30-4 : “改竄剣リザリア”

 ■■■――“淵王えんおうリザリア”が、玉座に深く身を落ち着けて、頬杖を突いている。


 金属光沢をたたえる両の目は、真っ白なまぶたの下に隠れて見えない。



「……何が……起きたのですか……?」



 シェルミアには、目の前で起き、過ぎていった事物が何だったのか、まるで理解できないでいた。


 彼女に問いかけられたリザリアは、目を閉じたまま、無感情に深く息を吸い込んでみせる。



「……。……逃げおおせたか……この結界から」



 とうとき者が目を開けて、ただ淡々と起きた事実を口にしていく。



「……――“改竄剣かいざんけん”……“改竄剣かいざんけんリザリア”」



 ポツリと、“淵王えんおう”がこぼした。



「何、なのです……それは……」



「名を付けぬ訳には、最早もはやいかぬ。あれほどの不条理の力を宿す剣……余の血をすすり、我がものとし、“原初の闇”からさえ逃れ得た……“過去を、改竄かいざんしおったのよ”。なればあれは、“改竄剣かいざんけんリザリア”と呼ぶが相応ふさわしい」



 リザリアが、吸い込んだ息を長い時間をかけて、憂うように吐き出していく。



「……真紅の呪いと、それへ形を与えた凶王の器……人の“想い”の、何と強いことか」



 孤独な玉座に覆いかぶさる天井を見上げて、金の瞳がその向こうを見透かすように見つめる。



「それだけの想いの強さがあるならば……かなえられぬ理想など、ありはすまいに」



 思いをせるように、リザリアが再び目をつむる間があった。


 ……。



「……シェルミア――」



 “淵王えんおう”が彼女の名を呼ぶより先に――“明星のシェルミア”は玉座に背を向け、歩き始めていた。



「分かっています、“宵の国”の王」



 シェルミアが横目に、リザリアを振り返る。



「あれを、追います。貴女あなたがその身に封じる“原初の闇”……私には理解が及びませんが――ただ、感じるのです」



 1つだけとなったあおい瞳にりんとした光を宿して、シェルミアが真っぐに己の進む道を見る。



「“改竄剣かいざんけんリザリア”……永劫えいごうの闇から抜け出したあの剣は……私の、片割れなのですね」



 そこまで言って、彼女は軽く首を振る。



「いいえ、私だけのものではない。あれからは、数え切れないたくさんの“孤独”を感じました。過去を壊してしまう剣……何て邪悪で、何て……かなしい存在……」



 自然と、シェルミアの両目から再び涙があふれていく。



「あれは、私たちがかえさなければならないもの。私たちが、越えなければならないもの。そうでなければ、“淵王えんおう”……貴女あなたは、貴女あなたのその手で、“改竄剣かいざんけん”ごとこの世全てをなかったことにするおつもりですね……?」



 シェルミアに核心を突かれてもなお、リザリアは眉一つ微動だにさせなかった。



「……。……是非もない。それが“くらふちの者”の、魔族と人の忘れられたふるき盟約の、余だけが知っておればよい、この世界の役割ぞ」



「そんなことは、させません」



 “明星のシェルミア”が、剣を抜く。


 未来を選択する剣を。


 この世で最もとうとき者へ刃向かうように言ってみせた彼女の声音は、しかし穏やかで、揺るぎない。



「“淵王えんおう”。貴女あなたたった1人に、全ての清算を押しつけたりは、させません。たとえそれが、この世の機能の1つなのだとしても――それが、感情を消してまで宵の玉座に座す、貴女あなたの存在理由なのだとしても――そんなことは、悲しすぎますから」



