30-21 : “創造の地平”

「――おもてを上げよ」



 真っ白な世界の中で、その声は語りかけてきた。


 促されるまま、顔を上げる。



まなこを向けよ、此方こなたへ」



 もう1つ、別の声が言う。


 その声が聞こえる方へ――背後へと、彼は振り返った。


 真っ白な地平線の果てに、2つの人影が見えた。


 人影たちは恐ろしく遠くにいるにも関わらず、その声だけがまるで耳元でささやかれているかのように近くに聞こえる。



「よく来た、人魔混じわる者よ」



彼方かなたよりよう参った、世界の外よりばれたる子よ」



 彼は目を凝らしてみる。人影たちは何か、大きな座に腰掛けているように見えた。


 互いに手を伸ばせば互いの手を取り合えるほどの距離を空けて、2つの玉座のようなものが地平の果てに並んでいる。


 真っ白な世界の、国も城も民もない地平線上に、それだけがぽつねんと。



「「近うよれ」」



 2つの声が重なり合ってそう言うと、彼の身は次の瞬間には白い地平の双座の前に在った。


 反射的に、彼はひざまずこうとする。理由を考えるよりも先に。



「よい。そのような振る舞いはいらぬ」



其方そなたの考える通り、ここには国も城も民もないゆえな」



 互いの言葉を継ぎ合って、2つの人影は彼へ語りかける。小さく首を横に振り、礼節など不要であると。


 しかし彼の眼前に据えられたそれは、やはりどう見ても玉座であった。


 同じ造りの、隣り合う玉座。


 その上に腰掛けているのは、小さな身体。


 2人の少女。


 彼から見て左の少女は、金の玉座に掛けていた。この白い世界に溶けてしまいそうな真っ白なドレスをまとい、その召し物と同じだけ白い肌と、はっとするほどの対比を成す黒い艶髪。ふわりと巻かれた髪房が2つ、幼い顔の両側に揺れている。


 右の玉座は銀。そこに座す少女は、左の少女とは正反対の、真っ黒なドレスに灰色の髪。長髪は頭の後ろで丸くまとまり、首元に揺れている後れ毛が愛らしい。


 金の玉座の少女は左手で頬杖を突き、銀の玉座の少女は右手で頬杖を突いている。互いの身を寄せ合うように。まるで色も含めて反転させた、それは鏡写しのよう。


 どちらも金属光沢をたたえた、作り物のような金色の瞳をしていた。


 誰かに、似ているような気がした。



「我が名は、リーム」



わらわは、フリィカ」



 彼が何も言えずじっと双座を見やっていると、金の少女と銀の少女はそれぞれに己の名を告げた。


 聞いたことのあるような名だった。



「「其方そなたの名は、何という? 因果の紡ぎ手よ」」



 抑揚のない平坦へいたんな声で、2人の少女に尋ね問われる。



 ――私は……私の名は……。



 そこまで言って、彼の声はつかえた。


 いや、それは声ですらなかった。そこにあるのは、ただ「言葉」だけだった。



「ふむ……己の名が分からぬと申すか」



もありなん。そのような揺らぎにありてはな」



 彼が言葉に詰まっていると、2人の少女は訳知りよううなずいてみせる。



「「其方そなたよ、己の身体を見てみるがよい」」



 2人のさとすような声に促されるまま、彼は視線を真下にやった。


 何もなかった。


 手も、足も、胴体もない。視界だけがただ、宙に浮いている。



 ――これは……。



 不思議と驚きも少なくそこまでつぶやいて、「声」も消えていることに遅れて気づく。



「思念だけがたゆたっておるのだ、其方そなたよ」



「ここにあるのは、ただ想いのみ。それ以上に気を散らせば“其方そなた”も消える。気をつけよ」



 はっきりとした輪郭を持ち、黙ってそこに座しているだけで鮮烈な存在感を放つ2人の少女に比べて、彼は自分がどれだけ曖昧なものに成り果てているのかを理解する。


 まるでなぎの日にうっすらと立ち上る1本の煙のように、わずかでもそよ風が吹けば霧散してしまいそうな。



 ――ここは……“どこ”なのでしょうか? “いつ”なのでしょうか……?



