25-10 : 死神

「カアァァァ……」



 日食の影の中に、その死神は1人、不吉の象徴のように立っていた。


 ――カラカラカラ。


 山脈から吹き下りてくる寒風が“不毛の門”を吹き抜けるたび、骨の波打つ渇いた音が聞こえた。その音は死神のまとっている真っ白な羽衣が立てているもので、よく見るとそれは小さなうろこのような骨の欠片かけらで編まれたおぞましい衣だった。



「よもや――この姿をさらすことになろうとは――夢にも思わなんだぞ――ゴーダ……」



 骨のうろこの羽衣をまとった死神が、声の階調をわずかに変えながら恨めしげに言った。


 死神の頭部には、4つの羊に似た動物の頭骨がついていた。1つは正面を向き、2つは左右をにらみ、最後の1つは後方を見つめている。4つの羊のような頭骨からはそれぞれ異なる形状の角が2本ずつ生えていて、頭部の中心には大きな縦長の穴がいていた。まるで顔の正面に3つめの目があったかのように思わせるその穴の底からは、暗い光がぼぉっと浮かび上がってきていて、それが外の世界を見渡していた。


 死神は、巨大な一振りの大鎌を携えている。柄の長さは長身の死神の背丈よりも更に長く、そこから伸びる鎌の刃はその部分だけでゴーダの身の丈よりも大きいほどだった。



「どうやら、それが……お前の、本体のようだな……リンゲルト……」



 地面に刺した剣を頼りにようやく身体を起こして傷ついた両足で立ったゴーダが、短い言葉の間に何度も息を継ぎながらつぶやいた。



「もはや我ら自身でさえ、この器の仔細しさいな起源は分からぬ――我らの歴史の起源――最初に祈りをささげた者たちの、遠い遠い、願いの声――始まりの偶像、“始祖の器”である」



 羊のような4つの頭骨が代わる代わる言葉を継いで、死神が自らの器の記憶を語った。それはもう、とうに大半が失われた何かの名残のような断片的な記憶でしかなかったが、“ネクロサス”と呼ばれた国そのものが生み出したこの“意思を持った歴史”の神秘を物語るには、それだけで十分だった。



「……“死神”という言葉が、ぴったりだな……」



 ゴーダは努めて嫌みをめてそう口に出したが、その声音からはどうやっても、畏怖の念を消し去ることだけはできなかった。



「神格を得るには――我らの歴史はまだ幼すぎる――だが、貴様1人を地獄へ招き落とす程度なら――我らにもかなおうよ」



 日食の影の中に立つ白い死神が、ゆらりと大鎌を構えた。カラカラカラと、骨のうろこの羽衣が渇いた音で鳴く。



「……。……さて……それは、どうかな……」



 “運命剣リーム”を構えて、ゴーダが死神を真っぐに見つめ返しながら言った。



「おいそれと貴様の言う地獄とやらへ落ちてやるほど……私は往生際が良くはないぞ、リンゲルト……」



「案ずるな――貴様の往生際の悪さ、この身で思い知ったゆえ――丁重にとはいかぬ――力ずくで引きりこもう」



 独りぽつんと立っている死神のその声とで立ちからは、静かな郷愁の念が感じられた。



「我らが“灰”は、失われてしまった――臣民たちの渇きの声は、最早もはや聞こえぬ――この“始祖の器”ただひとつを残して――皆、果ての果てへと、逝ってしまった」



 冷たい風が吹き抜けて、死神の羊のような4つの頭骨からヒュウゥゥと、か細い風切り音が聞こえた。それはたった独り取り残された存在が、もう戻ってはこないと知りながら、同胞たちの名を繰り返し呼ぶ遠鳴きのように聞こえた。



