30-6 : 生き様

 “烈血れっけつのニールヴェルト”……エレンローズに己の武器とゆがんだ意志の全てを砕かれ、完全な敗北を喫した狂騎士が、闘争と破壊をたたえるあの悪魔のようなわらい声を再び上げていた。



「ひははは! きひはははは、ひは……グブッ……!」



 猟奇的なわらい声の最中、苦しげにき込んだかと思うと、ニールヴェルトの口許くちもとから鮮血が噴き出す。



「うぶっ……! ――ぺっ。はぁ……はぁ……ひはは……よぉ、エレンん……それにぃ、シェルミアぁ……」



 両腕に改めてめられた2つの魔導器、“風陣の腕輪”と“雷刃の腕輪”に魔力の淡い光をともしながら、ニールヴェルトが両脚をズルズルと引きって2人の方へ歩いてくる。


 大回廊の末端にまで辿たどり着いている2人と、ニールヴェルトとの距離は数十メートル以上開いている。しかし先の一撃を見れば、それが狂騎士にとって十分な射程内であることは明白。



「きひっ……きひはは……ほんっと、仲が良いっこたなぁ……お二人さぁん……」



 口角をニンマリと三日月形にり上げて、満身創痍そういのニールヴェルトがわらいを重ねる。


 エレンローズのように、魔人化による傷の癒えなどないにも関わらずのそのあらがいようは、驚愕きょうがくの一言。


 シェルミアとエレンローズは示し合わせるまでもなく、互いに誓いを立て合った各々の剣をその手に抜いた。


 その様子を遠目に見て、ニールヴェルトがくっくと肩を震わせる。両肩を盛り上げてグニリと猫背になり、今にも飛びかからんとするその威容は獣のそれ。



「ひははははっ……! 無駄なこたぁやめとけよぉ、お前らぁ……そっから動くなぁ……こいつでトドメになんだからぁ、大人しくしてろぉ。きひひっ」



 狂騎士の両腕に、再びあの嵐と稲妻が湧き上がっていく。


 今から突貫をかけても、魔導器の発動の方がどう見てもはやい。


 回避しようにも、誰よりも戦闘慣れしているニールヴェルトがそんなことを許すほど甘い筋を打ってくる訳がない。



「……!」



 エレンローズがその短い間に出した答えは、身をていしてシェルミアをかばうこと。


 出力が上がらなくなっている封魔の義手でもって、真正面からニールヴェルトの風と雷の砲弾を受け止める――それしかなかった。



「エレンよぉ……お前、そんなにシェルミアが大事かぁ……」



 嵐を練り上げながら、ニールヴェルトの目がギラリと禍々まがまがしくきらめく。


 嘲笑と、殺意と、狂気と……それから、嫉妬の光。



「そぉいうさぁ……忠義だの献身だの……愛だの自己犠牲だのっつぅ奴がさぁ……虫唾むしずが走んだよぉ……!」



 ……。


 一拍置いて、かまいたちを生じる風のゴォッとねじれる音と、骨まで焦がす電雷の光が耳と目を覆い尽くした。


 ……。


 ……。


 ……。



「っ……」



「…………」



 静寂。


 シェルミアとエレンローズが、たまらず閉じていた目を恐る恐る開く。


 ……。



「……はぁーあァ……」



 嵐と稲妻を撃ち放ったニールヴェルトが、気怠けだるそうに大回廊の壁面に背を付けて、両脚を投げ出して座り込んでいた。



「……。……。……行けよぉ、守護騎士ぃ……」



 言葉の合間にせ返り、そのたびにビチャビチャと血を吐き出しながら、ニールヴェルトが小馬鹿にした様子で鼻でわらった。


 何が起きたか分からないまま、シェルミアとエレンローズは互いの身を確認し合う。


 先の狂騎士の攻撃は、2人にかすり傷一つ付けてはいなかった。


 代わりにざっくりと大きな傷がついているのは――大回廊の終端部分。


 巻き起こった嵐は無限の繰り返し構造へ変貌しようとしていた大回廊の境界面をゴリゴリと粉砕して、その先に通常空間へと通じる大穴を穿うがっていたのである。



「少しは、ビビった顔の1つでも見せりゃあよぉ、可愛かわいげあんだろがぁ……ほんッと、面白くねぇ女……」



 顎を上げて頭を壁面に預けているニールヴェルトは、眠くてかなわない様子で、だるげにまぶたを閉じている。



「……負け死合にケチ、つけるほどぉ……俺ぁ、未練がましかぁ、ねぇよぉ。勝つためには、手段なんて、選ばねぇがなぁ……その上で負けた分は、潔く受け入れるっつぅのぉ……。ほら、俺……終わってから文句言う奴、嫌いだからさぁ……」



