30-24 : 最強の暗黒騎士
「さて……どうしたものかな、これから」
数え切れない夜明けの内の1つ――あるいは誰も知らない間に創り直された、昨日の続きにして最初の朝に――山脈から顔を出した太陽を見つめながら、ゴーダが
「どうしたもこうしたも、まずはめっちゃくちゃになってしもうたワシらの家を建て直さにゃじゃろがい」
さらしを巻いただけの大きな胸の下で腕組みしたガランが、フンスと鼻息荒く言う。
「この時期、ここの夜は冷えて
「そうだな……城塞本体の立て直しの前に、地盤の修復からになりそうだ」
激戦に次ぐ激戦で、ほぼ完全に崩壊した“イヅの城塞”の有様は大概であった。しかしそれにも増して、“イヅの大平原”の名とは不釣り合いなほどにそこら中の地盤が隆起・陥没し、クレーターまでできている土地は正に目も当てられない。
「骨が折れるな、これは」
「――よいではありませんか」
「以前の城塞には、改修では解決しきれない短所がいくつも見受けられておりましたので、根本から設計を見直すよい機会と考えられては
そこで唐突に言葉を切ると、漆黒の鎧兜姿のベルクトは小首を
「どうなさいましたか。ゴーダ様。ガラン殿」
漆黒の騎士は、主と女鍛冶師の
「……うっ……う、う゛ぅっ……!」
ガランが褐色の腕を顔に押しつけて、声を震わせだす。
「? 何事ですかガラン殿。腹痛ですか。傷んだ炭でも食されましたか」
「……ビェ……ビェルクトぉぉぉ!」
さっと振り返ったガランが、突如ベルクトへ向かって駆けだし、飛びついた。漆黒の騎士との再会に感極まって、顔面を涙と鼻水塗れにして。
「ベル公ぉぉ! 騎兵隊の衆ぅぅ! 会いたかったぞぉぉい……! うわ゛ぁぁ゛ぁんっ!」
そのとき、
「――あべぇっ!」
“イヅの騎兵隊”の十八番、俊足の疾走。大地を猛烈な力で蹴ったベルクトが、飛びかかってきたガランをかわして彼女の背後に回り込む。既に全身を跳躍させていた女鍛冶師は、
「な、なん……何でよけるんじゃ、ベル公ぉ……」
「顔をお拭き下さい、ガラン殿――汚れます。
襟を正すように胸当ての収まり具合を確かめながら、ベルクトがぴしゃりと言い放った。よく見れば漆黒の騎士の
「この鎧は、元を正せば我が
「ワシのこの気持ち、どうしてくれるんじゃ……こンの、忠犬がぁ……」
地面から足だけ生やした
「犬でありません、ガラン殿――私は、『竜』です」
ゴーダを振り向き仰いで、ベルクトが
「そして今は、一介の魔族の『ベルクト』です」
頭一つ分背の高い主をじっと見つめて、そして漆黒の騎士はビシリと敬礼してみせた。
「ゴーダ様……“イヅの騎兵隊”105名、只今より定常任務へ復帰いたします」
それに続いて、整然と並んだ黒い騎士たちがベルクトの動作に一斉に倣う。
それは聞き慣れた口調。見慣れた仕草。律儀で勤勉な側近と部下たちの、国境守護の任を背負う“イヅの城塞”の、何のことはない日常風景。
何度も当たり前のように繰り返してきた、いつもの光景。
それが今は、まるで夢のようだった。
「……」
ゴーダが無言のまま、ベルクトの兜の上へ手を載せる。
「……ゴーダ様?」
手甲越しに兜を
そしてようやく声が出せるようになると、ゴーダは“イヅの騎兵隊”1人1人に目を向けた。
「ベルクト……お前たち……ありがとう。また、これまでと同じように……私のことを支えてくれると、
「はい……! もちろんです、ゴーダ様……!」
ゴーダの手の下でピンと小さく跳ね上がりながら、ベルクトの淡々とした声は心なしか幸せそうに聞こえた。
「……やっぱりただの、
ガランが
***
目の端に反射する光が見えたのは、そのときだった。
「ぬっ!?」
ガランが
東の方角。陽光の下に横長に浮かび上がる、逃げ水のような
「……何が見える?」
「は。精密観測します」
ゴーダの声に言葉少なに応じたのは、
遠方へ焦点が合わされ、鮮明な像を結ぶ。視野が観測対象へ絞り込まれると像は一気に拡大されて、
「……」
「……観測完了」
結果が告げられるより先に、一同は半ば確信を持っていた。
「“明けの国騎士団”です。兵数は、およそ3万」
その声を合図に、“イヅの大平原”の空気が緊張した。
「ふぅん……まだ懲りていませんのかしら、人間たち……」
それまで黙っていたローマリアの目に、ゆらと
「……」
「……」
ゴーダが目配せすると、ベルクトはただ
「ゴーダ様。ベルクト様」
皆が足を踏み出したと同時に、
「お待ちを。様子が変です」
「人間が、1人。国境線を越境。走ってこちらへ向かってきている。長槍を担いでいますが、戦闘要員には見えない。扱いが不慣れすぎる。小太りの、口ひげを生やした男……転倒した、今」
やがて
「? ……
