17-25 : 闇に紛れる、光と影

 ――西方戦役の終結と時を同じくした、“明けの国”、王都。


 ……ピチャン。


 ――地下牢。


 ……ピチャン。


 ――“特級反逆者”、シェルミア独房。


 一切の光の届かない、その地下の牢獄ろうごくへと続く長い長い下り階段を、ランタンを手にした獄吏ごくりが歩いていた。



「第1王女様も、ちるところまでちたもんだ、キヒヒ」



 獄吏ごくりは小太りな体格をしていて、醜い家畜のような顔に利発さはなかった。ただ食欲と睡眠欲と肉欲にだけ忠実で、唯一趣味と言えるものといえば、こうして牢獄ろうごく越しに他人の不幸を愉快がることだけ。ただそれだけの、空虚で不気味な男だった。



「“元”姫騎士様は、今頃どんな顔であそこにつながれてるのかなぁ? 見てみたいなぁ……すごく見たいけど……おっとと、そろそろ光を消さないと……」



 獄吏ごくりがランタンの蓋を開けて、ひどい口臭の息を吹きかけて火を消した。当たりは一面闇に閉ざされ、醜い男は壁に手をついて手探りで階段を下ってゆく。



「“闇流し”も、今日で何日目だったかなぁ? ひぃ、ふぅ、みぃ……あー、忘れちまったぁ……。とにかく、もう結構、長いよなぁ、キヒヒ」



 獄吏ごくりが気色の悪い笑い声を漏らしながら、ぶつぶつと独り言をつぶやいている。



「“闇流し”になったやつを見るのは、特に面白いなぁ……最初どんなにオイラに向かってわめき散らしてるやつだって、どんなに頭のいいやつだって、闇に食われておかしくなっていくんだぁ……」



 ピチャン。



「目が見えなくて……昼も夜も分からなくて……自分が起きてるのか寝てるのかも分からなくなって……身体の感覚がなくなって……その内、オイラが目の前にいるのに、オイラじゃない何かに向かってぶつぶつ言い出すんだぁ……」



 ピチャン。



「キヒヒ……オイラ、色んな人間が色んな刑で壊れていくのを見てきたけど、“闇流し”で頭がおかしくなっていく人間を見るのが、一番好きだぁ……キヒヒヒ……おっと、そろそろしゃべるのも止めねぇと。オイラが見に来てるの、バレないようにしないとつまんねぇ」



 醜い男の足が、地下深くの独房の床に着いた。


 獄吏ごくりがじっと息を潜めて、シェルミアの“壊れ具合”を確かめようと耳をそばだてる。


 闇の中は、完全な無音である。


 獄吏ごくりが面白がるように、手に持った固いパンを引きちぎって、その欠片かけらを独房の中へと投げ入れた。


 パンが床に落ちる、ポフっというかすかな音がした。


 その音に反応して、闇の向こうから鎖の揺れるジャラリという音が聞こえた。



「……う……あ……?」



 声の出し方を忘れ去ってしまったような、女のかすれた声がする。


 闇の中で、獄吏ごくりがニタニタと笑いながら、声のする方へパンの欠片かけらをもう1つ投げ込んだ。



「ま……う……!」



 たまたま足下にまで転がっていったパンの欠片かけらを、貪り食らう気配があった。


 獄吏ごくりが調子に乗って、床を足で踏みつけて、ダンッと大きな音を立ててみせる。



「ひっ……! あ……ぅが……」



 闇の向こうから、呂律ろれつの回っていない女のおびえた声が聞こえた。


 笑い声を必死に堪えて、シェルミアの壊れ具合を堪能した獄吏ごくりが、最後に鉄の皿に盛った固いパンと、蒸した野菜と肉を混ぜた残飯のような監獄食を独房の中に差し入れて、上機嫌で地上へと戻っていった。


