかったからこそ桃華繚乱あのわざを編み出せたんだし、足りないものは何かで補うことができるって思ってる」

「桃華繚乱か……まさか『付与』の術式をあの様に改良するとは思いもしなかったよ」

「あはは、元々は武具の強化術式だもんね。今でも我ながら斬撃に魔力を付与するなんて上手く改良できたと思――」


 不意にトウカが脚を止めた。浮かんだ理論と会得した魔術の術式が猛烈な勢いで頭の中を巡っていく。


「原理は似てる……? もしかして、逆にすることができれば」

「トウカ?」

「オウカ……もしかしたら私、使えるかも」

「使えるって……をか?」

「条件はあるけど……たぶん」


 おずおずとトウカがうなずく。その術式は魔力を大量消費するため本来はトウカに到底扱えない代物だ。

 だがトウカはそれを扱う術を見出す。例え魔力量が足りないとしても。トウカの見せた魔術の才能の片鱗に戦慄を覚えるオウカであった。

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