26-9 : 最高の(最低の)、言葉

「お話は終わりまして?」



 西方要塞跡地のおり越しに、ガランが東方の惨状をゴーダに聞かせ終えたところに、ローマリアが優雅な足取りで現れた。



「!……ふんっ」



 ローマリアの姿を見るや、ガランは腕でゴシゴシと涙のあふれていた目許めもとを拭って、あぐらをいて腕組みをした体勢でそっぽを向いた。



「盗み聞きとはいい趣味をしとるのう、ローマリア」



「あらあら……ふふっ、もしかしてわたくし、貴女あなたから嫌われているのかしら?」



「何を今更! お前のことなんぞ、250年前にここから出ていく羽目になってから、ずっとずっと大っ嫌いじゃ」



「まぁまぁ、ふふっ……ええ、わたくしも、貴女あなたが東方でゴーダの専属鍛冶師になったと聞いたときから、ずっと憎らしかったですわ、ガラン……うふふっ」



 ガランとローマリアが憎まれ口を投げ合う中に、ゴーダがゆらりと割って入った。



「……。……話は聞かせてもらった……お前が“不毛の門”で私をわらっていた理由も理解したよ、ローマリア」



 独房の中のガランをかばうように立った暗黒騎士が、魔女を正面からにらみつけた。



「ふふっ、ゴーダ……わたくしのことが憎くて? うふふっ、ええ、聞くまでもありませんわね」



 ゴーダを嘲笑あざわらいながら、ローマリアがそんな言葉をまくし立てた。



貴方あなたの大切な黒い騎士たちを見殺しにしたわたくしのこと、殺してしまいと思っていらっしゃるのかしら? うふふ――」



 ……。



「ローマリア……――礼を言う」



 憎まれ口を散々にたたいた魔女を前にして、そこには頭を深々と下げたゴーダの姿があった。



「……」



 その光景にきょとんとなったローマリアが、翡翠ひすい色の右目でパチクリとまばたきした。



「……どういう意味でおっしゃっているのか、よく分かりませんけれど」



「そのままの意味だ。ガランを救い出してくれたこと、東の守護者として礼を言わせてくれ」



 頭を下げたまま、ゴーダが落ち着き払った声で言った。



「そんなこと……ただの気紛きまぐれですわ」



気紛きまぐれでも構わん。事実は事実だ」



「……貴方あなたの“騎兵隊”を見殺しにしたことも、事実ですけれど」



「“見殺し”と、“間に合わなかった”のとでは、全く別の話だ」



「……。何を根拠にそんなこと――」



「自分を憎まれ役にするのはやめろ、ローマリア……もう、やめろ」



 顔を上げたゴーダが、兜の奥からローマリアをじっと見つめ直しながら言った。



「……」



「…………」



「……」



「…………」



「……貴方あなたが……どうして、貴方あなたが……わたくしに、それをおっしゃるの……?」



「…………」



「……嗚呼ああ……」



「…………」



「……。……不愉快ですわ。そこの鍛冶師の女と一緒に出てお行きなさい。この静謐せいひつに満ちた西方には、あなた方はうるさくてかないません。招待したのは間違いでしたわね」



