30-19 : 空の果てへと
暗い雲を
そこは何ものよりも高い場所。風の音だけが聞こえる領域。果てしなく広がる、
『空を
ゴーダを背に乗せた“古き東の主ベルクト”が、風の感触を懐かしむように言った。
「ああ、羽を伸ばすといい。言葉の意味そのままに」
ゴーダが“
それは最後の戦いの最中にあって、
『とても、懐かしい感触です。風の音。雲の匂い。空の色。
「よく覚えているな。お前の背に乗せて
『はい、昨日のことのように覚えています。最後にゴーダ様と飛んだのは、
「参ったな……さすがにそこまで細かくは覚えていないぞ」
誰の邪魔も入らない大空に、ゴーダが困ったように笑う。
『
身体のほとんどが無機物でできているベルクトは、呼吸を必要としない。そんな竜の口から言葉が紡がれる
「私は、そうだな……お前たちと初めて、あの霧の中で出会ったときに感じた、底冷えのする殺気の方を
『永く
「律儀な奴だよ、つくづく」
ゴーダが
『? はぁ……そういうものでしょうか? 胸の奥が温かくなった日のことは、忘れたくないと考えているだけなのですが』
「ああ、お前はそれでいい……それがお前らしいよ」
『?? そうですか、ありがとうございます』
自分の感情に
永い……永い永い時の中、その存在はただ心に空白を抱いて生きてきたのだ。ゴーダが250年前に「竜」と初めてそのものたちを呼んだとき、そこにようやく感情の種が
それからたった、250年……「竜」たちは、まだ生まれて間もない赤子のようなもの。
「もっと、高く飛ぼう……」
“運命剣リーム”を握る左手で竜の首元を
「もっとずっと、高く高く……」
『はい、ゴーダ様』
光の帯が、更に加速していく。105騎の黒竜たちが、遮るものの何もない青空に真っ
「もっと……もっと、もっと……」
もっと高く。もっと速く。誰も触れたことのない、空の果てへ。
それはほんの数十秒の出来事にすぎない。けれども彼らは、その何百倍もの体感時間の中で、自由を感じる。
何の恐れもない。
何の悩みも、しがらみもない。
痛みも、悲しみも、孤独もない。
心の底から、
世界はこんなにも、美しい。
「ああ……今なら、はっきりと言える」
黒竜たちの
「今まで、生きてきて……本当によかった」
……。
『ゴーダ様……私にとって1番の
穏やかな声で、ベルクトが尋ねた。黒竜はその背に乗せた主と同じように、いつの間にか瞳を閉じて飛んでいる。
「ああ、分かるよ。“あのとき”は、私も当事者だったからな。随分悩まされたのは、本当に昨日のことのようによく覚えている」
『そうですか……――』
そして、ゴーダの穏やかな声を聞いた“古き東の主”は、言葉を継いで。
『――“
黒竜は、幸せそうに笑った。
……。
……。
……。
「ホロホロホロ……」
空の果てから見下ろす、
蒼の波動と竜の
雲間に羽ばたいているその巨体は、ずっと離れた高空を飛ぶゴーダたちの目には豆粒のように小さく映る。
“
光の筋となって上昇を続けていた“イヅの騎兵隊”が急反転し、音もなく翼を広げて天にぴたりと静止する。
無限に広がる天界に、光と闇が
……。
――そして。
……。
「……帰ろう、“ベルクト”。全て終わらせて、故郷へ。人間と、魔族のいる世界へ」
黒竜にとって、1番の宝物――「ベルクト」と、ゴーダ自身が名付け親となって贈った、世界にたった一つの己の名を、もう一度噛み締めて。
『はい、帰りましょう。柔らかな緑の風吹く、“イヅの大平原”へ』
そして、“翼”が解放された。
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