29-4 : 映し見る影

 奇声を上げたボルキノフが、でつけていた頭髪を両手でき乱し、頭を激しく前後に振るいだす。



「私は分かっているんだよ! 100年かけて調べ上げた! それから200年かけて時が満ちるのを待っていたんだ! 私たちの夢のために! ユミーリアのためにぃぃいいっ!!」



 それまでいびつながらも知的で落ち着いたふうでいたボルキノフが、ここに来て一気に異常な態度をあらわにする。



「っ……何だ、貴様……300年……? 本当に人間なのか……?」



人間ゴミと一緒にしないでくれたまえよっ! あんなものと比べられるなど面白くもない冗談だっ! 私は! 私たちは超越したんだ! 脆弱ぜいじゃく矮小わいしょうで愚かな人間ゴミの器からぁァあっ!!」



 何かの発作を起こしたように、左手首をバリバリとむしりだす。



「むぐっ……ギぃぃィイ゛いいい゛いいッ!」



 自分の腕にかじりつき、ギリギリと歯を立てる。そして肉を引き千切ると、それをゴクリと飲み込んでからボルキノフは傷口をゴーダたちに見せつけた。


 真っ赤な血が、ドクドクと流れ出る。



人間ゴミの器はとっくに! とっくに捨てたんだ! なのにこの身体にはいまだにこんな汚い色の血が流れているっ! ああ! ああ! 汚い! けがらわしい!! こんなものが私の内を流れているなんて信じられない! ガブッ! ムグ……がブごブ……ッ!」



 耐えがたいストレスを悪食と自傷によって解消しようとでもいうのか、愚者は己の身体を貪り喰らう。噴き出す赤い血と肉片で、口周りがグチャグチャに汚れた。



「……ゴーダ、もうええじゃろ……こんな狂い果てた者の話をこれ以上聞いてどうするんじゃ」



 ガランが静かにつぶやく。吐き出す息は怒りとあわれみで震えていた。



「角の生えた女ぁァア! お前には興味などないと前にも言ったぞぉオ! 私は彼と話しているのだ! 静粛にしたまえよ議論の最中じゃアないかぁぁアあっ!!」



 グッチャグッチャと左腕の一部だった肉を汚らしく咀嚼そしゃくしながら、ボルキノフが怒声を上げる。



「……」



 そんな狂気を目の当たりにしながら、ゴーダは愚者から目を離せないでいた。


 恐怖したからなどではない。怒りに棒立ちしている訳でもない。理解が及ばず混乱しているのでもない。



「……」



 ゴーダは、“共感していた”。ボルキノフの中でのたうち回っている感情に。狂慌に。精神がガタガタと音を立てて砕けていく感覚に。


 300年……この愚者が言っていることが事実ならば、それは人間の精神構造では耐えきれない時の流れである。それは人間の魂を持った転生者として400年を生きたゴーダ自身が、誰よりもよく知っている。


 彼はその崩壊に対する治療法を――かつての故郷である異界の文化収集と、この東の地での平穏な生活を見出みいだしたが、それがなければ……。


 目の前のボルキノフの姿に、ゴーダは自分の「もしかしたらそうなっていたかもしれない」という姿を映し見ていた。



 ――お前は、私と同じだ……今この時点に至るまでの手段と道のりが違うだけの。



「ゴーダぁ! 君は私と同じだろぉ?! 君の魂は人間の形をしているぅ! 私は知ってるンだァ!」



 ――ああ、分かるよ。肉体は貪欲どんよくに生を求めて、精神が……魂だけが壊れていく音が聞こえるのだろう? 眠りの中でさえ……。



人間ゴミの汚い真っ赤な血ぃ! これがいけないんだ! これのせいで! これのせいで私もユミーリアも縛り付けられているッ! 紫血しけつが! 魔族の身体が欲しいんだ! どうやったのかね、ゴーダっ! どうやってその器を手に入れたのかねッ?!」



 ボルキノフがゴーダに向かって手を伸ばし、1歩前に出る。



「ああ! ああ! 調べなくてはっ! まだ分からないんだ! やはり君の身体を開いてみなければ分からないぃィ! 隅から隅まで臓物を引きり出して! 脳味噌みそほどいて全部調べないとぉぉお!」



「――――」



 ボルキノフの発作的な叫び声に刺激されたのか、“ユミーリアの花”も高低入り交じった振動音でく。“イヅの城塞”の瓦礫がれきがビリビリと震えた。



「……なるほど……よく分かった。この戦争の顛末てんまつと、お前の目的について」



 息を吸い込んで、呼吸を止めた。“イヅの大平原”の嗅ぎ慣れた若葉の匂いはしない。鼻孔に刺さるのは腐肉と汚液の悪臭である。


 天を仰ぎ見る。遮蔽物のない突き抜けるような空の一角に、“ユミーリアの花”の醜い造形が食い込んでいる。



「……ふぅー……」



 うつむいて、目を閉じ、ゆっくりと5つ数えた。そして顔を上げる。


 ……。



「……最後に、もう1つだけく」



 ……。


 ……。


 ……。



「ベルクトを……“イヅの騎兵隊”を……私の大切な部下たちを、どうした」



 ……。


 ……。


 ……。



「ああ、彼らか……結局、どんなに調べても核心は――“石の種”の在りは、分からなかったよ。残念だ」



 ……。


 ……。


 ……。



「……まぁ、食い物には困らなかったがね」



 無表情のボルキノフが、げぇぷと気色悪いげっぷを鳴らした。


 ――カタン。


 ゴーダの姿は、既にそこにはなかった。全てに遅れて、さやに刃の収まる音が聞こえる。


 ブシュゥッ。と、ボルキノフの上げる血飛沫ちしぶきが風に舞った。



「う゛っ……ぐ……!」



 交差したゴーダの背後に、愚者のうめき声がこぼれる。



「ああ゛……痛いなぁ……人間ゴミなら、絶対に耐えられない……」



「死んでくれるなよ……この程度で」



「ふ、ふふ……! 勿論もちろんだとも……議論は、終わりかね……?」



「ああ、そうだな。悪いがもう、対話は無理そうだ……――」



 ゆらり。ゴーダが振り返る。



「――柄にもなく、キレてしまったのでな」



 暗黒騎士の兜、その目許めもとから、紫炎の眼光がメラメラと燃え上がっているのが見えた。



「……ぁ゛はははははっ……! 素晴らしい……! 解体して、調べ尽くしたら……君だけは全て綺麗きれいに平らげるとしよう!」



 視線を飛ばし合う2人の下に、ドッと空気の壁が吹き抜けた。



「――――」



「……ガハハ……」



 “ユミーリアの花”のいびつな歌声。振り下ろされた異形の拳とかち合ったガランのげんこつ。それが巨大な太鼓のように空気を震わせていた。



「悪いがのう、ワシは何を見ても聞いても、もう泣いてはやらん……涙でこの身体が冷えてしもうたら、貴様をぶっ飛ばせんからのう……バケモンやい」



 パチパチと火の粉が舞い、ガランの全身に赤熱した血管が浮き上がる。


 ……。


 ……。


 ……



「「「……さぁ、この巡り合わせに、ケリをつけよう」」」

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