28-5 : 憤怒

 ドォッと足下が震え、腹の底を揺する轟音ごうおんが響き、ぱらぱらと砕けた石の破片が転がる音と、巻き上がった砂埃とで周囲が満ちた。


 見通しの利かない粉塵ふんじんの向こうから、大型の獣のようなおぞましいうめき声が聞こえた。



「グァヴルァァアアッ!!」



 その巨躯きょくから繰り出される拳が空気を押しやり、視界を塞ぐ土埃つちぼこりの幕にぽっかりと丸い穴を穿うがつ。人間の成人を片手で握り潰せるほどの巨大な握り拳が、シェルミアに向かって無慈悲にたたき込まれた。


 “巨人の形の呪い”が繰り出した力任せの一撃が大回廊の床をたたき割り、爆発音にも似た衝撃とともに新たな粉塵ふんじんが舞い上がる。


 その真紅の拳は、しかしシェルミアの鮮血の色には染まってはいなかった。


 “巨人の形の呪い”が立てるけたたましい騒音と土煙の中に身を潜め、大回廊を駆け抜けたシェルミアがその煙幕を切り開いて、真紅の剣をだらりと垂れ下げたアランゲイルとの距離を一気に詰めた。


 ギョロリ。と、熱病に浮かされているような常軌を逸した丸い眼だけを動かして、アランゲイルが駆け寄るシェルミアを凝視する。


 ――ゴボリ。


 王子の意思をみ取るように、それとも動物的な自己防衛反応を取るように、“人造呪剣ゲイル”の刃がごぼごぼと泡立った。さやを持たぬその真紅の剣がぐにゃりとゆがみ、そこから何本も枝分かれした虫の触角のようなものが、薄気味悪くウネウネとうごめいた。


 ――ズチャリ。


 そして水風船のはじけるような湿った破裂音がしたかと思うと、その触覚の先端に姿を現した“魔族兵の形をした呪い”たちが、一斉にシェルミアに向かって飛びかかった。



「ギシャァア!」



「グギャギャッ!」



「ゲギギッ!!」



「……かわせるかい? シェルミア……」



 シェルミアの見ている先で、アランゲイルがニタリと破滅的にわらった。



「――“運命剣”」



 ――……。


 “運命剣リーム”が鼓動し、それに合わせてシェルミアの意識の中で時間の概念が停止する。時の束縛を一時的に振り切った彼女の眼前には、数秒後の世界が取り得る有りようが無数の万華鏡のように映し出されていた。


 そのほとんどには、シェルミア自身の無残な姿が映し出されている。


 形を得たアランゲイルの“呪い”に押し倒され、喉元を食い破られる未来――背後に潜んでいた触覚から現れた“呪い”たちに背中を不意打ちされてたおれる未来――四方を囲まれ、無数の牙と刃によってバラバラに切り刻まれる未来。



 ――届いてみせる……たとえ、針の穴を通すほどのことであっても……!



 シェルミアの意識が、広大に広がる万華鏡の1つに向かってぐんぐんと近づいていった。



 ――たったひとつでいい……! 私に、それに見合うだけの技と力と、資格があるのなら……!



 伸ばした右手が、その“たったひとつ”の未来に伸びていく。



 ――必ず、届いてみせます……兄上……!



 そして未来は選択され、無数の“可能性”が、たったひとつの“結果”へと収束する。


 ……――。


 駆けるシェルミアが、ぐっと床を踏み込んでわずかに進行方向を変えた。その直線上には“魔族兵の形の呪い”たちが群れている。その数はゆうに30体を越えていた。



「悪いけれどね、シェルミア……この畜生どもは元はきちんと鍛練を積んだ魔族兵たちだ。たとえ理性を欠けさせていたとしても、使い捨ての戦力としては十分過ぎる駒になる……」



