28-5 : 憤怒
ドォッと足下が震え、腹の底を揺する
見通しの利かない
「グァヴルァァアアッ!!」
その
“巨人の形の呪い”が繰り出した力任せの一撃が大回廊の床を
その真紅の拳は、しかしシェルミアの鮮血の色には染まってはいなかった。
“巨人の形の呪い”が立てるけたたましい騒音と土煙の中に身を潜め、大回廊を駆け抜けたシェルミアがその煙幕を切り開いて、真紅の剣をだらりと垂れ下げたアランゲイルとの距離を一気に詰めた。
ギョロリ。と、熱病に浮かされているような常軌を逸した丸い眼だけを動かして、アランゲイルが駆け寄るシェルミアを凝視する。
――ゴボリ。
王子の意思を
――ズチャリ。
そして水風船の
「ギシャァア!」
「グギャギャッ!」
「ゲギギッ!!」
「……かわせるかい? シェルミア……」
シェルミアの見ている先で、アランゲイルがニタリと破滅的に
「――“運命剣”」
――……。
“運命剣リーム”が鼓動し、それに合わせてシェルミアの意識の中で時間の概念が停止する。時の束縛を一時的に振り切った彼女の眼前には、数秒後の世界が取り得る有り
そのほとんどには、シェルミア自身の無残な姿が映し出されている。
形を得たアランゲイルの“呪い”に押し倒され、喉元を食い破られる未来――背後に潜んでいた触覚から現れた“呪い”たちに背中を不意打ちされて
――届いてみせる……たとえ、針の穴を通すほどのことであっても……!
シェルミアの意識が、広大に広がる万華鏡の1つに向かってぐんぐんと近づいていった。
――たったひとつでいい……! 私に、それに見合うだけの技と力と、資格があるのなら……!
伸ばした右手が、その“たったひとつ”の未来に伸びていく。
――必ず、届いてみせます……兄上……!
そして未来は選択され、無数の“可能性”が、たったひとつの“結果”へと収束する。
……――。
駆けるシェルミアが、ぐっと床を踏み込んでわずかに進行方向を変えた。その直線上には“魔族兵の形の呪い”たちが群れている。その数はゆうに30体を越えていた。
「悪いけれどね、シェルミア……この畜生どもは元はきちんと鍛練を積んだ魔族兵たちだ。たとえ理性を欠けさせていたとしても、使い捨ての戦力としては十分過ぎる駒になる……」
アランゲイルの薄い唇が、引き
「いかなお前でも……無事では済まないよ」
……。
「……はあぁぁぁあああぁっ!!」
駆け抜ける速度を一切落とさず、“明星のシェルミア”が自らを鼓舞する声を上げた。美しく勇ましい声が、高らかに無限回廊に木霊する。
「――グヴァルァァアアアァッ!!!」
そして、シェルミアのその声を聞きつけた背後の“巨人の形の呪い”が、巻き上がった視界の利かない土煙の向こうから、音だけを頼りに巨大な拳を振り下ろした。
その気配を背後に認めるや、シェルミアはそれまでとは打って変わって、吐息の音も漏らすまいと
その直後、石の砕ける激しい音が
「なっ……!?」
アランゲイルが、
「っ!!」
息を止め、全身にしなやかな力を
剣先と手元が、確かな手応えに震えた。それと同時に、ビシャリと赤い血が飛び散る。
「……」
しかしそれは鮮血ではなく、黒く濁りかけの真紅の屍血だった。
「……ゲブッ……」
シェルミアとアランゲイルとの間に割って入るようにして、背後から瞬時に再展開した“巨人の形の呪い”が、肉の盾として使い捨てられ、その胸の中心に“運命剣リーム”の刃を食い込ませていた。
「……言っただろう? 捨て駒にするには、十分だと」
おぼつかなげにフラフラと身体を揺らしながら、アランゲイルが
「……兄上……!
興味も関心もまるでないというふうに言い捨てた兄に対して、“巨人の形の呪い”に剣を突き刺したままの妹の声は、怒りと戸惑いで震えていた。
「
「何をそんなに
「黙りなさい!!!」
シェルミアが、声の限り怒鳴り上げる。
「使い捨てられていい者など、この世にはいませんっ! 魔族にも!……人間にも! そんな者など、1人たりといませんっ!!」
「……ふ……ふふ……くくく……」
白亜の上にズチャリと倒れ、真紅の染みだけを残して消失した“呪い”を横目に見やりながら、アランゲイルが肩を震わせて笑い出す。
「くくく……ははは……!」
「……ははははは……!」
……。
「ははは……。……。……。……。」
そしてようやく、笑い声が収まった。
「……。……。」
……。
……。
……。
「……それを……そんな言葉を……私に向けて説教するのか、シェルミア……」
「……っ!」
「まるで私が……使い捨てられる者の痛みを、見捨てられた者の苦しみを、虐げられてきた者の恨みを、まるで知らない愚か者だとでも言うのかい……シェルミア……」
「……っ」
「お前が……! 私に……! それを言うのか――」
……。
「――シェルミアぁあ!」
突然、アランゲイルが怒声を上げた。衰弱しかけている見かけからは想像できない、腹の底から噴き出すような爆発的な叫びだった。
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