 ……。


 ……。


 ……。


 ピチャン。


 ……。


 ……。


 ……。



「……はぁ……毎度毎度、悪趣味な、人ですね……」



 獄吏ごくりのいなくなった真っ暗闇の独房の中で、ジャラリと鎖を引きずる音がして、両手と両足にそれぞれかせめられたシェルミアが、監獄食に向かってい寄った。



「何が楽しいのか、理解できません……」



 かせに邪魔され手を使えないシェルミアが、地面につくばって獣のように食糧を食いあさるガツガツという音がした。



「……うっ……!」



 そのひどい味と食感に、シェルミアは思わず嗚咽おえつを漏らし嘔吐おうとしそうになる。



「……ぐっ……。……っ!」



 シェルミアが歯を食いしばり、吐き出してしまいたい衝動を必死に押さえ込んで、口の中の物を無理やり咀嚼そしゃくして、ゴクリと喉を鳴らして強引に腹の中に押し込んだ。



「ようやく……油断して、くれましたね……“これ”を置き忘れていってくれるのを、ずっと、待っていた……!」



 歯をき出しにしたシェルミアが、地に頬をつけてくわえた先には、獄吏ごくりが食糧を載せたまま忘れていった鉄の皿があった。



「私は、“明星のシェルミア”……この程度のことで壊れるほど、柔ではありません……!」





 ***



 ――“明けの国”、某所。深夜。



「ブオッ、ブオッ」



 月の光も届かない山肌の陰の中で、複数の大型の獣が鳴いていた。ずんぐりとした体格の、赤毛をした山羊やぎに似た“明けの国”の家畜、ヒイロカジナたちである。


 20頭ほどのヒイロカジナが鎖と動滑車でつながれ、何かをゆっくりと引きずり上げていた。


 動滑車の木の歯車が、ガチリガチリとみ合う音と、引きずり上げている物体と連結された鎖がきしむ鈍い音が続いている。


 ヒイロカジナたちを先導しているのは、真紅の装甲をまとった騎馬、そしてその上にまたがるくれないの騎士である。



「くれぐれも慎重に作業するのだよ……彼女はとても繊細なのだ……」



 そして、くれないの騎士たちに向かって指示を出しているのは――。



「娘は今、とてもよく眠っている……そうだ、ゆっくりと動かしたまえ。我が愛娘まなむすめの眠りを邪魔しないよう……」



 後ろに寝かしつけた灰色の髪と、紫色をした瞳。明けの国の宰相、ボルキノフが、ヒイロカジナたちが食いしばった口元からよだれをこぼして息を荒らげるのを見やりながら言った。


 山肌には朽ち果てかけている石門があり、その内部には斜めに傾斜した通路が敷かれ、はるか地下へと続いている。その地の底へと続く闇の奥から、ズルリ、ズルリと、とてつもない重量をした何かがヒイロカジナたちによって地上へと運び上げられている最中だった。



「ゆっくりと……ゆっくりとだ……」



 そして、月光も差し込まない岩影に、一際濃い影が姿を現す。


 それは、騎士たちの聖域、“騎士びょう”の奥底に築かれた冒涜ぼうとく的な隠し部屋に秘匿され続けていた、苔生こけむした巨大な石棺だった。


 20頭ものヒイロカジナで一斉に引いてやっと動かすことのできる石棺が、長い時間をかけて地下からゆっくりと引き上げられていく。が、その最後の段、地下へと伸びる斜面から、地上の平地へ乗り上げるまさにそのとき、斜面に沿って頭を上げていた石棺が、自らの重量で水平の向きに勢いよく倒れ込んだ。


