17-23 : 嫉妬

 ――カチャリ。



「……ふぅ……」



 ティーカップを受け皿に置きながら、ローマリアが細いめ息をついた。



「……。……わたくしに……“星の”を……“第3概念”をまで使わせたこと……素直に、賞賛いたしますわ――」



 頭上に浮かぶ赤い月を見上げて、ローマリアがつぶやいた。



「――ロラン様」



 そう言って魔女が振り返った先には、呆然ぼうぜんと立ち尽くしている“左座の盾ロラン”の姿があった。



「……お掛けになりまして?」



 特別な者以外を決して招き入れないローマリアの私室、“星見の鐘楼”。そこに据えられた椅子に腰掛けた魔女が、向かいのいている椅子を手のひらで指し示してロランに言った。



「……っ」



 ローマリアに促されたロランは、しかしその場に棒立ちになるばかりだった。



「……ええ、無理にとは言いません……。ロラン様、貴方あなたは、わたくしがこの“星見の鐘楼”への立ち入りを許した、初めての人間ですわ。どうぞ、おくつろぎになって?」



 ローマリアのその声に、ロランは何も反応しなかった。うつむけられた顔には銀の髪が垂れ下がり、目元を隠している。拳は強く握りしめられ、全身が小さく震えていた。



「……嗚呼ああ……申し訳ありませんでしたわ……。貴方あなたがたには、とても、怖い思いをさせてしまったようですね。こんなに、震えて――」



 椅子に腰掛けていたローマリアが転位して、次の瞬間には恐怖に震えているロランの頬に手を当てていた。



「――ふふっ……可愛かわいい……」



 ロランの頬に手をわせたローマリアが、盾の騎士の顔を上げてみせる。魔女の頬には朱が差していて、細められた目には好奇の色が浮かび、口元はやんわりと笑っていた。


 まるで、愛玩動物を病的にでているようだった。



「……触、るな……魔女……」



 頬に魔女の手の冷たさを感じながら、ロランが鋭い目つきでにらみつけながら言った。しかしその声の震えを完全に止めることだけは、どうしてもできなかった。



「ふふっ……そのようにお怒りにならないで……? 貴方あなたは“約束”通り、このローマリアを1度は殺してみせたのです……。もっと誇っていただいても構いませんのよ?」



 ローマリアが、左手をロランの頬に添えたまま、右手でその頭をでるようにで回した。その顔からは“第3概念”の歌を奏でていたときの穏やかな表情は消え、うっすらと嘲笑が浮かんでいた。


 そして魔女のその言葉に、ロランは背筋に寒気が走るのを感じた。



「……なん、で……」



 ――何で、姉様と僕の約束を……四大主を殺すって約束を、お前が知って……?



 その言葉は、ロランの渇いた喉から出ることはなかった。



嗚呼ああ、ロラン様……もっと、貴方あなたのことが、知りたいですわ……」



 ……。


 ぐるり。


 ローマリアの右目が裏返り、“星の”が再び外界に向けられた。



「ひ……!」



 この世界に在ってはならないその瞳を見て、ロランが身をこわばらせた。生き残っていたすべての人間を発狂させ、死よりおぞましい末路を辿たどらせた“星の”の存在は、ロランの精神に消えない恐怖を植え付けていた。



