29-20 : お前に聞かせる、最後の言葉

 一閃いっせん


 思いの丈を叫び尽くして、競り合いの末、暗黒騎士が、“忘名の愚者”と交差して、追い越した。


 ゴーダの剣が、これまでで最も深く、愚者を捉える。



「が……は……」



 暗黒騎士の背後で、膝の付く音が聞こえた。


 それはこの、血みどろのぶつかり合いが決した音。


 愚者の身体からは、最早もはや血煙すら上がらなくなっていた。塞がらなくなった傷口から、赤い血が噴き出すばかり。



「……」



「……」



 短い沈黙を挟んで、やがて“忘名の愚者”が口を開く。



「……愛して、いたさ……」



 ……。



「大切な、人で……憧れの人で……大好きな、人だったんだ……。ずっと……ずっと昔から……。私が、“ボルキノフ”になる前から……“石の種”に、関わってしまう前から……ずっと、ずっと………」



 ……。



「この気持ちだけは、本物だった……私の創った幻想の、外にも、内にも……変わらずに、あり続けていたものだった……」



 ……。



「ああ……ユミーリアさん……ぼくは、ずっと……貴女あなたの、ことが……」



 自分の本当の名前さえ忘れ果てた、愚者の独白――この男もまた、本を正せばただそれだけの、“普通の男”だったのである。



「……」



 “蒼鬼あおおに・真打ち”を下ろして、ゴーダが“忘名の愚者”の背中に一歩二歩と歩み寄る。


 “石の種”も、もう限界を迎えているのだろう。


 愚者の背中は、とても孤独な背中だった。


 それを見取ってやれるのは、わずかでも理解してやることができるのは、世界で自分だけなのだろうと、ゴーダは思う。



「ゴーダ……ああ、思い、出した……。そういえば、君とは……私が、サリシスを殺した、あの日に……王都で……」



 古い記憶に思いをせて、愚者が虚空を見つめる。



「もっと……世界を、よく見て回って、おくべきだった……そうすれば、もっとずっと早くに……君と再会、できていたかも、しれない……そうすれば、もう少しだけマシな……幸せを、見つけられたかも……」



「……」



「眠く、なってきたよ……こんなことは……300年ほど振り、だろうかね……」



「……眠るといい……人間らしく……」



「……ああ……――」



 ……。


 ……。


 ……。


 ――ビシャリ!



「!?」



 異形の血が、ゴーダを塗り潰した。


 失血と血の束縛で、全身が脱力する。


 途端に愚者の身体が血煙を上げ始め、傷が修復されていく。



「――ゴーダァ! その甘さが! 君の敗因だよ!! はははははっ!」



 だまし討ち。


 虎視眈々こしたんたんと、あらゆる手を尽くして目標を達成する――“忘名の愚者”は、それまでと何一つ変わってはいなかったのである。



「死ぬのは君だよ! ゴーダァ! ははは! はははははっ!!」



 斬……愚者の振り下ろした刀に、深く肉を断ち斬る確かな手応えがあった。



「はははははっ! 最後に勝ちさえすればいい! 最後に立っている一人でありさえすればいい! 思いなど! 手段など! 結果さえ得られるのなら! どうであろうが構わんのだよ!!」



 勝ち誇った“忘名の愚者”が、“ユミーリアの花”を振り返る。「ボルキノフ」という幻想の中でしか異形の娘を愛せない男の目に、今その存在はただの醜い肉塊にしか見えない。



