25-8 : 人間の名残

「調子に乗るでないぞ……若造がぁ!!」



 真っ二つに割れた頭部をカタカタと震わせて、リンゲルトが骨の手を地面にたたき付けた。地の底を“無色の灰”がいずり回り、ゴーダの足下から数え切れない骨の槍が突き上がる。



「カカッ! 串刺しになるがよい、青二才! そしてその血を我が臣民の癒えぬ渇きにささげよ! カカカカッ!!」



 ……。


 ――ゆらり。



はしる必要も、避けようとする必要もない……ただ意識のゆらぎに沿って、歩くだけでいい……」



 全く気づかない内に、ゴーダがリンゲルトの真横に位置取って、その白骨化した耳元に小さな声でつぶやいた。



「!!?」



 はっとしたリンゲルトが、すかさず数十本の灰の剣を顕現させて斬りかかった。



「お前自身の意識のうねりが、私に歩き方を教えてくれる……」



 暗黒騎士の声が、今度は真後ろから唐突に聞こえた。



「何だというのだ……! 肉の身体しか持たぬ者に、このような芸当が……!」



 振り返りざまに教皇の振り上げた三つまた槍がぐにゃりと変形して、頭上から無数の切っ先が雨のように降り注いだ。



「意識の滞留したその綻びに、無心で刃を走らせるだけ……」



 ――カチン。


 相手の意識の流れに沿って放たれるその剣筋は、神速をはるかに置き去りにして、刃を抜くよりも先にそれがさやに収まる音が聞こえる、不条理の域に達していた。


 斬り崩れた三つまた槍が、ちりとなって風に舞っていく。



「おのれ……おのれ……! おのれ! おのれぇ!」



 差す手の全てを返され続けるリンゲルトが、怒りの声を上げた。



「……ひどい綻びだな、“渇きの教皇”」



 ――カチン。


 不条理の剣がさやに収まる音がまた聞こえ、砕け散ったリンゲルトの身体が地面にくずおれた。



「……カカッ」



 ……。



「カカカッ……」



 ……。



「カカカカカッ!! なるほど……これが貴様を東の四大主の座にまで届かせしめた特性か……。人間の魂の名残……生粋きっすいの魔族たる我らには理解の及ばぬ……異常なまでの、成長の早さ……」



 ……。



「……じゃが」



 ……。



「ゴーダよ……だから何だというのだ……? この器は、元より形を持たぬもの……たとえ我らが貴様に触れ得ぬとしても、貴様とて我らを傷つけられぬでは、この勝負、駒のない盤戯のごとく不毛なだけよ……カカッ。」



 ……。



「ならば我らは、“何もすまい”。貴様がこの場から去るか、血を失い果てるか、そのいずれかの時がくるまでのう……“明けの国”を滅ぼすは、それが済んでからでも十分じゃ……カカカッ」



 “渇きの教皇リンゲルト”は、そのようにしてわらい続けた。



『……いいや、決着は、着けるさ……』



 鎮まりきったゴーダの声が、淡々と告げる。



『“無色の灰”……たとえ斬ることができなかろうが、それが我が“魔剣”に対して、どうだと言うのだ……?』



 ……。



『たとえ斬れなくとも……たとえ見えなくとも……そこに確かに存在するのなら……それに届かない道理はない』



 ……。



『――“二式”……』



 ……。



『――“五式”……』



 ……。


 ……。


 ……。


 暗黒騎士のその声は、砕けたリンゲルトを囲むように、四方から聞こえた。


 ……。


 ……。


 ……。



『――“複合魔剣:霞朧かすみおぼろ”……』



 空間がねじれ、ゴーダの肉体が瞬間移動する。それと同時に、ゆがんだ空間が固定され、そこに新たな人影を生じていった。


 そうして、砕け散った“渇きの教皇リンゲルト”の周囲に、4人となった“魔剣のゴーダ”が立っていた。



「……カカカッ。つくづく面妖な手を差す騎士よな……」



 リンゲルトがわらい、その骨の身体が“無色の灰”の中へ溶けていく。



『どこへ行く。リンゲルト』



 取り囲んだ4人のゴーダが一斉に声を上げ、見えなくなっていくリンゲルトに問いかけた。



「実体化しておっては、口惜くちおしいが今の貴様にはかなわぬらしい……ならばひたすら機を待たせてもらうとするぞ……何刻でも、何日でも。貴様がしびれを切らして、その剣が鈍るそのときまで……カカカッ」



