19-9 : 次代の王
「ぐあぁぁああぁぁあああぁぁっ!」
「ぎゃあぁぁぁぁぁ……っ!!」
肉の断ち切られる音と、
「ははは……」
「くくく……ふふふっ……」
その血生臭さと死の気配を漂わせる狂騒に混じって、銀細工のように冷たく乾いた
「……グルルル……」
「ギギャギャ……」
そして、狂騒と
――殺せ。
――殺せ。
――殺せ。
――殺せ……殺せ殺せ殺せ。
――魔族を殺せ。
――“宵の国”の兵士を殺せ。
――紫血の流れる民を殺せ。
――“明けの国”の地を侵した、人ならざる者たちを殺せ。
――これは大義ある戦争だ。義の旗の下の抗争だ。正義の
――“明けの国”の民にとって、最後の未開の地を……魔族ののさばる、忌まわしき地を……“
――銀鉄の
――真紅の槍で“魔”を
――忌まわしい紫血で大地を洗い、赤い血潮の種を
――このアランゲイルに、人の力を示して見せろ。“明けの国騎士団”よ。
……。
『仰せのままに……我らが騎士団長……次代の王よ……』
……。
……。
……。
「……」
“王子アランゲイル”が、銀と
道の両翼に積み上げられた魔族の死体には目もくれず、足下を小川のように流れる紫色の血の匂いにも眉1つ動かさず、兄はただ、前へ前へと歩み続けた。
兄の視界の
兄の耳元のすぐ
――シェルミアよ……我が妹よ……。
兄の背中には、“裏切り”があった。
――お前はいつだって、私にはないものを持っていた……。
兄の足下には、“死”があった。
――お前は、全てを持っていた……私よりも優れたものを……私がどれほどもがいても、決して届くことのない、才能と祝福を……。
兄の眼前には、“争い”があった。
――お前は、私から全てを奪っていった……
そして、兄の見つめるその道の先には――。
――だから“これ”が、私に残った唯一のものだ……シェルミア、お前に全てを奪われた、アランゲイルという名の男の、
……。
……。
……。
背後に、魔族の気配を感じた。
鎧を
アランゲイルの背後に詰め寄った魔族兵が武器を振り上げ、今まさにその鋭利な刃先を“人間”の王子に振り下ろす。
……。
そこまで知っていながら、しかしアランゲイルは振り返ることも立ち止まることもしなかった。己の内に残された、たったひとつの器の中に執念の火を
……。
――ドゴッ
……。
……。
「むっ……!」
魔族兵の、くぐもった声が聞こえた。
……。
「ああ……いいねぇ……ひははっ……」
王子に振り下ろされた魔族兵の剣先を斧槍で受ける
「いいねぇ……あんたぁ、すごぉく、いいぜぇ……。暗くて冷たい、どす黒い火が見えるみたいだぁ……。それは人の王の子が持ってていいもんじゃあねぇ……」
「……不服か……? ニールヴェルト……」
「……とぉんでもない……」
その背後で狂騎士がこれ以上ないほどに口角を
「殿下のような主君にお仕えいたしますこと、このニールヴェルト、長きに
ニールヴェルトが、突然その口調を改める。その声音は、主に忠義を誓う騎士の声、そのものだった。
そして――。
「……ほら、俺……ずっと仲間が欲しかったからさあぁぁあああぁぁ! あーはははははぁぁぁあああぁぁぁっ!! ひははっ……ひはははははぁぁあああぁぁぁっ!!!」
狂人の笑い声が、すべてを飲み込んだ。
「ならば、私に
ただの1歩も歩みを止めず、真っ
「お任せ下さい……アランゲイル様ぁぁあああぁぁああぁ! あははははぁっ!!」
星の光だけに弱く照らし出される闇の中で、ニールヴェルトが歓喜に両手を広げ、狂喜に身体を反り返らせ、愉悦にその顔を悪夢のように
「こやつら……! 狂っているか……!」
「あはははははぁああぁぁあっ! さあぁ……来いよ……俺と遊ぼうぜえぇ……ひははぁっ!」
高揚の余りに血走った目を丸く見開いて、背中を丸めた狂騎士が誘うように口を開く。半開きになった
「うっ……! 二手に分かれる! 1隊はあの狂人を。もう1隊は先に進んだ“人間”を追え……!」
その場にいた20人弱の魔族兵たちが2つの集団に分かれ、1隊はニールヴェルトに突撃し、もう1隊はその脇を通り過ぎてアランゲイルの後を追った。
「……」
背後の
「……」
しかし、それでも兄は、決して振り返ることも、歩みを止めることもしないのだった。
「……」
……
……これは、人の王の子が命じた言葉。
……“
……その
……ならば、次代の王は、その全てを背に置いて、前に進むのみ。
……。
……。
……。
「――“風陣:
――ザンッ。
枯れ葉の厚みほどに圧縮された風の刃が地を走り、どんな刃先で切りつけるよりも鋭く、土と石を斬り裂いた。
兄の背後に走り迫ってきていた魔族兵の足音は消え、キィィィィっという甲高い風切り音だけが沈黙を
「……良い働きぶりだ。よくやった、ニールヴェルト……」
歩き続けるアランゲイルが、背後に立つ狂騎士に言葉だけを送る。
「お褒めに預かり、光栄ですぅ……アランゲイル様ぁ……」
アランゲイルの背中に向かって、ニールヴェルトが深々と頭を垂れた。
「この場は貴様に任せる……大いに武勇を示して見せよ……」
その一言と、砂利を踏みしめる足音だけをその場に残して、王子の姿が、闇の中に消えていった。
「かしこまりました……我が主よ……」
アランゲイルを
その腕に、“左座の盾ロラン”の魔導器、“風陣の腕輪”を光らせながら。
「……ひははっ」
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