北方戦役

18-1 : “ネクロサスの墓所”

「わあぁぁぁぁっ!」



 空気を揺らし渦を巻く、喧騒けんそうと地鳴りと剣戟けんげきの中で、若い騎士が震える声で細い雄叫おたけびを上げた。


 緊張と不安と興奮で、甲冑かっちゅうの下でわきと手のひらに汗が流れているのが分かる。まだ覚えたての剣筋は、肩に無駄な力の入ったぎこちないものだった。


 それでも、そんな迷いの混じった剣筋でも、その若い騎士は既に10体以上の“敵”を討ち取っていた。


 今まさに振り下ろした剣先にも、カラカラに乾いた植物の茎の束を切り倒すような、ともすると心地よくさえもある不思議な手応えがあった。


 乾ききった“敵”の骨はいとも容易たやすく砕け折れ、若い騎士の足元には、動かなくなった骸骨兵の残骸が転がっていた。その動きを止めた残骸は、“むくろ”でさえない――とうの昔に朽ち果てた存在である骸骨兵に、そもそも“生”も“死”もあるはずがないのだ。人間たちが見極めなければならないのは、たったひとつの要素だけ。すなわち、“相手が動いているのか、動いていないのか”、ただ、それだけのことだった。



「はは……ははは……や、やった、またやってやったぞぉ!」



 20体目に迫る骸骨兵を打ち負かした若い騎士が、高揚した声を上げた。


 ……。


 ……。


 ……。


 ――“宵の国”、北方。


 ――北の四大主“渇きの教皇リンゲルト”が領地、巨大遺跡群“ネクロサスの墓所”。


 人間領“明けの国”による“宵の国”への一斉侵攻。その第4の戦場は、“墓所”という名からはかけ離れた轟音ごうおんに包まれていた。


 東方“イヅの大平原”へは、4万を越える“明けの国騎士団”による進軍がなされた。


 南方“暴蝕ぼうしょくの森”へは、騎士と工作兵のべ4000人による突破作戦が敷かれた。


 西方“星海の物見台”へは、魔法使い500人、騎士6000人の混成部隊による攻略戦が指令された。


 そしてここ北方、“ネクロサスの墓所”へは……。


 ――戦線最後部、“明けの国”陣営、本陣。



「第6師団より、定刻連絡」



 分厚いほろの張られた本陣テントで、情報収集を統括する情報官が報告を上げた。その手には術式巻物スクロール“神速の伝令者”が握られ、テント内の簡易棚には未使用の“伝令者”の術式巻物が大量に保管されている。



「 『我が師団、構成第16、17、18旅団、損害軽微。当初行動計画を続行。前線を押し上げる』 」



 情報官が読み上げる前線からの報告を聞いて、参謀官が机上に広げた巨大な地図の上で駒を進めた。


 北方国境線付近を描き出した巨大な地図上には、今しがた参謀官が動かした物と同じ白い駒が、合計10個並べられている。



「ここまでは、順調ですな」



 細身をした参謀官の1人が、落ち着いた声で言った。



「当然である。今回の北方戦線には、我が国の騎士団兵力の大半を投入しているのだ。順調でなければうそであろうよ」



 恰幅かっぷくのよいもう1人の参謀官が、口ひげをでつけながら鼻息荒く言った。



「敵方の戦力規模は、現在のところどれほどじゃ?」



 最高齢とおぼしき3人目の参謀官が、年季の入った声で情報官に問うた。


 情報官が、自分の机の上に積み重なった使用済みの“伝令者”の山を整理して、状況をまとめる。



「現在、前線にて直接確認できている敵兵力は、およそ1万。第4師団からは伏兵の存在も報告されています」



 情報官の回答を聞き、3人の参謀官は地図上に置いた敵勢力を見立てた黒い駒を並べ直した。



「ふむ……伏兵の存在を考慮しても、骸骨どもの兵力は2万に届かず、といったところですかな?」



「魔族は個体数が我々人間に比べて圧倒的に少ないのだ。これでもよく集まっている方であろうよ」



「油断するでないぞ。戦場での油断は禁物じゃ。どんなに優勢であろうと、勝敗が決する瞬間まで、気を緩めてはならん。先に平常心を失った方が、敗者となるでな」



 地図上に並べられた、2色の駒。“宵の国”の戦力を見立てた黒い駒は、小振りな物が10個、“墓所”を見立てた線の上に配置されている。対する“明けの国”の白い駒は、黒い駒よりも一回り大きく、それが“墓所”を半円形に囲むように並べられていた。



「“宵の国”は2万体弱、2個師団規模。我ら“明けの国”は“10個師団”……10万人超である。総力でもって、骸骨どもを撃滅するのみ」



 北方、“ネクロサスの墓所”。“宵の国”の歴史が無数の塵芥ちりあくたのように積み重なったこの地で、魔族最大の戦力を誇る“渇きの教皇リンゲルト”の軍勢と、“明けの国騎士団”10万の兵が、真っ向から衝突を繰り広げていた。



 ***



 ――“明けの国”勢力第6師団、前線。



「この! この! このぉ!」



 新米の騎士が、崩れて動かなくなった骸骨兵に向かって剣を何度もたたきつけていた。へこみも擦り傷もない真新しい甲冑かっちゅうに身を包み、研ぎ上げられたばかりの剣の表面には骸骨兵を斬りつけた骨粉で曇った部位と、まだ何も斬ったことのない美しいままの部位とが境界を成している。



「おい! 何やってんだ! そいつはもう動いてねぇよ! やめろって!」



 新人の騎士が、背中から腕を回して新米騎士を制止した。


 押さえ込まれた新米騎士が、緊張した顔つきで新人騎士を振り返り震える声で口を開く。



「だ、だって……! こいつら、いつ動き出すか分かったもんじゃ――」



 ガシッ。


 新米騎士が言い終わるよりも早く、足首を何かにつかまれる感触があった。



「ひえっ……!」



 新米騎士が情けない声を上げて、青ざめた顔を足下へ向けると、そこには切り崩されて上半身だけになった骸骨兵がいずり寄って、騎士の足甲を骨の手でつかんでいる光景があった。



「お、お助けぇぇぇ!」



 驚きと恐怖で縮みあがった新米騎士が、悲鳴を上げながらつかまれた足を振り回す。力の限り蹴り上げられた足は骸骨兵の手を粉砕したが、その直後新米騎士は勢い余って尻餅をついてしまった。


 ズルリズルリと、石斧せきふを手にした骸骨兵が、残った片腕を器用に使って、上半身のみとなった身体でってくる。



「アババババババっ」



 ボコンッ。動転して腰が抜けてしまった新米騎士の前に、3人目となる新顔の騎士が回り込んできて、冷静に骸骨兵の背骨を砕き割った。


 背骨を粉々にされた骸骨兵は数秒間ぷるぷると震え、やがてばたりと脱力し、それきり完全に動かなくなった。



「大丈夫か!?」



 骸骨兵を再起不能にしたところで、新顔騎士が新米騎士に駆け寄った。



「あ、ありがとう……助かったぁ……」



 新米騎士が、ほぉっと深い安堵あんどめ息をつく。



「お・ま・え・なぁ! こいつらは背骨が弱点だって言ってるだろ!? 作戦司令書にも書いてあったじゃないか、読んでないのかよ……」



「わ、悪りぃ……頭じゃ分かってるんだけど、いざ相手を目の前にすると訳が分からなくなって……」



「……ほんと頼む……ほんっとに頼むっ……しっかりしてくれ……」



 面目なさそうに頭に手をやる新米騎士を見て、新人騎士が悩ましそうに頭を抱えた。

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