第10話 託された希望


 剛腕を振るう巨大な魔物の攻撃を回避し、オウカはその腕に降り立つと一気に駆けあがる。


「おおおお!」


 剣を抜き、魔物の眉間へと突き立てた。

 その巨体がバランスを崩して後ろへ倒れ込んでゆく。

 他の魔物たちを巻き込みながら巨人は事切れて行った。


「ふう……何とか片付いたか」


 汗をぬぐうオウカ。既に迷宮の深部へと到達しており、ここから先は用意したマップにも書かれていないエリアだ。


「うおおおお!」


 部下の一人が魔族に刃を突き立てる。一人、また一人とオウカを先へ進ませるために敵の追撃に立ちはだかり、残るはカルミアを含めて五人にまで減ってしまっていた。


「がはっ……」


 血を吐き出しながら魔族が崩れ落ちる。

 奥へと入り込むにつれ、魔族との交戦も増えている。

 あまり時間をかけるわけにはいかない。何かしら、魔王のいる部屋まで行く手がかりが欲しい所だった。


「……そう言えば」


 ここまで戦い続ける中で、オウカは違和感を抱き始めていた。

 王国軍側は優勢だ。だが今のオウカたちは精鋭とは言え、敵陣のど真ん中に突撃を仕掛けて来た相手だ。根拠地の中枢に入り込んだ相手に対する攻撃にしては一部の魔物たちの士気が異様に低い気がした。

 その一方で一部の魔物の士気は異様に高い。

 世界征服や人類の滅亡という目的とは違い、まるで何かを守ろうとする時の人間の様な戦いぶりなのだ。


「……馬鹿馬鹿しい」


 そもそも魔族に対する認識は、己の力に溺れ、人々を蹂躙する悪しき存在。それが、命を懸けて守ろうとする存在などいると言うのは妙な話だった。


「危ない、オウカ様!」


 不意に、部下の一人が彼女を突き飛ばす。

 物思いにふけっていて、討ち取られたはずの魔族が突如立ち上がり、自分に向かって突撃してくるのに気付いていなかったのだ。

 間に割って入った騎士に対し魔族はその腕と足を使い、しがみつく。


「きさ……ま……らを、いかせ……は」


 最期の力を振り絞り、その手に魔力を集中する。

 そして、どこか慈しむように微笑んで叫んだ。


「マ――魔王様、万歳!」

「うわああああ!?」


 騎士を巻き添えに、魔族が己ごと魔法に巻き込んで爆発を起こす。


「しっかりしろ!」

「……オウカ、様」


 煙の中で倒れ込む騎士を抱きとめる。

 全身に受けたダメージから、すでに助かる気配は見えなかった。


「よかっ……た。ぶ……じ、で」

「お前……」


 最後の力で騎士は手を掲げる。オウカはその手を取り、カルミアたちと共に仲間を見送る。


「必ず……魔王を……」


 両の目が閉じられる。オウカは騎士の遺体をその場に置き、目礼して送る。

 本当ならばここまでついて来てくれた彼を弔ってあげたい。だが、オウカたちには魔王討伐と言う使命が残っている。

 魔王を打ち倒すことこそ彼の本懐。そして何よりの供養だ。


「……往くぞ」


 散っていった多くの騎士たちの気持ちに応えなくてはならない。オウカは部下たちと共に先へ進む。

 その中で、オウカには何かが引っ掛かっていた。


 ――魔王様、万歳。


 魔族が己を捨ててまで守ろうとしたその姿。そこまでして守らねばならない存在だと言うのか。

 人が抱く魔族に対する認識に違和感を覚え始めていた。


 そして魔族は「魔王様」と叫ぶ前に何かを言いかけ、そして――そんな気もした。




 ノアから告げられた事実にトウカは言葉を失う。

 もしその話が本来なら魔王軍としては絶対に伏せておかなくてはいけない事実だ。間違ってでも漏れてはならない。


「いつからなの?」

「四か月前のことです。以前から病に侵されていた王妃様が亡くなり、魔王様も直後に倒れられて、そのまま……」

「そんな……」

「魔王軍は混乱しました。マリー様は我々の主として立つにはあまりに幼い――いえ、そもそもマリー様は御自身の親が魔王であることすらご存じありません」


 それは魔王の意向なのか、それとも教えるには幼かったからなのか。

 いずれにしろ、自身の立場を知らないマリーに突然魔王軍全てを背負わせるのはあまりに重荷だ。


「ある者は去り、ある者は戦う意味を見失い、ある者は魔王様の遺児を守るために残りました。私とアキレアはそんな魔王軍を残された数少ない魔族たちと共に取りまとめていました――先の戦いで皆、死んでしまいましたがね」


 確かに、自分たちの支柱を失った状態で戦えるわけがなかった。つまり、ここに残っているのは言うなれば行き場が無いものか、マリーを守ることしか残されていないものだけなのだ。