「(――姫様ぁぁ! シェルミア様ぁぁぁ!!)」
観測報告から一瞬遅れて、越境者の叫び声が――北方戦線から敗走し、王都でやけ酒に溺れ、地下牢から脱獄したシェルミアに諭され、彼女の孤独な出陣を
参謀はへし折ってただの棒切れと化した長槍の先端に薄汚れた肌着を
「(シェルミア様は
「……心配いりません。彼には……“彼ら”には、心当たりがあります。危険はありません」
シェルミアがゴーダとベルクトに語るのに合わせ、
「シェルミア殿の
「彼らは、亡者の侵攻に合わせて北方に最終防衛線を構築していた、“明けの国騎士団”最後の機動部隊です。参謀が立ち回ってくれた……!」
何もかも失い、ただ
「想いが……届いてくれた……!」
泣き崩れたシェルミアをエレンローズが支えるのを見て、ゴーダとベルクトが再び
方針は、その時点で既に決定していた。
ベルクトの指令が飛ぶ。
「“イヅの騎兵隊”、非戦闘体勢へ移行。こちらも“明けの国”に応えます。全騎、帯刀解除」
「「「御意」」」
黒い騎士たちは一斉に、腰の留め具から刀を外すと、それを足下に寝かせ置いた。
ゴーダが甲高く指笛を吹くと、力強い
これまでの旅を共に走り抜けた愛馬の、大きな瞳を
「これまでよく、私の荒い綱に付き合ってくれた……たった今から、彼女たちがお前の新しい主人だ。2人を、“明けの国”まで連れて帰ってやってくれ。達者でな……お前が親善大使第1号だ、しっかりやってこい」
黒馬はブルルと
***
黒馬に
雲の晴れた空に差す明かりは、まっすぐに“明けの国”へと続く光。
「……。……あの……。……。……」
馬上で口を開きかけたシェルミアが、何も言わないまま閉口する。
これまで数え切れない言葉を、想いの限りに口に出し合ってきた関係にあって、今この時だけはどうしても、上手く言葉が見つからない。
――。
たくさんの命が散っていった。
たくさんの命を奪い去った。
たくさんの間違いを犯して、たくさんの傷を負った。
何も背負っていない者など、ここには誰一人としていない。
強がっては、みせたものの。
一瞬、迷ってしまう。後悔がないと言えば、それはきっと
謀略に
もしかしたら。
“創造の地平”へ至ったゴーダに、懇願すべきだったのだろうか。その幻想の力で、この世を「誰も悲しまない世界」に創り変えて下さい、と。
“
きっと、ここで弱音を吐いてくずおれて、不安な気持ちを全て吐露して涙しても、誰もそれを責めはしないだろう。
鋼で固めたつもりの心に、そうやって何度もヒビが入りそうになるのは。
ただただ、別れが
また会いたいと。もう会えないなんて嫌だと。これを最後になんてしたくないと。そう思っているから。
だから言葉が見つからないし、だからたとえ過去に戻れたとしても絶対に選択しないであろう事柄に後悔を感じて、押し潰されそうになるのだ。
どうしても……言葉が出てこない。
「……シェルミア」
ずっと迷っていると、見かねて彼女の名前を呼ぶ声。
彼の部下たち同様に、自身の銘刀“
何度見ても、彼の顔は人間にそっくりである。
誰よりも、人間臭い魔族の人。
「当てようか。いや、白状しようか」
彼が何のことを言っているのか一瞬分からず、返答にすら詰まってしまう。
いっそ、「この期に及んで弱気になるな」とでも、一喝してほしいと願う。
けれども、彼が話したのは。
「君が今思っていることと、全く同じこと――それが今ちょうど、私の頭の中で回っている」
ああ。
そうか。
彼も決して、特別なんかじゃないのだ。
私と、同じ。
「まぁ、もう選んだことだ、引き返すことはできん。後悔のない生き方なんぞない。たとえ引き返した先にも、どこにもな」
私と同じ――がむしゃらに生きて。醜く
「ならせめて、自分の想いにだけは素直でいなくてはな」
この人は、本当は弱い人。
「そう悲しそうにするな。また会える」
何度も
「ここで良ければ、
今も不安で、気を抜くと後悔に捕らわれてしまう人。
「そういう世界の方が、楽しいだろう? そういう世界にしていこう。少しずつ」
でなければ、今この場所で、私と同じことを考えたりなんかしない。
「だからほんのしばらく、お別れだ」
この人は、弱い。とても傷つき
「またな……シェルミア。エレンローズ」
……。
……。
……。
「……はい。また……また、お会いしましょう、ゴーダ卿」
……。
……。
……。
「いつか交わした約束の通り……穏やかな
……。
……。
……。
とても弱くて……とてもとても、強い人。
……。
……。
……。
……。
……。
……。
――だからこの人は、最強なのだ。
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