ミッシング・ヘッド
新藤悟
第零章
ー零ー
十月七日、木曜日
月明かりが微かに照らす中、影が一つ蠢いた。そしてもう一つ、歪な影が少しずつ一定のリズムを刻んでいた。上がっては止まり、上がっては止まりと繰り返しながら人の上背よりも高い場所へ上っていく。
「……はぁ……はぁ……」
蠢く影からやや苦しげな声が漏れている。だがリズムを刻む事を止めない。革の手袋をした両手にはロープがしっかりと握られ、体重を掛けて力を伝えていく。その手つきに戸惑いや躊躇いはない。手慣れた様子だ。
やがて天井へと近づいていた影が上るのを止める。ロープを引っ張っていた人物はその端を壁際の鉄パイプに結びつけると大きく息を吐き出して額の汗を拭った。
「……」
無言。その者は吊るされて揺れる影を見つめて何も発しない。揺れる影もまた視線に応える術を持たない。ただポタポタと雫を滴り落とすだけであった。
悔いる様な視線をそれにしばし向けると、影はその場を離れていった。カン、カン、と鉄製の階段を踏み鳴らす音が響き、遠ざかる。音は完全に消え、生者は建物の中には居なくなった。
ゴゥ、と突風が吹いた。窓に貼り付けられてあったシートが半分剥がれてバタバタと音を奏で、天井からは砂埃が落ちて舞う。月を隠していた雲が流れ、大きく笑みを浮かべているような肉厚の三日月が街を明るく照らした。しかしその見事な月を鑑賞する者はこの場には居なかった。
ただ一つ――首のない死体だけが吹き込んだ風で寂しく揺れていた。
十月八日、金曜日
人を最も端的に表現するのは何処だろうか。
右手で前髪を弄り、自身の内へと没頭すること刹那。悩むことは無く、問いかけとほぼ同時に答えは導き出された。
答えは、顔だ。声には出さず識也は断じ、それは自身でも驚くほどにすんなりと腑に落ちた。そしてそれは単なる美醜の問題では無い。
世の多くの男性、特に自分たち思春期盛りの男子高校生は常に美人で可愛い彼女が欲しいと望むのは当然の欲求であるし、その様な女性に声を掛けられれば喜んで舞い上がってしまうだろう。
そうでなくても青白い顔をしていたり、覇気が見られなかったらその人の印象はネガティブなものになりやすく、世間一般的に整っていないと判じられる見た目であっても明るく笑顔でいれば印象は決して悪くはならない。会話の内容よりも顔の表情の方が相手に与える印象の多くを決めるというのも有名な話だ。
(ならば)
その人の価値を決めるのは何か。再び識也は自問し、今度は答えを導き出すのに時間を要した。指先で一定のリズムをノートの上で刻み、そうして出てきた答えは「人に依る」という何とも捻りの無いものだった。
価値観は人それぞれであり、素直さや優しさといった性格を重視する人も居れば行動力や頭の良さを評価する人も居る。或いはたくましさや胸の大きさだったり肉体面を好む人だっている。
その中で識也が最も重視するものは、先の疑問の解と同じく顔であった。いや、違う。識也にとって唯一だと言える程に飛び抜けた価値観だった。しかし、では顔の具体的な何を以て価値を判じているのか、未だ本人でさえも分かっていない。
分かっているのは、彼にとっての美醜の判断基準が世間一般のそれとは大きくずれている事だった。
(……不細工だな)
頬杖を突き、教師に見つからないよう机の下でスマホを弄る。退屈紛れに開いたポータルサイトに表示されている、今大人気のアイドルたちの顔写真を眺めながら識也は深々と溜息を吐いた。
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