 これまでと変わらない不穏な言葉を並べながらも、このときのニールヴェルトがやってみせたのは、二人の脱出路の確保であった。


 狂騎士の気紛きまぐれが、ここに来て極みを見せている。



「…………」



 エレンローズが、それこそ「何と言って良いか分からない」という複雑な表情を浮かべた。



「……ひははっ! ああ……イイ顔、してくれるじゃねぇかぁ、エレンん……きひ、きひひ……ゴホッ」



「……貴方あなたという人は……」



 ニールヴェルトが不敵にわらっていると、エレンローズの背後にかばわれていたシェルミアが、神妙な面持ちで前へ出てきた。



「おぉっとぉ……それ以上、こっち来ないでくれますかぁ? 元騎士団長ぉ。俺、あんたのこと苦手なんでぇ」



 うっすらと片目を開いたニールヴェルトが、邪険に言い捨てる。


 シェルミアが、じっとニールヴェルトを見つめる間があった。


 ……。


 手が、伸びる。



「……。ニールヴェルト……――私たちと、一緒に来る気はありませんか」



 狂騎士を見つめるシェルミアの口から出たのは、そんな意外な言葉だった。


 思わず、ニールヴェルトの口許くちもとが「……は?」と半開きになる。


 それに続くシェルミアの声は、真剣だった。



「まだ、“私たち”には、成さなければならないことが山ほどあります。人間も魔族も国も超えて、果たさなければならないことがたくさん、たくさん……。貴方あなたの力も、必ず必要になってくる。私にはもう、権力なんてものはありませんが、貴方あなたにその気があるのなら――」



「あぁー……せっかくですけどぉ、お断りだぁ。そういう、のはよぉ」



 真摯しんしに語りかけていたシェルミアの言葉を遮って、ニールヴェルトが興味もなさそうに手をヒラつかせる。



「俺、騎士は辞めたんですよぉ……ひははっ……もう、誰かの下に付くとかぁ……誰かの上に、立つとかぁ……そういうの、もう飽きちまってさぁ……1人で、好きにやることに、したんですぅ……う゛っ、ガボッ……!」



 吐血で声を濁らせながら、それでもニールヴェルトはヘラヘラとしたわらい顔だけは崩さない。



「今の、これだってぇ……たまったま、あんたらのこと、逃がしてやったら、どうなんのかなぁってぇ……そんな気が、向いてるだけだぁ……早く、しねぇとぉ……まぁた、ぶっ殺して、みたく……なっちまうぜぇ……?」



 そして、ギロリ……と、もう立ち上がれもしない身体に“狩る者”の目つきを宿して、ニールヴェルトが2人をにらむ。



「だから……俺になんて、構ってねぇで……さっさと行けよ……シェルミア……エレンん……。生き残るのは、いつだってぇ……生き残ろうとする、奴……だけだからよぉ……」



 差し伸べられた手を、振り払うようにして。


 その目はギラリと、ただ「俺の邪魔をするな」と言っていた。



「……」



 ニールヴェルトのその言葉を聞き届けると、シェルミアは腕を下ろし、それ以上は何も言わなかった。


 それが、ニールヴェルトという男の生き様と理解すれば――もう、語るべきものなどない。


 シェルミアは視線を狂騎士から引き剥がして、彼がこじ開けた無限回廊の穴に向けて歩き去っていく。



「…………」



 それを追いかけるエレンローズが、最後にもう1度だけ、ニールヴェルトを一瞥いちべつした。


 彼女と目を合わせた狂騎士が、どこか勝ち誇るように、震える右腕を掲げる。



「ひは、ひはは……エレンよぉ……お前の腕輪ぁ、形見にもらっとくぜぇ……イイ女の、こと……忘れたく、ねぇからよぉ……ひは……」



 そう告げた先で、彼女が別れ際にどんな顔を浮かべたか――視界がかすみきったニールヴェルトに、最後のそれを目に焼き付けることはできなかった。


 ……。



「――お前らぁ!」



 そして、閉じていく無限回廊の向こう側へと拳を突き上げ、“烈血のニールヴェルト”が、える。



「お前ら、最後の最後でぇ! 俺に……とんでもねぇ貸しができたなぁ! ひははははっ! いーぃ、気味だぁっ! 忘れんじゃねぇぞぉ! しぶとく生きて……生きて生きて生きてぇ! 最期まで俺のこと、忘れんなよぉぉお!! ひはははは! ひぃーはははははははぁぁぁーっ!!……」



 ……。


 ……。


 ……。


 ……。


 ……。


 ……。


 そして。


 幾何学の暴力が大回廊を埋め尽くし、誰の目にも触れなくなった無限の果てで……――。


 ……。


 ……。


 ……。



「……――」



 ――……パタリ。と、狂騎士の脱力した腕の垂れ落ちる音だけが、どこまでも反響していった。

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