「そのように怖がらないで……?」



 嘲笑に顔をゆがめながら、ローマリアが子供に言って聞かせるように語りかける。



「さあ……わたくしにせてくださいませ……。貴方あなたおもい人を……貴方あなたの記憶を……貴方あなたの、全てを……」



 “星の瞳”の虹彩こうさいが揺らめいて、魔法を超越した“第3概念”の力の一欠片ひとかけらが、誰の理解も及ばぬ神秘の片鱗へんりんが、ロランをのぞき込んだ。



「あ……あ゛ぁ゛……っ!」



「……うふふっ……」



 “星の瞳”を直視したロランの全身が、ピンと緊張した。



「あ゛っ……あ゛っ……見るな……見るなよぉ……っ!」



「緊張しなくても、よいのですよ……? わたくしに委ねてくださいませ……。そう、力を抜いて……わたくしを……この瞳を、見て……」



 ……。


 ……。


 ……。



「……アはっ……“エレンローズ "……素敵……」



 ローマリアの、興奮した声が漏れ聞こえた。


 その瞬間、魔女にすべてを見透かされたのが分かった。


 ……。


 ……。


 ……。



「……あ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛……っ」



 そして、ロランは大粒の涙を流し、子供のように泣きじゃくった。



 ――何で、のぞくんだよ……。



 ――誰にも、秘密だったのに……。



 ――姉様にも……エレンにも……ずっと伝えられなかったのに……。



 ――僕だけの、大事な秘め事なのに……。



 ――何で、お前なんかに、のぞかれないといけないんだよぉ……。



 涙で視界がかすむ中、ふわり、と、柔らかいものに包まれる感触があった。



「……ふふっ……うふふっ……うふふふっ……」



「あ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛……っ」



 ローマリアに抱き締められる中、ロランは完全に戦意を失っていた。何も抵抗できず、ただ、魔女の胸の中で声を出して泣き続けることしか、できなかった。


 ローマリアが、更にきつく、ロランを抱き寄せる。



嗚呼ああ、どうしましょう……ロラン様、貴方あなたのことが、いとおしくてたまりませんわ……。双子の姉を愛してしまったロラン様……何て健気けなげで、美しくて……ゆがんだ人……」



 抱擁を解いた魔女が、ロランの目をじっと見つめる。



貴方あなたのようなお方に、こんなにもおもってもらえるエレンローズという女は……とてもとても、幸せ者ですわ……」



 ……。


 ……。


 ……。



「……アはっ……わたくしにも、かつてそんな人が、いましたわ……嗚呼ああ、とても、けてしまいます……」



 ……。


 ……。


 ……。



「……奪って、しまいたい……」



 そしてローマリアが、ロランの肩を引き寄せて――。


 ……。


 ……。


 ……。


 ローマリアの唇が、ロランの口元に触れた。


 泣きわめいていたロランの口腔こうくうに、魔女の舌がヌルリと滑り込む。


 魔女の口づけにロランは声を塞がれ、“星見の鐘楼”に静寂が降りる。


 舌が絡み合うなまめかしい音だけが、沈黙の中に小さく響いていた。


 ……。


 ……。


 ……。


 ――ピシッ。


 左の視界に、ひび割れたガラスのように、亀裂が入った。



「……。……はぁ……」



 長い長い口づけに満足したローマリアが、ロランの肩から手を離す。



「……嗚呼ああ……とても、たのしかったですわ……」



 心のり所を見失ったロランが、糸の切れた人形のようにその場にへたり込んだ。


 その左目は――ローマリアに口づけされている間、“星の”にのぞき込まれ続けていた目は――中心にひびが入り、2つの半円になった瞳が互いにずれていびつな形に変形していた。



「……貴方あなたも、たのしんでいただけましたかしら……? ふふっ……」



 ローマリアが、くるりと背を向けて、歩き去っていく。



「あ……」



 ピシッ、ピシッ。


 左の瞳に走った亀裂は次第に大きくなり、眼球、頬、首、左肩、左腕へと伸びていく。


 そしてその亀裂の狭間はざまから、闇そのものが枝葉を伸ばし、ロランの身体を侵していった。


 左半身に垂直に伸びた亀裂は、やがて横にもひびを走らせていき、闇の枝葉が全身の至る所で成長していった。


 ……。


 ……。


 ……。



 ――エレン……。



 ……。


 ……。


 ……。



 ――ごめんね……。



 ……。


 ……。


 ……。



「さようなら、可愛かわいい人……ふふっ……」



 ……。


 ……。


 ……。


 “星見の鐘楼”に据えられた椅子に腰掛け、優雅にティーカップに口をつける孤独な魔女。彼女が見やるその先には、赤い月光に照らされた、“かつて人だった樹のようなもの”があった。



 ――西の四大主“三つ瞳の魔女ローマリア”、“明けの国”騎士・魔法使い混成部隊6500名、外部魔法記憶“星海の物見台”の使用により、撃退。及び、禁忌“第3概念”の使役により、すべての残存兵力、発狂、世界の理から外れた存在へと、変質。


 ――明けの国騎士団“左座の盾ロラン”、人間性と生物性を消失。死よりはるかに遠い、銀河の神秘の一部となって、意味喪失。


 ……。


 ……。


 ……。


 西方戦役、終結。

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