第5話 マリーと学校

「そうか。フジとドラセナに会ったのか」

「うん。二人とも元気だったわ」


 夜、仕事を終えたオウカはトウカの家を訪れていた。

 今日は泊まって行くらしい。

 三人で夕食をとって、ゆったりとした時間を過ごす。


 良い茶葉が手に入ったらしく、オウカは食後のティータイムを楽しむ。

 マリーにも砂糖を入れてカップを差し出す。

 熱さに最初は驚いていたが、少しずつ冷ましながら口に運んでいた。


「皆には心配をかけたな。今度、私からも礼を言っておく」

「それは良いことだと思うけど……」


 トウカは大きな溜め息をついた。


「ねえオウカ。これ、手伝ってくれない?」

「断る」


 目の前に積まれている書類の山に、トウカは悲鳴を上げていた。

 全て関係各所に提出するマリーとの養子縁組の書類だった。


「後見人として、私のサインが必要な所は全て書いた。あとはお前がやることだ」

「だからって、こんなに書類があるなんて……」


 書いても書いても終わらない。

 この分だと何日かかるかわからなかった。


「マリーに市民権を与えるだけでも格別の計らいなんだ。このくらいは我慢しろ」

「うー、それを言われると弱いなぁ……」


 元々身元不明の孤児の扱いで保護したことになっているため、マリーを国民として認めさせることは本来難しい。

 そのため、トウカは魔王討伐の褒賞としてマリーの市民権を求めた。

 これにより、トウカがマリーを引き取り、国民として生活を送ることができるのだが、里親、後見人、マリーについての情報を登録する必要があったため、関係各所に提出する書類は膨大な量になっていたのだ。


「ところで、ファミリーネームは私たちと同じにするつもりなのか?」


 その問いに、トウカは頷く。

 オウカは複雑な表情を見せた。


「……私は、フロスファミリアを名乗る重みはあまり背負わせたくはないんだがな」

「でも、私たちの娘だって、ちゃんと示したいから」

「そうか。だが、私たちの姓を名乗る以上、家の問題でもある。御当主である父上の許可はちゃんと得る必要があるぞ

「わかってる。今度、家に帰るわ」


 トウカにとっては、出奔して以来七年ぶりの実家だ。

 家を出た当時は母が内緒で支援してくれたが、作家として働き始めてからは援助を断り、ほとんど連絡も取らなくなっていた。

 正直顔を合わせづらいが、地下神殿の崩壊に巻き込まれた時に大いに心配させてしまったことを謝る必要もある。


「正直、親類の中にはお前の帰還を快く思っていない者もいる。マリーを養子に迎えるとなれば、風当たりも強いだろう」

「……わかってる。自分のしたことの結果だから受け止めるわ」


 トウカの決意を聞き、オウカはそれ以上何かを言うのをやめた。

 彼女の意思が揺らぐことはない。これ以上言うのは野暮だった。


「あ……ねえ、マリー」

「なーにー?」


 マリーについての項目を書いていたトウカは、ある部分で手を止める。


「マリーって何歳なの?」

「マリーの?」


 マリーはお茶を飲んでいたカップを置いて、指を折って数え始める。


「えーっと……いち、にー……五歳」

「五歳か。ありがとう」

「でね、もうすぐ六歳」


 マリーの告げた言葉に、二人は固まった。


「……マリー、六歳になるというのはいつだ?」

「二か月後だよお母さん?」


 確認するオウカに、マリーは首をかしげる。


「……オウカ、お願いしていい?」

「ああ。マリー、ちょっとこっちへ来てくれ。確かめたいことがある」

「……?」


 そう言って、オウカはマリーを連れて隣の部屋へ向かった。




 戻ってきたオウカは渋い顔をしていた。


「どうだった?」

「……正直、まずいな」


 オウカはマリーの字が書かれた紙束をトウカに見せる。

 その内容を見て、トウカも顔をしかめる。


「これ、文字……?」

「魔族の文字も混じっていると思う。私は解読できないが」


 そこには見たこともない文字が羅列されていた。


「私たちの文字は全く書けない。計算能力は年相応にあるようだが、最低限の社会常識などが欠けている」

「……オウカ。今って何月だっけ」

「もうすぐ五の月だな」

「ま、間に合うかなぁ……」


 その問いにオウカは答えない。

 ただ渋い顔をして考え込むだけだった。


「ママ、お母さん。何のお話?」

「ええっと……マリーは来年、七歳になるでしょ?」

「うん」

「そうなると、学校へ行かなくちゃいけないの」

「がっこう?」


 地下神殿で育ったマリーには聞き慣れない単語だった。

 そもそも魔族の世界に学校というものが存在しているのかも謎だ。


「うん。マリーと同じくらいの子たちが集まって、みんなで色んなことを勉強する場所よ」

「マリーと……じゃあ、お友達もできる?」

「うん。たくさんできるよ」

「マリー、学校行きたい!」


 花が咲くように明るく笑顔を見せるマリー。

 それに対して二人の母は、複雑な心境だった。


「……その前に入学試験っていうのがあってね」

「にゅうがくしけん?」

「うん。その子がどれだけお勉強ができるのか、お友達と仲良くやっていけるのかを確かめるの」

「うー、むずかしそう……」

「だが、騎士や貴族の家系は、王立学院を受験するのは伝統だ。フロスファミリアを名乗る以上、入学試験に落ちるなど、あってはならないことだぞ……」


 各家からの受験者は基本的に最低限の教育を受けているため、試験は形式的なものとなっているが、マリーの場合は状況が異なる。

 魔族の世界で生きてきた彼女には人間の世界の常識がまだわかっていない。

 昼間も、市勢の賑わいを見て目を輝かせていたし、店先で売っていたものも食べ物だとわかっていなかった。


「どうしようオウカ……」

「入学試験までに何とか教えるしかないだろう」


 フロスファミリアの者が入学試験に落ちるとなれば、家の名誉にも関わる。

 オウカも後見人として、腹をくくる覚悟をした。


「試験っていつだっけ?」

「11の月だな…………しまった」


 オウカが何かに気付く。


「どうしたのオウカ?」

「……確か、願書には家長の署名が必要だったはずだ」

「え……」


 トウカも、事の重大さに気づく。

 彼女はこれから出奔した家に行き、生死不明になって心配をかけたことを謝り、マリーを養女とした報告と、マリーが家名を名乗ることと、受験を認めてもらうための許可をもらわなくてはならないのだ。


「いくら父上が寛大な方でも、これは、さすがに……」

「厚かましい……わね」


 オウカが息をのむ。

 トウカは頭を抱える。

 重い空気の中、不意にオウカはトウカの両肩を掴んだ。

 そして、じっと目を見つめる。


「トウカ……」

「何……?」


 真剣なオウカの表情に、トウカも息をのむ。


「……あとはお前の問題だ。任せたぞ」

「ちょっと待って、見捨てないで!」

「『自分のしたことの結果なんだから受け止める』と言ったのは嘘か!」

「後見人なんだから協力してー!」


 逃げようとするオウカに必死にトウカはしがみ付く。

 マリーは夜も遅くなって来たのでベッドに潜り込んで寝息を立てていた。

 家の明かりはこの日、遅くまで消えることはなかった。

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