「愚問であるな、その問いは」



「不毛にあるぞ、その疑いは」



 かすかにあきれるように、左右で頬杖を突いたまま嘆息すると、2人の少女は「「まぁよい」」と続ける。



「ここは、“創造の地平”。“次元の海”の、はるか外側」



「“開闢剣かいびゃくけん”によって開かれたる、始まりの大地」



 2人の少女が、お互いを見つめ合う。



「我らは、永く分かたれておった」



ふるき盟約に従って、わらわたちは器を割いた。元は1つであった身を」



 語りながら少女たちは、金と銀の玉座から手を伸ばし合い、互いに指先を絡め合う。無表情の顔に、それと分からないほどの微笑が浮かんだ。



「「其方そなたには、礼を言わねばならぬ」」



 しばしの触れ合いを解くと、少女たちは再び正面の彼を見る。



「宵の玉座に残し来た我らが末妹まつまい、リザリアによく仕えてくれておる」



わらわら三姉妹、“くらふちの者”の純血なれば。此度こたびの“原初の闇”にまつわる一件、よくぞあれを退けてくれた」



 リザリア――“くらふちの者”――“原初の闇”。それらの名が、彼の曖昧な意識に溶けて吸収されていく。


 気づけばぼんやりと、真っ白な世界に自分の身体の輪郭が浮かび上がっていることに思い至った。



「ふむ、なるほど……其方そなたよ、リザリアの名で現世うつしよとのつながりを手繰り寄せたか」



「やはり、良き騎士よ。あれも、さぞ誇らしかろうて。感情をべたがゆえに、顔には出せまいがな」



 2人の少女の無表情が、しかし彼には笑っているように見えた。


 その見覚えのある無感情と、彼女たちが末の妹と呼んだもう1人の少女の名と、「騎士」と呼ばれた自分の存在を改めて意識して。



 ――陛下……リザリア陛下。



 彼は、1つ目のことを思い出す。



 ――……『ゴーダ』……私の名は、ゴーダと申します、姉君様方。



 己の名と、己の形を思い出す。


 気づけばその身は、肉と形を取り戻していた。


 金の刺繍ししゅう細工の入った、黒い織り服が肌を柔らかく包んでいる。



「そうか。ゴーダ、と。良き名よな」



「しかとその名、覚えておくぞ」



 少女たちは同時にこくりとうなずいて、それからしばらく何も言わず、ただじっとゴーダのことを見つめる。


 その声、そので立ち、その存在の仔細しさいを全て記憶に焼き付けでもするように。


 やがて。



「ふむ。それではゴーダよ」



「黒き衣の騎士よ、其方そなたこう」



 黙り込んだときと同じく、2人は同時に口を開く。



「「其方そなたの願いは、何なりや?」」



 どこまでも真っ白な世界に、国も城も民も持たない玉座だけをただ据えて、金の少女と銀の少女がゴーダに投げかけたのは、そんな曖昧な問いだった。



 ――願い、とは?



 問いの真意をみかねて、ゴーダが尋ね返す。



「願いとは望み。我ら“開闢剣かいびゃくけん”の権能にして本質」



「ここは“創造の地平”であると言った。“次元の海”を内包する、“原初の闇”から最も遠き場所」



 2人の少女はゴーダの問い返しに、抽象的な言葉を連ねて答える。3人しか存在しないこの真っ白な世界に、それ以上の意味は不要であるとでも言うように。



「“選択”するのではない。この地で意味を成すのは、“想う”こと」



「“改竄かいざん”と“消失”の対極にあるは、“幻想”と“創造”」



 そしてはるか遠い子孫へ言って聞かすように、少女たちは優しく声を重ねる。



「「ゴーダよ、この何もない世界に、其方そなたが形を与えるのだ――“願い”とは、そういうことぞ」」



 “開闢剣かいびゃくけん”とは……“運命剣”と“封魔盾”、2つの器に割られていた、ふるき盟約のあかしとは。


 未来を、“創る”剣。


 “原初の闇”を封じることが、“宵の国”と“明けの国”の忘れ去られた役割ならば。


 その深奥、宵の玉座に座す魔族の王、“くらふちの者”が担うは、“原初の闇”がにじみ出た折、この世を無へとかえす役割。


 そして人間ひとが担うとされた役割が、“開闢剣かいびゃくけん”を納めた者が成すは、無からの創造。


 それがこの世の、根源構造。


 ゴーダは己の役割と、世界の成り立ちを知る。


 この真っ白な地に何を描くも、想いのまま。



「さぁ、願うがよい」



「形を与えよ、其方そなたの幻想に」

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