19-12 : 対抗力

「アランゲイル様!」



 物音ひとつ立たず、影のひとつも揺れ動かない集会施設の前に立っている王子の下に、1人の銀の騎士が駆けつけた。



「……どうした」



 夜空を見上げるアランゲイルが、振り返ることもせず背中で言った。



「御報告いたします!」



 銀の騎士が王子の背に向かって片膝を突いてひざまずき、頭を垂れて戦況を告げる。



「敵性集団が周辺に集結しつつあります。恐らく魔族軍の守備隊……数は200前後、中隊規模と思われます」



 今この場にいる人間の勢力は、“明けの国騎士団”銀の騎士25名、“特務騎馬隊”くれないの騎士80名の、計百余名である。


 単純な数の上で人間側は劣っており、更に兵1人1人の戦闘能力は、種族の生まれ持った特性上、屈強な身体構造をした魔族側が有利であることは明白だった。



「“騎馬隊”の連中は」



「まだ“時間”が必要です。応戦の体勢が整う前に、魔族軍側の包囲戦が始まりかねないかと」



「なるほど……」



 アランゲイルが深く息を吸い込み、冷たい夜の空気を肺いっぱいに取り込んで、それをゆっくりと吐き出した。骨と臓腑ぞうふに宿った火照りは、いまだ消えずにそこにあった。



「状況は理解した……」



 そうつぶやきこそしたものの、王子は立ち尽くして夜空を見上げるばかりで、その場から1歩も動こうとする素振りを見せなかった。


 銀の騎士の胸の内に、少しばかりの焦燥が生じる。



「ニールヴェルト総隊長が奮戦されておりますが……戦闘の継続は不要な消耗を来すと愚考いたします」



 銀の騎士の言葉を聞いたアランゲイルが、わずかに首を回す気配があった。



「ふむ……つまり貴様は、この場からの“敗走”を提案すると、そういうことか?」



「……っ……恐れながら、これは戦力増強のための“後退”と考え、具申した次第であります」



 一瞬、背筋にぞくりとした寒気を感じながら、銀の騎士が頭を下げたまま言った。



「ほう……つまり、貴様の考えをまとめると、こういうことか?」



 そう口にするアランゲイルは、依然として先ほどまでと同じ姿勢のままそこに立っているばかりだった。



「我らには、魔族軍に挑めるだけの規模も戦力もない。機が巡ってくるまでは、この“宵の国”の地に伏して、身を隠しているべきと」



「……」



 銀の騎士はそれ以上口を開かず、その沈黙を返答とした。



「……その通り……正にその通りだ……」



 背を向けたままのアランゲイルが、ゆっくりとうなずいてみせるのが見えた。



「……ならばくが――」



 そう言いながら銀の騎士の姿を肩越しに振り向いて見返した王子の瞳は、不気味なほどに冷たく、平坦へいたんだった。



「――我々を包囲しつつあるその魔族軍に対して、十分に対抗し得る戦力があるとすれば、貴様ならばどう出る?」



 ごくり、と、銀の騎士の喉元に固唾が下る音がした。



「その場合は……その対抗力の総力でもって、敵を撃滅するのみであります……」



「その通り……実にその通りだ……」



 独り言のようにそうこぼすと、アランゲイルはくるりと向きを変え、ひざまずく銀の騎士の前へと歩み寄った。頭を垂れている銀の騎士の眼前で、王子が腰をかがめ、片膝を突く気配があった。



「……ならば、貴様の意見を整理してみるとしよう……」



 アランゲイルの冷たい声が、銀の騎士の目の前で淡々と言葉を紡いでいく。



「敵地にあって、対抗力を持ち合わせるのならば、“敵”に対して打って出ることは可である。逆にそれを持たぬなら、恥を忍んで撤退すべきと。そういうことだな?」



「……」



 その返答を口にすることを躊躇ちゅうちょした銀の騎士は、ただ静かに小さく首を縦に振ることしかできなかった。



「ふむ……そういうことならば、話は早い」



 片膝を突く姿勢から立ち上がった王子が、銀の騎士の頭上で声のトーンを1つ上げて口を開いた。



「ここには、“それ”がある――貴様の意見することの、“全て”がな」



「アランゲイル、様……」



「ここには、“対抗力”がある……そして貴様のような者のための、“逃げ場所”もな……」



 ……。


 ……。


 ……。


 銀の騎士が見上げた先に、アランゲイルの背後に影を落とす、膨れあがった無形の異形の姿があった。



「殿、下……っ」



 ……。


 ……。


 ……。


 ――ズチャリ。


 ……。


 ……。


 ……。



「……敵地での逃走の先の、一体何処どこに休まる場所があるというのだ……。それが意味するものは、死と敗北だ……進んでそれを望むというのならば、その血肉でもって我が“対抗力”の礎となるがよい、愚か者が……」



 銀の騎士の姿が消え、その場に1人きりとなったアランゲイルが、暗い感情に塗りつぶされた声音で、ぼそりと独りごちた。


 ニールヴェルトの声が遠くに響き、自身に向かって近づいてくる魔族兵の足音が聞こえたのは、正にそんなときだった。



 ***





「ひははははっ! あははははははぁっ!! イイねぇ! たのしいねぇ!! ひはははっ!」



 頭上に伸ばした両手に斧槍の長い柄をつかみ、回転の速度と遠心力を乗せたそれを大きく振り回しながら、“烈血のニールヴェルト”が狂喜に染まった歓声を上げた。


 狂騎士の周りには、その凶刃にたおれた魔族兵のむくろが積み重なっている。その死体の山はニールヴェルトを中心に同心円状に広がっていて、それが振り回される斧槍の間合いを示していた。