「っ……ローマリア――」



「出てお行きなさいと言いましたわよ。もう、貴方あなたと話すことはありませんわ」



 それだけ言い捨てると、ローマリアはくるりと背を向けて要塞跡地の出口に向かってつかつかと歩き去っていった。


 ガチャンと音を立てて、いつの間にかガランの独房のおりの鍵は開いていた。



「ゴーダ……」



 目の前でローマリアに頭を下げてみせたゴーダの背中に、ガランがおずおずと声をかけた。



「……。……。……どうだ、少しは落ち着いたか、ガラン」



「お、おう……そう、じゃな……うむ」



「そうか……ならいい」



 肩越しにガランを振り返ったゴーダの声は、心から安堵あんどしている響きがにじみ出ていた。



「……ゴーダ……」



「ん? どうした、ガラン」



 ガランが一瞬目を背け、そして言いにくそうに重い口を開く。



「お主……怒っとらんのか……? その……こんなことになってしもうて……」



 悔し涙とともに流れ出た鼻をすすりながらそうこぼす女鍛冶師の声は、いつになく弱気だった。



「……。……正直、驚きの余り、怒る気もせている……。それに、そんな暇があったら、準備をしなくてはな」



「……準備じゃと?」



「ああ、そうだ」



 座り込んでいるガランの方へ全身を振り返らせてから、“魔剣のゴーダ”は静かにそう切り出した。



「……東方を、“イヅの騎兵隊”を、私たちの居場所を奪い返す準備をな」



 穏やかな声音とは裏腹に、「奪い返す」と血の気の多い言葉を言い放ったゴーダに対して、ガランは一瞬何を言っているのか分からないという困惑した顔を浮かべていた。



「“火の粉のガラン”、悪いがお前には付き合ってもらうぞ――これは友人としての言葉ではない。東の守護者“魔剣のゴーダ”の名の下の、命令だ」



 ……。


 ……。


 ……。



「……ガハ、ガハハハ……!」



 意気消沈していたガランが、くっくと肩を震わせ始める。



「――ガハハハハッ! 魔族最高位の命令となれば、従うしかないのう! 肝心なときにおらんかった挙げ句、殴り合いの大喧嘩おおげんかを終えたばかりの女をこき使いおって! ガハハハっ! 全く、ひどい男じゃ!――最低で最高の、ワシの雇い主じゃ! ガハハハハッ!」



 あぐらをいた膝を何度もたたきながら、ガランが女らしさも何もなく、大きな口を開けて顔をクシャクシャにして笑った。



「ガハハハっ! あぁ、腹がよじれそうじゃ。うっ、でで……拳のめり込んだ土手っ腹に響くわい……ガハハ」



 笑い声がようやく静まると、ガランは深手を負った腹を手でさすりながら、「どっこらせ」と掛け声を出して立ち上がった。心なしか、足元が頼りなくふらついているように見えた。



「っぅ……おぉ、そうじゃそうじゃ、そうと決まれば――」



 ゆらゆらと身体を引きるようにして、ガランが独房の奥に姿を消した。そして再び、差し込む夕陽ゆうひの中に女鍛冶師が姿を現したとき、その手には深海に続く水面のように深い蒼を宿した刀が握られていた。



「! まさかとは思っていたが……本当にお前のところに転位していたか……」



 ガランの手に収まる銘刀“蒼鬼あおおに”の姿を認めて、ゴーダが感嘆の声を漏らした。そしてゆっくりと、その刀身に手を伸ばす。



「ダァメじゃ」



 ゴーダの伸ばした手から“蒼鬼あおおに”をさっと遠ざけて、ガランが意地悪く言った。



「むっ」



「この子は、お主にはまだ早かったようじゃ。手渡すわけにはいかん」



「どういう意味だ……」



「そのままの意味じゃい、たわけ。見て分からんか」



 言葉少なに、ガランが意固地に言い捨てる。


 そこには、刀鍛冶という道に己をささげた者の――頑固な職人の顔があった。



「この子は――“蒼鬼あおおに”は、まだ完成しておらんかったんじゃ。打ち鍛えたワシすら気づいておらんかった……この子が『まだ完成しとらんぞ』と言うてくるまでな」



 そう言って、ガランが“蒼鬼あおおに”の刀身を持ち上げてみせた。


 夕陽ゆうひを浴びたその刀身は、原材料となった超高硬度鋼“蒼石鋼あおいしはがね”由来の深い蒼とは別に、その中に鋭く刺すような紫色を帯びていた。


 それは“蒼鬼あおおに”を帯刀してきたゴーダも、それを鍛えて生み出したガランも初めて見る、摩訶まか不思議な金属発色だった。



「ゴーダや……この子を、もう少しだけワシに預からせてくれ。蒼石鋼あおいしはがねなんていうけったいなモンから生まれたこの馬鹿息子に、最後の仕上げをしてやる時間をくれ」



