28-19 : 黒い淀み

「……黙して見聞しておれば、何と醜く騒がしいものよ」



 “淵王えんおうリザリア”が、玉座の肘掛けの上に頬杖ほおづえを突いた姿勢のまま、何の感情もないまま言った。



「その獣にも劣るあかき呪いで、余を殺すと申すか、凶王よ」



「ケケケケェッ! 殺ス! 殺スッ‼ 殺スゥッ!!! コノ世ニ王ハ2人モイラヌ!」



 身体はシェルミアを向いたまま、頭だけを真後ろに座すリザリアへ向け、首の捩じ折れた人形のような奇妙な姿勢をとったまま、凶王が肩の関節を無視して右腕を背後に向けた。そのまま前後が逆になったような後ろ歩きの動作で、“淵王えんおう”の玉座へと至る道を歩き出す。



「滅ビヲ導ク凶王ニコソ、ソノ玉座ハ相応シイ! ケケケケケッ‼」



「そうまでしてこの玉座を欲するか。ならば、好きにするが良い」



 リザリアが、一切の感情のない冷たい瞳で、人であったことを捨てた真紅の存在をじっと見つめた。



「されど、凶王よ――余の下へ至るには、なんじの因果、いまだ断ち切れてはおらぬようぞ」



「ケケッ……?」



「――あぁぁあああ……っ!」



 凶王の正面から――背中へ向けてねじれている真紅の兜から見れば真後ろから、瓦礫がれきの崩れ落ちる音が聞こえて、砂埃をき分けてシェルミアが前に走り出た。


 銀の甲冑かっちゅうも、金色の長い髪も、黒いよどみに染まった黒髪も、血塗ちまみれになった肌も、全てを土煙でドロドロに汚して、それでもなお、姫騎士は食い下がった。



「――凶王ぉおっ!」



 シェルミアの満身創痍そういの身体がきしみを上げながら、渾身こんしんの一突きを放った。



「……グルル……」



 凶王が、鬱陶しげに喉を鳴らした。それ以上の動きは、何もなかった。


 ――コッ。


 リザリアの方へ首をねじったまま、凶王は身動き1つしなかった。それに変わってシェルミアの剣を止めたのは、ひらりと舞った長い裾。



「――ウフフ」



 “侍女の形をした呪い”が、目許めもとを隠すベールの下から口許くちもと微笑ほほえませ、長いスカートの裾から大胆に右脚を見せつけていた。そして細いヒールの先端でシェルミアの突きの正にその先端の1点のみを精密に蹴り止めて、ただ小さな声で笑っていた。



「……!!? なっ――」



「――ンフフッ」



「――クスクス」



 次の瞬間、新たにその場に現れた2体の“侍女の形の呪い”が長いスカートを太腿ふとももの根本までたくし上げ、一糸乱れぬ左右対称の動作でもってシェルミアの腹部に鋭い膝蹴りをたたき込んだ。容赦ない衝撃が鎧を突き抜け、骨と内臓を直接掻き回す。



「っ……え゛は……!?」



 血反吐ちへどと胃液の混ざったものがこみ上げて、びちゃびちゃと白亜の床を汚した。



「――フフフ」



 そして背後で、4体目の“侍女の形の呪い”が無慈悲に笑った。天に向かってスラリと伸ばされた真紅の脚線美が風を切り、シェルミアの首元めがけてかかと落としが振り下ろされる。甲冑かっちゅうが砕けたことで衝撃が分散されなければ、確実に首の骨が粉々になっていた一撃だった。


 脳震盪のうしんとうを起こした身体が意識の制御を振り切って、シェルミアは土埃の積もる床の上に突っ伏して倒れていた。


 ――コッ。カッ。カッ。コッ。


 “4人の侍女の形の呪い”が、シェルミアの四肢にそれぞれヒールの先端を立てる軽快な音が響いた。スカートをたくし上げた呪いたちが、ゆっくりと力を強めながらぐりぐりと細いヒールをひねって姫騎士を踏みつける。


 やがて甲冑かっちゅうの割れる音がして、ヒールが両手両脚に食い込む痛々しい気配と、シェルミアのもだえる声が沈黙を破った。



「うあっ……う゛……あぁ……っ!」



 手足に突き刺さったヒールになおも踏みにじられ、地面にくぎ付けにされたシェルミアは、身動きひとつできなかった。



「何度邪魔ヲスレバ気ガ済ム、死ニ損ナイガ……!」



 幾万の羽虫の羽ばたきのような凶王の声が、苛立いらだちの熱で揺れる。


 凶王の足が、うつ伏せに倒れているシェルミアの頭部を踏み潰すほどの勢いでたたき降ろされた。



「はぁ゛……はぁ゛……っ゛……えぇ、何度、だって……邪魔しま゛す……! 宵の、玉座へ……至り゛、たいのな゛ら……! 私を゛……殺して、い゛きなさい……!」



「グルルル……!」



 凶王の肩が怒りで上がり、シェルミアの頭を踏みつけている足に体重と力がぐっと乗った。その動作に合わせて“4人侍女の形の呪い”たちも姫騎士に突き刺さったヒールに体重をかけ、足首をグリグリと回して傷口を広げた。



「……あ゛っ゛……ふぅっ、ふぅっ……! どうし、ましたか……! まだ、私は……っ……生きてい゛るぞ……凶、王゛……!」



 踏みにじられて血塗ちまみれになりながら、シェルミアが横目でにらみつけるようにして凶王を見た。あおい右瞳にはまだ生者の輝きがあり、「女1人殺せないのか」と、姫騎士の口許くちもとが無理に強がって挑発するように笑った。



「グルルル……! 殺ス……殺ス……殺ス殺ス殺ス! 殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺スゥゥゥゥゥゥ!!!!!」



 激昂げっこうした凶王が、シェルミアの頭部をかち割らんと、踏みつけていた足をもう1度持ち上げた。それに応じるようにして、“4人の侍女の形の呪い”も血にれたヒールを高々と天に掲げる。



「はぁ゛、はぁ゛……――“運、命……剣……”っ!」



 手足をくぎ付けにしていたヒールが引き抜かれると同時に、“運命剣リーム”に魔方陣が浮かび上がった。5本の足が一斉にたたき降ろされ大理石の床が砕けた瞬間、“回避する未来”を選択したシェルミアが凶王の背後でゆらりと棒立ちになっていた。



「…………」



 魔導器の魔力が体内の壊れた魔力の流れに干渉する激痛でもがき苦しむシェルミアの声は、そこには聞こえなかった。



「…………」



 無言のまま棒立ちになっているシェルミアには、もう「痛い」と悲鳴を上げるための“感覚”と呼べるものすら残ってはいなかった。ただだらんとうつむいた顔の横に解けた長い髪が垂れ、無色にゆがんだ左眼ひだりめから真っ黒なよどみが止めなく流れて、それがボタボタと床に落ちる水音を立てるばかりだった。



「因果ヲ、断チ切ル……」



 “明星のシェルミア”と真っ向から対峙たいじして、凶王の兜の奥で茶色い瞳の光がよぎった。



「玉座ヘ至リ……宵ト明ケニ終ワリノ刻ヲ……」



 “人造呪剣ゲイル”が頭上に高く振り上げられて、それを囲うようにして“4人の侍女の形の呪い”がひらりと舞踏の構えを取った。



「死ネ、シェルミア……グルルルァ!!!」



 真紅の呪いたちを従えて、凶王が剣を振り下ろした。


 ……。


 ……。


 ……。



「――“運……命……剣”」

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