 アランゲイルの薄い唇が、引きった嘲笑に変形する。



「いかなお前でも……無事では済まないよ」



 ……。



「……はあぁぁぁあああぁっ!!」



 駆け抜ける速度を一切落とさず、“明星のシェルミア”が自らを鼓舞する声を上げた。美しく勇ましい声が、高らかに無限回廊に木霊する。



「――グヴァルァァアアアァッ!!!」



 そして、シェルミアのその声を聞きつけた背後の“巨人の形の呪い”が、巻き上がった視界の利かない土煙の向こうから、音だけを頼りに巨大な拳を振り下ろした。


 その気配を背後に認めるや、シェルミアはそれまでとは打って変わって、吐息の音も漏らすまいと口許くちもとを真一文字に結んだ。それから間髪入れずに、走り抜ける自身の勢いに任せて大理石の床に向かって飛び込んで、白亜の上を滑り転げながら前方の“魔族兵の形の呪い”たちの足下をすり抜けた。


 その直後、石の砕ける激しい音がとどろいて、“巨人の形の呪い”が放った当てずっぽうの一撃が“魔族兵の形の呪い”たちを巻き込んで、それらをぺしゃんこにたたき潰していた。



「なっ……!?」



 アランゲイルが、驚愕きょうがくに思わず声を漏らした。



「っ!!」



 息を止め、全身にしなやかな力をめたシェルミアが、右腕に持った“運命剣リーム”で鋭い突きを放った。


 剣先と手元が、確かな手応えに震えた。それと同時に、ビシャリと赤い血が飛び散る。



「……」



 しかしそれは鮮血ではなく、黒く濁りかけの真紅の屍血だった。



「……ゲブッ……」



 シェルミアとアランゲイルとの間に割って入るようにして、背後から瞬時に再展開した“巨人の形の呪い”が、肉の盾として使い捨てられ、その胸の中心に“運命剣リーム”の刃を食い込ませていた。



「……言っただろう? 捨て駒にするには、十分だと」



 おぼつかなげにフラフラと身体を揺らしながら、アランゲイルがかすれた声で言った。



「……兄上……! 貴方あなたは……!」



 興味も関心もまるでないというふうに言い捨てた兄に対して、“巨人の形の呪い”に剣を突き刺したままの妹の声は、怒りと戸惑いで震えていた。



貴方あなたは……“それ”に、どれだけの命を喰わせたのですか……っ!!」



「何をそんなに狼狽うろたえているんだい、シェルミア……こんなくずどもは、こうでもしなければ役に立たないだろう? お前は知らないのかもしれないけれどね、肉を被った道具と割り切れば……どんな愚図ぐずでも、存外使い道があるのだよ……」



「黙りなさい!!!」



 シェルミアが、声の限り怒鳴り上げる。



「使い捨てられていい者など、この世にはいませんっ! 魔族にも!……人間にも! そんな者など、1人たりといませんっ!!」



 悲愴ひそうな顔でそう叫ぶ目の前で、シェルミアの剣技を受けた“巨人の形の呪い”が、ドロドロに崩れて形を失っていった。



「……ふ……ふふ……くくく……」



 白亜の上にズチャリと倒れ、真紅の染みだけを残して消失した“呪い”を横目に見やりながら、アランゲイルが肩を震わせて笑い出す。



「くくく……ははは……!」



 可笑おかしくてたまらないとでもいうふうに、兄の乾いた笑い声は止まらなかった。目許めもとを片手で覆い隠して、猫背になった背中を更に丸めて笑い続ける。



「……ははははは……!」



 ……。



「ははは……。……。……。……。」



 そしてようやく、笑い声が収まった。



「……。……。」



 ……。


 ……。


 ……。



「……それを……そんな言葉を……私に向けて説教するのか、シェルミア……」



 目許めもとを覆った手のひらの隙間からのぞいたアランゲイルの茶色の眼は、怒りと恨みでごうごうと燃え盛り、飢えた獣のようにぎらついていた。



「……っ!」



 甲冑かっちゅうの下で、シェルミアの肌が総毛立つ。



「まるで私が……使い捨てられる者の痛みを、見捨てられた者の苦しみを、虐げられてきた者の恨みを、まるで知らない愚か者だとでも言うのかい……シェルミア……」



「……っ」



「お前が……! 私に……! それを言うのか――」



 ……。



「――シェルミアぁあ!」



 突然、アランゲイルが怒声を上げた。衰弱しかけている見かけからは想像できない、腹の底から噴き出すような爆発的な叫びだった。

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