 剣を手にするシェルミアの左腕に、彼女の壊れた魔力の流れが魔方陣として浮かび上がっていく。枝葉を伸ばした魔方陣はやがて彼女のいびつになった左目へと至り、共鳴した。


 一閃いっせん。それはまばゆい光を放ったように見えた。


 ……。


 次の瞬間には、出入り口の存在しないはずの玉座の間から、シェルミアの姿は消えていた。



「……“運命剣リーム”……」



 玉座に独り残った“淵王えんおうリザリア”が、可能性を具現するその剣の名をポツリと呼んだ。



ふるき盟約は忘れ去られたが……“誓いのあかしに人へと渡った”あの剣だけは、覚えておったということか」



 感情のないリザリアの声が、黄昏たそがれの中で誰の耳にも入ることなく流れていく。



「『――誰も悲しまぬ、幸せな世界であるように』、か」



 シェルミアの一途いちずな願いを、魔族の王が復唱する。



「思い出した……かつて、この宵の玉座へと至ったとき――この器から、最後の感情が消えせるとき……余も、確かにそう、願ったのであった……」



 ……。


 ……。


 ……。



「懐かしきものよ……」



 ……。


 ……。


 ……。



「まことこの世は、いものよ……」





 ***



 “淵王えんおう城”、大回廊。


 幾何学の暴力――“原初の闇”をこの地に封じる結界としてそこに在った無限回廊は、今は何の変哲もない巨大なだけの通路として存在していた。


 閉塞した運命さながら、無限に閉じていたそれをこじ開けたのは、人間の想いであった。


 たった1人の、人間の騎士。その後ろ姿が回廊の一角を歩いている。


 “明けの国騎士団”の象徴たる銀鎧ではなく、の暗黒騎士譲りの黒い鎧を身にまとい


 自身の片割れ、誰よりも近い半身そのものであった双子の弟との別れを経て、長く伸びた銀髪を揺らし。


 二度と空気を震わせることのない声で、誰よりも雄弁に語り。


 “魔剣のゴーダ”の紫血をそそいだその身に、人でありながら紫炎の眼光を燃やし。


 失った左腕に、“封魔盾フリィカ”が形を変えた篭手こてを新たな腕として。


 その封魔と破邪の拳でもって、死するばかりであった己の運命を押し開いてみせた者。


 “明星”が守護騎士――“右座の剣エレンローズ”。



「……」



 大回廊をゆっくりと歩いていきながら、エレンローズは何かを探して瞳を左右に泳がせる。


 その灰色の目に一時はごうごうと燃え盛っていた紫炎の光……今はそれも、残り火ほどのちらつきにまで落ち着いていた。


 それは、ゴーダから輸血され体内を巡っていた魔族の紫血が、魔力の激しい燃焼を経て、人間の赤い血へと還元される過程の発露であった。


 宿縁“烈血のニールヴェルト”との、全てを出し切った死合の中で負った致命傷も、魔人化による爆発的な治癒力で半ば完治しかけてすらいる。



「……!」



 やがて大回廊の片隅に探していたそれを見出みいだして、エレンローズが駆け寄った。


 生身の腕と、封魔の義手。その異なる両の腕でひしと抱き締めたのは、“守護騎士の長剣”。


 彼女の愛剣。この大戦の中で折れ失われ、ただ一振りだけ残った双剣の片割れ。


 そして彼女の主君、“明星のシェルミア”との間に交わされた、死後も決して切れぬという最上級の誓約――“守護騎士の契り”のあかしたる剣。


 ニールヴェルトとの激闘の中で一時は手放してしまっていた“守護騎士の長剣”を、エレンローズはもう二度と手放すまいと胸に抱く。


 そしてそのすぐ足下には、これもまた無限回廊の中で千切り落とした金の組紐くみひもが――シェルミアの金髪で編まれた腕輪が転がっていた。



「…………」



 エレンローズの拾い上げたそれは、今ではブツリと途切れて血塗ちまみれとなり、ただの見窄みすぼらしいひも切れと化している。


 それでも。たとえ薄汚れたくずごみのようになっていても。守護騎士エレンローズにとっては、それは何物にも替えの利かない、大切なもの。


 彼女の長剣と並ぶ、“守護騎士の契り”を証明するもの。


 ポッキリと、一度は音を立てて完全に折れてしまった彼女の心をつなぎ止め、守護騎士として再び剣を取るに至らせた、想いの具象。


 それぞれの因縁に決着をつけるため、たった2人で“淵王えんおう城”に陣取ったシェルミアとエレンローズが、互いの無事を願って編み合った祈り。



 ――シェルミア様……。



 染み込んだ血をいまだ滴らせる金の組紐くみひもを胸に寄せ、エレンローズが声にならない声で、こいねがう。



 ――私は、貴女あなた様の守護騎士……どうか、もう一度……この先、何度でも……私に貴女あなたを、護らせて下さい……シェルミア様……。

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