「ならばもう1度、新たに“灰”を産み直そう――生者の血潮と、魂を火種に――大いなる死の、暗き光をもって――我らの幼き歴史の、その始まりから、やり直そう」



「ああ、そうだな……その力で理不尽に君臨してこその、四大主だ……」



 ふらりと剣先を死神に突きつけて、ゴーダが吐き捨てるように口を開く。



「お前のやりたいようにすればいい……私を地獄にたたき落とした、その後で、な……」



 ……。


 ……。


 ……。



「さぁ、決着をつけよう……リンゲルト……」



 ……。



「カアァァァ……」



 死神の額に穿うがたれた4つの暗い光が、歓喜に震えるように輝く。



「左様、ここで決しよう――我ら“始祖の器”と、貴様の“魔剣”――理不尽と不条理の結末を――“四大主”の名にかけて、決着を」



 ……。


 ……。


 ……。


 ゴーダが剣先を真っぐに向け、ピタリとそれを静止させる。死神が自分の背丈よりも巨大な大鎌を器用にぐるりと回して、その刃を振り上げる。


 東の四大主と、北の四大主――得物も、流儀も、信念も異なる2人であったが、その胸の内にぎる予感だけは、一致していた。



 ――手数てかずも時間も掛かりはすまい……あと一手、多くとも三手は続きはせん……。



 ……。


 ……。


 ……。



 ――終わらせよう……。



 ……。


 ……。


 ……。


 どちらから示し合わせたというわけでもなく、死神が“先手”、ゴーダが“後手”の構えを見せた。



「カアァァァ……」



 死神が4つの羊の頭骨から冷たい吐息を吐き出し、必殺の一撃へと至る半歩を踏み出す。



「…………」



 ゴーダは死神の動作に合わせてり足で立ち位置を変え、その目は相手の動きを見切ることだけに集中しきっている。


 それはそれぞれが、最も得意とする立ち回りだった。


 ……。


 ……。


 ……。


 そして、何の合図もないまま、その場に向かい立つ2人にしか分からない、互いの呼吸がみ合うかすかな気配だけがした。


 カラカラカラ。と、死神が骨のうろこの羽衣を鳴らし、1歩を踏み出した。



「――“死を、畏れよ”……」



 羊の頭骨の中心、そこへ穿うがたれたどこへ続いているとも知れない穴の向こうから、暗い光がギョロリとゴーダを見据えた。


 ――ゾッ。


 それは理性と知性には脇目も振らず、暴力的に直接“本能”の領域へと踏み込んできた。


 それは名前さえつけることのできないほどの、圧倒的でこれ以上ないほどに純粋な、“恐怖”と“畏怖”だった。


 心臓を直接、氷でできた手につかまれるような……頭の骨にあな穿うがたれ、そこを通じて脳に直接ささやきかけられるような……真っ暗闇の中でふらりと均衡を崩し、そのまま奈落の底へと落ちていくような――それは、そう――。


 ……ぼとりっ。



「っ……!!」



 肩の付け根から千切れ落ちた自分の両腕が、ゴーダの足下に無造作に転がっていた。


 息が詰まり、顔が冷たくなるのが分かった。戸惑いに見開かれた目は自分の意思では閉じることができず、内臓という内臓が腹の中でねじれ返った。


 それは、そう――……“死”、そのものである。


 ……。


 ……。


 ……。



 ――違う……っ。



 暗黒騎士は、凍り付いた肉体の奥底で、自分の声が必死に声を上げているのを聞いた。



 ――違う、これは……幻覚だ……!



「……ぅ……ぁ……っ!」



 しびれた頭の中で、自分の声が奇妙に反響する。その声の意味することは理解できたが、ゴーダがどれだけ強く念じても、その身体はまるで脳だけを抜き出して別の場所に置かれでもしたかのように、ぴくりとも動かなかった。


 “恐怖”が五感に分厚い布をかぶせ、“畏怖”が思考を引き千切る。時間の感覚さえなくなった刹那とも永遠とも分からない時の狭間はざまの中に、ただ死神の大鎌のきらめきだけが見えた。


 ……。


 ……。


 ……。


 ……。


 ……。


 ……。


 ――“死”。


 ……。


 ……。


 ……。


 ……。


 ……。


 ……。


 ――……ふふっ。


 ……。


 ……。


 ……。


 ……。


 ……。


 ……。


 ……。


 ザシュッ。


 ボギリ。

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