29-7 : 外道
「なっ……?!」
「ぎょわぁー!?」
それはまるで、景色の映り込んだ鏡にヒビを入れたようだった。
目の前の“イヅの大平原”の光景に縦横無数の筋が入り、その断片が互いにずれ動く。絵画を切り分けてグラグラと揺らせば、今と似た光景になっただろう。
空間断層を
身体1つ分が収まるだけの連続空間を見つけると、そこに身体を押し込める。
……目の端に、右手が空間断層を飛び越えてしまっているのが見えた。手首から先が、不自然にずれた形でそこにある。
「う……っ!」
ゴーダの視界の向こうでは、焦燥した表情を浮かべたガランがぴょんと跳び上がり、空中で手脚を伸ばして
それはわずか1秒足らずの判断。次の瞬間、空間そのものが絶対の斬撃を生んだ。
――斬。
……。
……。
……。
「はぁ……! はぁっ……!……っ!」
切断された草花が一斉に舞い上がり、無秩序な幾何学模様に断斬された大地が隆起する。“イヅの城塞”は支柱が何本か斬り崩れて倒壊の度合いを強め、空を見れば雲にも碁盤の目のような切れ込みが走っていた。
「っンの……たわっけぇぇ!
ぴょんぴょこと跳ね回るガランが、両腕を振り上げてカンカンになって怒鳴り上げる。
「……無事か!? ガラン!」
「どうにか五体
「そうか……! こっちも無傷だ……すんでの所だったが……!」
「お主、今度やったらタダじゃおかんぞ! 全部片付いたらツラを貸せい! ぶん殴ったるわい! 今のはダメじゃろ……今のは……!」
思い返しただけで冷や汗が噴き出すのか、ゴーダの見ている先でガランが顔を凍りつかせている。血の気が引いて真っ青だった。
「……」
ゴーダが斬れ落ちる寸前だった右手を確かめる。間違いなくそこに
「っ!」
バチリッ。と、電流を流したような、爆竹を破裂させたような衝撃があった。思わず手が跳ねる。
「これは……ローマリアがやられたのと同じか! ちぃっ……!」
脳裏に、己の転位魔法の暴走で傷ついて倒れた魔女の姿がよぎる。
「次元魔法にまで干渉して……! 何だというのだ、あの“花”は……?!」
「ユミーリアは、とても賢い子だ……」
ボルキノフの声が、静かに割って入った。
「あの子は、“明けの国”最後の転位魔法の研究者でね……君の魔法、どうやらユミーリアの波長に近いようだ……1度でもあの子の前で使って見せたのが災いしたね……もう“魔剣”は、使えない」
“ユミーリアの花”を振り返る。
「ああ、ユミーリア……何ともないかい?
異形の娘は自らの防衛本能で展開させた障壁によって“六式”の軌跡をねじ曲げ、傷ひとつ負ってはいなかった。
「よかった……それならいいんだ……それなら――」
――……ボトリ。
「――私が……私が傷つくのは、構わない……君さえ、無事なら……」
ボルキノフとゴーダが、同じ場所へと視線を落とす。
そこには暴走した“魔剣”に巻き込まれ、肩の根元から切断された愚者の左腕が転がっていた。
「……ごふっ」
遅れて大量の吐血。脇腹にも、空間断層に巻き込まれた斬撃の跡がついている。
“ユミーリアの花”は、自衛こそすれ、その男のことを
「いや、いいんだ……
「ゴーダ! 何やっとる!
ガランが一喝を上げる。“魔剣”を封じられた驚きで一瞬
苦痛に
暗黒騎士の刃が、相手の胸元を斬り裂いた。得体の知れない返り血を浴びぬよう、立ち位置を調整しての一太刀である。
そこに差し違えるようにして、“ボルキノフの二の太刀が飛んだ”。
「……ぐっ!」
大きく上半身を
「これは
感心の声に冷笑を混ぜて、そこに更に血に溺れる音を加えながらボルキノフが言った。
「……貴様……!」
その光景に、ゴーダは息を
奇襲の直前、ボルキノフは自分の裂けた脇腹に右手をねじ込んで、“体内から刀を取り出したのだった”。
「仕込み
刀を地面に突き立てながら、足下に転がっている自分の左腕を拾い上げる。その切断面をグチュグチュと
何食わぬ顔で、ボルキノフはそのまま斬れ落ちた左腕を肩にあてがう。シュワシュワと泡と血煙が上がって、それはあっという間に元通りにくっついた。
愚者の体内から引き抜かれた、
「――腐れ外道がぁぁあ!」
それを見たガランが怒声を上げる。その刀の本来の持ち主である騎兵の末路と、丹精込めて鍛えた刀が愚者の手に落ちたことで、彼女の声は涙で詰まった。
「っ……あんまりじゃ……こんなの、あんまりじゃぁ……うぅ……っ」
……。
「……ガラン」
動揺が渦巻く戦場に、ゴーダの声がゆらりと響く。
「その“花”の相手、お前に全て任せる……それが張っている魔力障壁の破壊を頼む」
「あんたの込めた
汚染と崩壊を重ねる“イヅの大平原”の戦闘は、混迷を深め始めたばかりだった。
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