28-12 : 人の意思
「……!……チッ……!!」
エレンローズのその姿を目にして、ニールヴェルトが腹立たしげに獣のように喉を鳴らし、大きな舌打ちの音を立てた。歯を食い縛っている狂騎士の顔はグニャリと
「あぁ?! 何でまだ、立つんだよ、お前ぇ! 見て分かんだろぉがぁ……! 俺も! お前も! もう終わりなんだよぉ! これ以上、もう、どうにもなんねぇだろぉがぁ……!……終わりぐらい……俺を頼ってみろよ、エレンん……!」
ニールヴェルトのその叫びを無視するように、その言葉の意味を打ち崩そうとするように、エレンローズが足を引き
いかな相手も手負いとはいえ、今にも倒れそうな
「……っ……」
消え入りそうな浅い呼吸音を漏らしながら、エレンローズが
――コツン。
ニールヴェルトは、もう避けることもしなかった。全く力の籠もっていない拳が、
「……っ……っ……」
ひゅーっ……ハッ……ひゅーっ……ハッ……。エレンローズの苦しげな呼吸音が、ニールヴェルトの目の前に聞こえる。
「だから、よぉ……それが、なんだっつぅんだよ……」
ひゅーっ……ハッ……ひゅーっ……ハッ……。エレンローズは、何も答えない。
――コツン……。
ただ、ニールヴェルトの胸当てを力なく殴りつけるその拳だけが、エレンローズが何も諦めていないことを無言の内に語っていた。
ひゅーっ……ハッ……ひゅーっ……ハッ……。
――コツン……コツン……。
「なんだっつぅんだよぉおっ!!」
ひゅーっ……。っ……。……。……。
エレンローズの小さな呼吸音が聞こえなくなり、そしてそこには、狂騎士の左手に首を
もうほとんど力の入らなくなっているエレンローズの身体が、宙にだらんと垂れ下がる。
「……はは……ははは……いつかのときと、同じだなぁ、エレンん……」
ニールヴェルトが乱された調子を取り戻そうとでもするように、両の口角を
「…………っ」
「あのときの、お前はよぉ……殺す価値も、ねぇぐらい、詰まんねぇ女に、なっちまってたけど、よぉ……はぁ、はぁ……今の、お前なら……狩れるぜぇ……」
その言葉は、何度目かのニールヴェルト自身に向けられた言葉だった。
「あぁ、そぉだぁ……! 狩ってやる……狩ってやるぜぇ……! お前が、こっちを、振り向かねぇ、ならよぉ……! 狩って終わりに、してやるよぉ……エレンローズぅぅ……!」
「……っ……」
エレンローズの首を
「ひはっ……ひはははっ! どぉだよぉ、えぇ?! お姫さんを残して、先に死んでく気分はよぉ?! きはっ、きははっ……悔しいよなぁ?! 無念だよなぁ?! ひははははっ!
「…………っ」
首を締め上げるニールヴェルトの左手を右手で
「……! クソが……クソがっ……クソがぁああああぁぁぁあぁっ!!!」
その瞳に映る光の中に、自分の影が映っていないのを見て、“
「ここで死ねぇぇええっ! エレンロォォオズぅぅぅうううっっっ!!!」
狂騎士の右手に握られた“カースのショートソード”の切っ先が、守護騎士に向けて突き出された。
……。
……。
……。
一瞬、ほんの一瞬だけ――ニールヴェルトの目の前に、小さな小さな影がよぎった。
「あァ?!」
無限回廊に満ちる淡い光を遮ったのは、人影でも物影でもない――それは何かの落とす影ではなく、影そのものだけから成る、無力な何かだった。
それはニールヴェルトが腕で払っただけで、煙を消し飛ばすように音も気配もなく
その影が
……。
……。
……。
――“姉様――”。
……。
……。
……。
――ありがとう……ロラン……。
人の形を失った双子の弟の、その最後の一欠片を見送るように、エレンローズが目を閉じた。
……。
……。
……。
たった、それだけのこと――。
……。
……。
……。
そしてただそれだけのことが――人の意思が、運命を変える。
……。
……。
……。
開かれた瞳の中に――この一瞬を切り取るように、紫炎の光が、そこにはあった。
……。
……。
……。
そしてエレンローズの“左腕”が、ニールヴェルトの刃を受け止めた。
「なっ……?!!!?」
「…………――――!!!!」
封魔の術式文字が光を放ち、無限回廊を埋め尽くす。目を開けていられなくなるほどの
「うっ……ぐっ!」
「はぁっ! はぁっ! てンめぇ……っ!」
「何なんだよ……何なんだよぉお!! お前はぁああああぁっ!!!!」
やがて光を鎮めた左腕の形が露わになり、そこには古風な装飾の施された
解き放たれた封魔の陣が、無限回廊そのものを見る見る内に崩壊させていく。
ザリッ……ザリッ……ザリッ。
「……あのときか……! あのとき――ゴーダと何をしやがったぁあ! エレンんんんんんんっ!!!!」
「…………――――」
その姿はまるで――かの暗黒騎士の生き写しであった。
「認めねぇ……認めねぇ! 認めねぇえっ!! お前はここでくたばるんだよ! 俺に狩られるんだよ!! 俺とっ!! 一緒に!!! 死ぬんだよぉおっ!!!! エレンロぉぉぉおおズゥゥウゥウウウッ!!!!!」
“カースのショートソード”を振り上げて、“
「ああ゛ぁぁぁ゛ァァあ゛ぁぁア゛ぁぁあ゛ぁぁぁっ゛!!!!」
「――――――――――っ!!!!!!!!!!」
それを正面から迎え撃ち、“右座の剣エレンローズ”の内を流れる“魔剣のゴーダ”の紫血の名残が、灰色の瞳に紫炎を
それは魔法でも何でもない、無限に閉じた世界と運命をこじ開けようとする、ただのちっぽけな人間の、強い願いと折れない思いであった。
――バキリッ。
“封魔盾フリィカ”の
「……エぇぇレぇえぇンんんんんんっ!!!!!!!」
――『ニールヴェルトぉぉぉおおおっ!!!!!』
――ドンッ。
紫炎の眼光が
ぐっ。と、更にその拳に力が
「―――――――――っっっっっっ!!!!!!!!!!!!」
失った声に全てを乗せて、エレンローズが、ニールヴェルトに打ち込んだ拳を、思いの限りを
「エレン……エレン……エレンんんんんっ!!!! っっっ……ああ゛あ!アアア゛!アぁぁ゛ぁ!ァァ゛ァ!ァァ゛ぁぁ゛ぁ!ァァァァァ……、、、。。。。。」
――グシャリッ。
……。
……。
……。
まるで巨大なガラス細工を粉々に砕くような崩壊音が耳をつんざき、狂騎士の断末魔が無限回廊の光景とともに悪夢の終わりを告げるように遠ざかり、小さくなり……最後には、何も聞こえなくなった。
後に残ったのは、幾何学の暴力を失った大回廊の荘厳な
そこに立っているのは、たった1人の人影であった。
無限回廊ごと、世界と己の運命を打ち砕いて、エレンローズは確かにそこに立っていた。
……。
……。
……。
――『たかが、運命なんかに……負けてなんか、いられないのよ……!!』
……。
……。
……。
――“右座の剣エレンローズ”、宿縁“
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