 斧槍の一撃が、その間合いに入った者をことごとくなぎ倒し、またそれより内側へは何人なんぴとたりとも近づけさせないニールヴェルトの狂戦士振りが推し量られる光景だった。



「ひははははぁっ!」



 斧槍を頭上で一回しさせるたびに、ブオンブオンという激しい風切り音が周囲に響く。それは斧槍の刃が空を裂く音でもあったが、それをき消すほどの鋭さで、風の塊そのものが逆巻くことで発生している轟音ごうおんだった。



「ああぁ、分かるぅ……分かるぜぇ! まだ使いこなせてないがぁ、“こいつ”は俺向きだぁ。俺の獲物と相性抜群だぁ。何で今までお前に使われてたのか不思議なぐらいになぁ――」



 頭上で回転させ続けている斧槍を見上げ、自分の右腕にめられた“風陣の腕輪”を見やり、ニールヴェルトがその顔面をぐにゃりとゆがめて不敵にわらった。



「――ありがたく頂くぜぇ! ロランよおぉ!! ひははっ……ひはははははっ!!!」



 “左座の盾ロラン”がのこしたその魔導器の能力を無秩序に解放したニールヴェルトが、巻き上がる風に宿った破壊の力にれとして、目元をにんまりとねじ曲げる。


 およそ人間とは思えないおぞましい形相でわらい続ける狂騎士だったが、しかしその瞳だけは、ついぞ笑ってはいなかった。その鋭く冷たい眼光には、どれだけ命をい散らかしても決して空腹の満たされない、飢えた獣と同じ気配があった。



「おぉらよっ……っとおぉぉ!」



 ニールヴェルトが両手にぐっと力を込めて、左右の手で器用に持ち替えながら回していた斧槍の柄をがっしりとつかんだ。め込んだ回転を殺さぬよう、腕のしなりと全身のばねを使ってその勢いを全身に乗せ、風の塊を乱暴にまとった刃が大地にたたき付けられる。


 瞬間、音というくくりでは形容しがたい、身体の芯を揺さぶる爆風がほとばしった。


 暴力的な風圧が周囲の物体と死屍ししを吹き飛ばし、爆風によって生じた真空と圧縮空気の境界にはしったかまいたちが木々と岩々を引き裂いた。そして狂騎士を渦の目に置いて屹立きつりつした竜巻の柱が、吹き飛ばし引き裂いたそれら全てを巻き込んで、攪拌かくはんし、粉砕し、ねじ切った。


 やがてその局所的に発生した“天災”が鎮まると、原型を失った石と木と鉄と肉と血が、ボトボトと音を立てて地に降り注いだ。



「……」



 無機質と有機質の混ざり込んだ塵芥ちりあくたが降り積もる混沌こんとんとした光景の中で、べこりと半球状にえぐられた地面の上に立っているニールヴェルトの姿だけが、まともな形状を保っていた。



「……くくっ」



 魔方陣の光の消えた“風陣の腕輪”をめた右手で目元を覆いながら、ニールヴェルトが肩を震わせ始める。



「……ひひっ……はははっ……」



 斧槍の柄をえぐれた地面に突き立て、天を仰ぎ見た狂騎士の視線の先には、巻き上がった爆風によって小さくぽっかりと不自然なあなの開いた雲が流れていた。



「……――気持ちいいぃぃいいいィィイイイィィイイイィっ!!!」



 脳内に噴き出した物質が麻薬のように作用して、快楽の余り呂律ろれつの回らなくなったニールヴェルトが、口の端からよだれを垂らし、理性を自ら引きちぎるかのように、欲望のままに絶叫を上げた。



「あは、あひははっ……っ……もう1回……もう1回ヤろうぜぇ……かかってこいよぉ……俺の相手をしてくれよぉ……遊ぼうぜぇ……殺し合おうぜぇ……なぁ……っ!」



 猟奇と狂気が瞳の中でぐるぐると渦を巻いて、その左右のまぶたをそれぞれ異なる大きさにぎょろりと見開いて、肩を上げて首を低くし、背中を丸めたニールヴェルトが、直視できないほどの悪夢的な形相でわらう。その姿は最早もはや“騎士”などと呼べるものではなく、人間の皮を被った、何かもっと醜い、悪意と暴力だけで練り上げられた“怪物”としか形容できない存在に成り果てていた。


 ……。


 ……。


 ……。



「……は……?」



 そして殺戮さつりくを尽くして、なおもその先を求め欲するニールヴェルトの眼前に、息のある者は1人もいなかった。



「……何だよ……おい……? 何で誰もいねぇんだよ……?」



 狩り取る命がなくなったことに気づいた怪物が、玩具おもちゃを失くした子供のように、間の抜けた声をぽつりとこぼす。



「……ああ……そっかぁ……」



 ……。


 ……。


 ……。



「……ぜぇんぶ、コワしちまったのかぁ……」



 散り散りになっていた理性の欠片かけらが拾い集められ、ニールヴェルトの目から、渦を巻いていた不気味な光が引いていった。乱れた髪が手でき上げられ、「ふぅ」と一息つくようにめ息の漏れる音がした。



「やべぇ、やべぇ……加減がつかめなさすぎだなぁ……。もっとまともに使いこなせねぇと……ひひっ……こういうのがクセになっちまうと、後が面倒くせぇからなぁ……」



 両肩に渡した斧槍の柄に両肘を引っかけて、案山子かかしのように腕をぶらぶらと揺らしながら、ニールヴェルトが気怠けだるげにつぶやいた。その目線は、主君が歩き去っていった闇夜やみよの中をじっとのぞき込んでいた。



「お互い、新しい道具の使い方を覚えなくちゃですねぇ……アランゲイル様ぁ……」


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