「……私がダメだと言っても、どうせあんたは勝手にやりだすんだろう?」



「まぁ、言われてみればそうじゃのう」



 真剣な顔つきで見つめてくるガランの言葉を断る理由は、どこにもなかった――第一、こうなってしまったガランは、たとえ淵王のめいで呼び出されたとしても、絶対に自分の仕事から手を離しはしないのだ。


 そうだからこそ、ゴーダはガランを専属鍛冶師として迎え入れたのだ。



「だが……どうするつもりだ?」



 そうゴーダが問う。工房は、はるか東の果て――陥落した“イヅの城塞”の中。



「どうするも何もない」



 ゴーダの問いに、ガランが胸を張ってみせた。そして指先で、自分の足元をちょいちょいと指し示す。



「ここをどこだと思うとる。ここは魔族軍西方要塞、その跡地――ワシらの古巣じゃろうが」



 女鍛冶師が、悪ガキのようにニヤリと笑う。



「250年振りに、ここの炉に火を入れる。炭は湿気しけっとるかもしれんがのう、まぁそのときは、ワシ自らが火種となってやるわい――ワシは、“火の粉のガラン”じゃからのう!」





 ***



 ――。


 ――。


 ――。



「――――――」



 霧のように真っ白なローブをなびかせて、“三つ瞳の魔女ローマリア”が要塞跡地の通路を歩いている。


 うつむけた顔に沿って長い黒髪が目許めもとに垂れて、魔女の表情を神秘的なベールのように覆い隠していた。



「――――――」



 その下で、ローマリアは先ほどから早足で歩きながら、誰にも聞き取れない小さな声で何事かをブツブツとつぶやき続けていた。



 ――『ローマリア……礼を言う』



 ゴーダの言葉が、声が、脳裏によみがえる。躊躇ちゅうちょする様子も、屈辱に揺れる顔もなく、頭を下げてみせた暗黒騎士の姿が目の裏に焼き付いている。



「……やめてくださいまし……」



 ――『“見殺し”と、“間に合わなかった”のとでは、全く別の話だ』



「勝手な憶測で、わたくしの気持ちを決めつけないでくださいまし……」



 誰もいない通路の陰、その柱の裏に身をもたせかけ、ローマリアが自分の両腕を抱き寄せた。



 ――『自分を憎まれ役にするのはやめろ、ローマリア……もう、やめろ』



「……嗚呼ああ……どうして、よりによって貴方あなたがそれを言ってしまいますの……」



 胸の中で、感情がゴボゴボと音を立てて泡立つのが聞こえる。魔女はそれを押さえ込むのに、自分の指をまなければならなかった。



 ――そんな言葉を、わたくしに言わないで……今更、あの頃のようにわたくしに優しくしないで……。



 鼻から漏れる吐息が、高ぶる感情でふるふると震えた。



 ――わたくしは、憎まれ役で構いませんの……。わたくしが貴方あなたのことを恨んだ分だけ……貴方あなたがわたくしのことを裏切り者と、外法者と恨んでくれれば、それでいいのに……それを手繰るだけで、わたくしは十分なのに……。



 鼓動が強く脈打っているのは、早足で歩いてきたからだけではなかった。



 ――嗚呼ああひどい人……本当に本当に、ひどい人……。



 ……。



 ――ゴーダ、知っていて?……250年前の“翡翠ひすいのローマリア”は、貴方あなたのその優しさにすがっていましたけれど……今のこの“三つ瞳の魔女ローマリア”は……貴方あなたの向けてくる憎悪にすがっていますのよ……。



 ……。



 ――たったひとつだけ残った貴方あなたとのつながりまで……奪わないでくださいまし……。



 ……。



 ――断罪の憎悪は、贖罪しょくざいの慈愛よりも、はるかに甘美なのですよ……。



 グズグズに煮詰まり、ドロドロになった感情が、銀河に尾を引く星々のように渦を巻いた。


 ……。


 ……。


 ……。


 パサリ。



「……アはっ」



 ローマリアの狂的な笑い声と、床に落ちた眼帯だけを残して、そこには何者の影も残っていなかった。

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