「さあ! 異形の花よ! 私にもう一度幻想を! 『お父様』と呼んでおくれ! もう一度、ユミーリアと二人きりの幸せな世界へ、私を連れて行っておくれ!」



 そのための道具として、愚者は“災禍の娘”に呼びかけるのだった。


 そして――愚者は、異変にようやく気付く。


 “ユミーリアの花”が広げていたはずの、3対6枚の“偽天使の翼”――それが今、“大きな炎の翼に変わっていた”。


 ガランの炸裂さくれつさせた、紅蓮ぐれんの炎に。


 暗黒騎士の“次元魔法”を封殺していた魔力障壁は、既に跡形もなく消えていたのである。



「……は……?」



 ……。


 ……。


 ……。



「……お前が、今、斬ったのは……」



 背後に、声。



「……?!」



「お前が、斬ったのは……“次元魔法”……“私の、残像”……」



 冷たい汗が、噴き出す。



「ッ……!」



「……分かって、いるな……? 次の言葉が、“魔剣のゴーダ”がお前に聞かせる、最後の言葉だ……――」



 紅蓮ぐれんの炎を反射して、あおい刀身がきらめいた。



「……っ……暗黒……騎士ぃ……ッ!」



 “忘名の愚者”が、焦燥した叫び声を上げる。


 ……。


 ……。


 ……。



「……――『成敗』」



 ゴーダの言葉。そして愚者が、振り返るより先に。



「――“魔剣”――」



 “蒼鬼あおおに・真打ち”が、ひるがえる。


 “火の粉のガラン”がつないでみせた意地ときずなが、彼の手へと、確かに渡る。



「っ!」



 愚者が危険を察して、さっと刀をかざして守りを固めた。



「――“一式:冑通かぶとどおし”」



 防御不可能の、第一の“魔剣”。それが愚者の刀をすり抜けて、鋭く深い一撃を斬り込んだ。



「う……がっ……!」



 弱まった再生能力でどうにか踏みとどまってみせ、愚者が反撃に出る。



「――“二式:霞流かすみながし”」



 回避を究める、第二の“魔剣”。完璧な見切りによって紙一重で“忘名の愚者”の一太刀をやり過ごした直後、無防備をさらし放題の敵へ、ゴーダが一太刀では済まない連斬を打ち返す。



「がふっ……! ぐぎ……ッ!」



 傷の修復が、間に合わない。どうすることもできず、愚者はぐらりと後方へ倒れ込む。



「――“三式:神道開かみじびらき”」



 空間を跳躍する、第三の“魔剣”。それによって斬り開かれた次元のゆがみに向かって倒れ込むと、“忘名の愚者”は半歩ほど横にずれた位置に、直立姿勢で強制的に立ち直される。


 カタン。と、聞こえたのは、暗黒騎士が銘刀“蒼鬼あおおに・真打ち”をさやへと仕舞しまう音。


 刹那。さや走りの音さえ立てず、不可視の域に達した居合い斬りが愚者を襲う。細い血煙を上げて少しずつ塞がりつつあった傷の上から更に深い傷が刻まれ、異形の血が噴き出す。



「あ゛、が……っ!」



「――“四式:虚渡うつろわたり”」



 奇襲にけた、第四の“魔剣”。納刀動作を省略してさやの中へと転位した“蒼鬼あおおに・真打ち”をつかみ、ゴーダは瞬時に居合い斬りの二撃目を放った。


 三連、四連、五連……通常の剣術では不可能の、居合い斬りの連打。



「ぶ……ばぁっ!」



 その余りの衝撃に、“忘名の愚者”の身体は浮き上がり、後方へと吹き飛んでいく。



「――“五式:朧重おぼろがさね”」



 絶対不可視の隠密おんみつ術、第五の“魔剣”。愚者を斬り飛ばした先にゴーダが生成・設置していた「質量の残像」は、「斬撃の軌道」そのもの。


 針の山のごとく、無数に作り出された斬撃の残像群に飛び込んだ“忘名の愚者”の身体が、空中にビタリと縫い止められる。


 もうとっくに、“石の種”の修復能力は、肉体の崩壊速度に置き去りにされている。



「はあ゛っ……はあ゛っ……や、めろ゛……も゛う、や゛め゛っ……!」



 ボロボロの愚者が何か言ったが、全身の魔力を刀身に集中させていくゴーダの耳に、その雑音が聞こえるはずもない。



「――“魔剣、六式”――」



 その神速の太刀筋の中に、剣聖が一体幾つの斬撃を込めたのか、理解できる者など、居はしない。



「――“:屏虎断びょうこだち・めぐり”」



 “忘名の愚者”を囲む空間、半径数メートル。その内側の次元構造が組み替えられ、閉じた球場空間へと変形する。


 その内部で、ゴーダの放った無数の太刀筋1つ1つが砕けたガラス片のように分解され、空間へ差した光をゆがめてキラキラと漂う。


 幾千幾万の、絶対の斬撃を生じる小さな空間断層が、“忘名の愚者”を取り囲む。


 ……ビッ。と、愚者の頬に一筋の切れ込みが入った。


 ビッ。ビッ……ビッ、ビッ、ビッ。


 “六式”によって変換された空間内で、愚者が少しずつ細切れになっていく。



「あ゛……ア゛……! だめ゛ダっ……! 消える゛……消えでしま゛う……! 私が……“石の種”がっ……!」



 ……。



「ア……あ゛ア……こん゛な、ことなら゛……こンなことな゛ラぁぁぁああ!!」



 ……。


 ――斬!


 ……。



「ギイィィィィヤァァァアアァァァァ……っ……。……。……――」



 ……。


 ……。


 ……。



「……」



 ――カタン。


「聞かせる言葉は、もう何もない」という宣言通り、“忘名の愚者”の最後の肉片がジュワリと音を立てて霧散してからも、暗黒騎士は手向けの声一つつぶやくことはなかった。


 ……。


 ……。


 ……。


 ――暗黒騎士“魔剣のゴーダ”……人魔大戦の元凶“忘名の愚者ボルキノフ”、斬滅。

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