「このこと、マリーは?」

「まだご存じありません。我々には『お母上は具合が悪い』『お父上はお仕事が忙しい』と誤魔化すことくらいしか……」

「そんな……じゃあ、この戦いは何のために」


 一体なんのために戦っていたと言うのか。オウカたちが武術大会で武を争い、魔王討伐の切り札を選定していた時には既にその魔王そのものが居なかったのだ。

 そもそもこの戦い自体が、何のためのものかすらこのままではわからない。


「……魔王様が既に亡くなったということが露見すれば、人間側も戦いを続ける意味はなくなります。戦いも終わるでしょうね」

「なら、降伏するとか他にも道が」

「そうなれば、マリー様はどうなります?」

「あ……」


 ノアの言葉に気づく。

 戦果を示さなければならない騎士たちにとって、魔王もその王妃も既にいないということは非常に都合が悪い。


 戦に勝つまではいい。だが、騎士が報酬を得るためには証が必要だ。そうなれば魔王の眷属であるマリーの首は最も大きな戦果となる。

 自分に満面の笑みを向けていたあの子が死ぬ。父も母も既に死んでいたことを告げられ、戦果を求める人間たちによって命を奪われる。それが幼いあの子にとってそれがどれほど残酷なことか。


「……私に何でこのことを?」


 息が詰まりそうなくらいに空気が重い。胸に苦しさを感じる。その中で、トウカは絞り出すようにノアに尋ねた。


「……あなたはやはり心の優しい方だ。マリー様のことを我がことのように心を痛めている」


 そんなトウカを見て、自分が下した決断が間違いではなかったとノアは確信する。そして彼は姿勢を正し、トウカへと頭を下げる。


「お願い致します。マリー様を連れて、逃げて頂けないでしょうか」

「マリーを……私が?」


 それは、予想もしていなかった申し出だった。


「間もなくここにも、騎士たちがやってくるでしょう。そしてマリー様も発見されます。そうなれば……お分かりですね?」


 トウカは頷く。


「我々では守り切れません。かと言って連れて逃げるにも我々は目立ちすぎます」


 魔族のノアや人間に変身できるアキレアはまだいい。だが、他の部下たちも連れて行くことはできない。

 それに、逃げ延びたとしても人目を避けて隠れて生きて行かなければいけない。食べ物や健康、ありとあらゆる問題が付いて回る。


「我々だけでは守るのは難しい……困っていたそんな時にあなたが現れたのです」


 本来ならば救いの道はなかった。だが、そこにトウカが現れたことでマリーが生き延びる可能性が生まれた。命を狙おうとしたアキレアにすら、剣を向けることに罪悪感を覚えるような彼女であれば、魔族に対する偏見の薄い彼女ならばマリーを守るために尽力してくれる。そして、人里で過ごせば食べ物にも、寝床にも不自由しない。幼いマリーを育てるには最適な環境だ。


「無茶なお願いだとは承知しています。ですが、少しでも可能性があるならそれに賭けたいのです。幸いマリー様は魔族の中でも人間に非常に近い容姿をされていらっしゃいます。人間社会に紛れてもそう簡単に魔族であることが露見することはありません」


 確かに、トウカは最初に見た時にマリーが魔族と気づかなかった。

 高位の魔族は人間に近い容姿であることは知られている。魔王の娘ともなれば、まず調べられなければわからない。


「お願いいたします。どうか、マリー様を……あの子の命を救っていただけませんか?」


 魔族が頭を人間に下げる。有り得ない光景にトウカは戸惑う。

 個人的な感情として、トウカはマリーを助けてあげたかった。だが、自分は国王軍に所属している騎士の一人であり、名家フロスファミリア家の一員だ。


 ――家名を汚すようなことだけはするなよ。


 先日の姉の言葉が蘇る。

 トウカは元々家のためと言いながら姉への贖罪のために参加を決めた節がある。ここで頷けば国への反逆であり、姉への裏切りだ。家名にも傷がつく。自分に関わる全てを裏切ることになるのだ。


「わ、私は……」


 時間がないことはわかっている。だが答えが出て来ない。

 そして、その思案の時間は唐突に後ろからかけられた言葉によって破られるのだった。




 ――ようやくたどり着いた。


 部下たちが道を切り開き、身を挺して自分を魔王の下へ送り届けてくれた。

 お蔭で、ほぼ無傷で私はこの場に立っている。

 目の前には巨大な扉。恐らくこの奥に魔王がいる。

 剣を強く握る。心臓の高鳴りを深呼吸で落ち着ける。

 この震えは決して恐怖ではない。全ての人々の期待を背負った事による高揚だ。

 残る魔力も十分。あとはどんな手を使ってでもこの剣を魔王に突き立てるだけだ。


「行くぞ……」


 扉を押し開く。薄暗く、燭台の炎に照らされた空間。

 不気味に鎮座する邪神の像がこちらを睨みつけている――神など頼りにならないのに、殊勝なことだ。


「――どうか、マリー様を救っていただけないでしょうか」


 会話が聞こえる。邪神像のたもと、玉座の前に三人が立っている。

 一人は人の形をした獣。一人は頭を下げている神官風の男。そして騎士団の出で立ちの――。


「馬鹿な……」


 何故ここにいる。お前は昨日で役目を終えているはずだ。

 どうして魔族に懇願されている。一体、何をしているんだ。


「……貴様、そこで何をしている!」

「え……?」


 静まり返った玉座の間に私の声が響く。

 見覚えのあるその後ろ姿。纏う雰囲気。私に背を向けていたその女がこちらを向く。

 夢であって欲しかった。勘違いであって欲しかった。


「オウカ……?」


 その目が驚きに見開かれる。

 この場にいてはならないその存在が、その願望を儚く打ち砕く。

 トウカ=フロスファミリアがそこにいた。

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