 鈍く大きな衝撃音がして、足下に振動を感じた。巻き上げられた砂埃すなぼこりが周囲の空気を汚す。



「ああっ」



 ボルキノフが悲壮な声を上げて、地面にたたきつけられた石棺に駆け寄った。



「馬鹿者……! 私は丁重に扱えと言ったのだぞ……! 娘が……私の可愛かわいい娘が怪我けがでもしたらどうするつもりだ……!」



 石棺に覆いかぶさり、宰相がその重く分厚い石の蓋をいとおしそうに手のひらででた。



「ああ……平気かい? ユミーリア……?」



「……」



 くれないの騎士は、ただ無言でボルキノフの背中を見ている。


 誰もが沈黙する闇夜やみよの中で、ヒイロカジナたちの疲弊した息遣いだけがやけに大きく聞こえていた。


 ……。


 ……。


 ……。



 ――《『お父様……? ここは、どちらでしょうか?』》



 ボルキノフの耳に、“愛娘まなむすめ”と呼ぶ存在の声が幻聴こえた。



「ユミーリア……起こしてしまったね。許しておくれ。ここは……“お家”の外だよ、ユミーリア」



 ――《『まぁ……! お外に出るだなんて、いつ以来でしょうか、お父様。ああ、お星様が見えます……何て綺麗きれいなんでしょう』》



「本当は、もっと景色のよい所に着いてから起こしてあげようと思っていたんだよ、ユミーリア。ああ、でも、お前がそんなに喜んでくれて、私はとてもうれしいよ……」



 石棺に頬を寄せるボルキノフの目には、慈愛の情があふれていた。



「……そうだ、ユミーリア。私が星座を教えてあげよう。今日は、夜更かししてもいいんだよ、ユミーリア」



 ――《『ああ、素敵……! ありがとうございます、お父様。ユミーリアは、とてもとてもうれしいです……。そうだ、お父様、これをお受け取りください』》



 ボルキノフが石棺から顔を上げて、その石の蓋に向かって首をかしげながら語りかけた。



「何だい? 私に何かくれるのかい?」



 そう言いながらボルキノフは重い石の蓋に手をかけて、常人の力ではびくともしないはずのその封印を、たった1人でこじ開けた。その顔を、嬉々ききとして微笑ほほえませながら。


 石の蓋がずれ動き、その隙間から石棺の中身の一部が外気にさらされる。


 その地下のよどんだ空気をめ込んだ石棺の闇の中から、ぶよぶよの半透明の皮膜で覆われた、少女の青白くか細い腕が伸びてきた。



 ――《『これを、お受け取りください、お父様。“お友達”が、見つけてきてくれた物です』》



 青白い蛍光色を放つ“少女の腕”が、闇の中にぼおっと浮かび上がる。その小さな手のひらの中には、何かが握りしめられていた。



「ああ……ありがとう、ユミーリア。大切にするよ、大切に……」



 ボルキノフが“少女の腕”ごと、その手のひらに握られた装飾品を手で包み込んだ。


 “少女の腕”から受け取った品物を懐にしまいながら、しかしボルキノフは愛娘まなむすめの腕を握ったまま離さなかった。その華奢きゃしゃな腕をで回すたび、表皮の粘膜がヌチャリヌチャリと不快な音を立てた。



 ――《『お父様、くすぐったいです』》



「ユミーリア……お前は本当に、優しくて、美しい子だね……ほら、触れておくれ、ユミーリア。私の顔に……」



 ボルキノフが“少女の腕”をそっと導いて、自らの頬にその青白く発色する手のひらをあてがった。


 ヌチャリ、ヌチャリ。“少女の腕”の粘膜がボルキノフの頬にこびり付く。



「ああ、いとしい我が娘……お前に触れると……お前に触れられると……私は、とても幸福な気持ちになるよ……」



 宰相がそっと目を閉じて、愛娘まなむすめとのひとときのふれあいに没入していく。



 ――《『お父様……愛していますわ……』》



「私もだ……ユミーリア……私も、愛している……」



 そして――。


 ……。


 ……。


 ……。


 ガブリ。


 ボルキノフが大きな口を開け、“少女の腕”に、食らいついた。


 顎に力を込め、歯を食い込ませ、粘膜で覆われた皮膚を食い破り、肉を引きちぎり、グッチャグッチャと音を立ててそれを咀嚼そしゃくし、ゴクリと喉を鳴らしてみ込んだ。


 “少女の腕”にはボルキノフの歯の形に食いちぎられたむごたらしい肉の欠損が生じて、そこから真っ赤な血がドクドクと噴き出している。



「さあ……ゆこう、ユミーリア」



 自ら食らいつき傷つけた“少女の腕”をそっと石棺の中に戻しながら、ボルキノフが陶酔した声でぶつぶつとつぶやいた。



「私たちの悲願……“永遠への近似”を実現させるために……“あの種”に宿る生命の力を、次こそ我らの手の内に……」



 ……。


 ……。


 ……。



「相まみえるのが、楽しみだよ……“魔剣のゴーダ”……」



 ――“宰相ボルキノフ”、“愛娘まなむすめ”ユミーリアとともに、宵の国東方へ向け、出陣。

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