 吹き抜けた風の中に輪郭を失ったリンゲルトが吹き消えて、ゴーダは“無色の灰”を完全に見失った。



 ――恨めしいが、ここは持久戦といかせてもらうぞ、ゴーダ……わらいたければわらうがよい。大義を成すためならば、その程度のこと、どうということもない……。



『リンゲルト……それは、悪手だな』



 姿の見えない“渇きの教皇”に向かって、4人のゴーダが静かに語りかけた。



『私が何の意味もなく、こんな手をわざわざ打つわけがないだろう……。持久戦? 勘違いするな――』



 リンゲルトを取り囲んだゴーダたちが、ゆっくりとさやから剣を抜いていく。



『――既に、“王手”だ……“渇きの教皇”……』



 ゾワリ。と、リンゲルトの意識に怖気おぞけが走った。自分の知らぬ間に、取り返しの付かない悪手を打ってしまったのではないかという、ひどく不快な焦燥感がぐつぐつと煮え立ち始める。



 ――こけおどしじゃ、こんなもの……。……。……ひとまず、距離を取らねば。



 不可視の身体を漂わせて、リンゲルトが4人のゴーダの間をすり抜け、その包囲網の外へと脱出した。


 脱出したはずだった。


 確かに、まぎれもなく、気取られることもなく移動した先で、“しかしリンゲルトは先ほどと変わらず、4人のゴーダに四方を囲まれたままでいた”。



 ――何事か?



 その明らかに不穏な兆候に、教皇の意識が苛立いらだっていく。


 ふわりと風に乗り、暗黒騎士の頭上を跳び越えようと試みた。下方を見下ろすと、“無色の灰”となった己の身体がゴーダの上を飛んでいくのがはっきりと見えた。


 しかし、はっと気がついた次の瞬間には、またしてもリンゲルトの周囲に4人のゴーダたちが立っているのだった。



 ――どうなっておる……。



 薄ら寒さを、感じないわけにはいかなかった。



 ――『既に、“王手”だ』



 “魔剣のゴーダ”のその言葉が、教皇の意識の中で不気味に木霊する。


 意識を直上へ向け、今度は真っぐ天に向かって上昇した。しかし真上に昇っていたにも関わらず、次の瞬間にはリンゲルトの意識は地面に張り付き、先ほどと変わらずゴーダたちが四方を囲むばかりだった。



 ――これは……結界か……!?



『私にはお前の姿も気配もえないが……その意識が揺らいでいるのだけは、はっきりと分かるぞ、リンゲルト……』



 剣を抜いた4人のゴーダが、剣先を真下に向けて“運命剣リーム”を構えた。



『既に、この空間は閉じている……合わせ鏡と同じことだ。“王手”だと言っただろう……逃げ場は、ない。どこにもだ』



 ……。



「馬鹿な……! 貴様、自分が何をしておるのか分かっておるのか……! 四大主同士でこのような……!」



『ああ、分かっているさ……貴様が今更言えた口でもないだろう』



「……やめよ……っ! ゴーダ……!!」



 “無色の灰”が、飲み込んだ息に声を詰まらせながら叫んだ。


 ……。



『いいや、もうとっくに、手遅れだ……私を怒らせた、その時点でな……』



 ……。


 ……。


 ……。



『――“魔剣三式:神道開かみじびらき・はざみ”』


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