17-18 : ぶつかる意思

「“風陣:太刀風たちかぜ”」



 ズバンッ。


 ロランの周囲で制御不能のカマイタチが吹き荒れ、“治癒魔法の書架の蔵書をズタズタに切り刻んだ”。治癒の魔法の叡智えいちが記された無数のページがバラバラに舞い散り、それらが風に乗って、ロランの周りでカサカサと音を立てながら渦巻いた。



「……! 貴方あなた、まさか……!」



 ローマリアが言い終わらない内に、指向性の鋭い風が再び魔女を直撃した。


 ボッ、ボッ。風を浴びた魔女の身体の至るところで、発火現象が起こる。



「……っ! く……っ!」



 ローマリアが、たまらず苦悶くもんの声を漏らした。


 発火現象自体は、小さな火が一瞬肌をめる程度のものでしかない。しかしそれは、魔女を戸惑わせ、“右目”を使うための集中力をがせるには十分な威力だった。



「……やっぱり。理由は分からないけど、治癒の魔法書が触れると、“そう”なるんだね……」



 冷淡な声でロランがつぶやき、治癒の魔法書がカマイタチに見る見る内に切り刻まれていく。それにつれて、巻き起こる風とともに舞う魔法書の切れ端が数を増していった。



「うっ……!」



「どらぁ!」



 舞い散る火の粉に神経を散らされ、両手を顔の前で振り回しているローマリアに向かって、隻眼の騎士が斬り込んだ。


 しかし、その剣先には手応えがない。



「……っ。……ふふっ……うふふっ……やってくれますわ……貴重な魔法書を、そんなふうに使うだなんて……」



 火の粉に気を散らされながらも瞬間転位によって距離をとったローマリアが、もう1度、魔法書を手元に引き寄せるべく右目を行使した。



 ――第9720番書架、「重力反転の術式」。



 ……。


 しかしまたしても、“右目”によって正確にその蔵書配置を読み上げたにも関わらず、魔法書は現れなかった。



「……なっ……!?」



 2度も立て続けに魔法書の転位に失敗したローマリアが、事態に理解が追いつかず、わずかに動揺した声を漏らした。


 “何故なぜ”という言葉が頭の中で渦巻く最中さなか、大螺旋らせんの頭上、読み出しに失敗した第9720番書架を見上げた魔女は、自分の置かれた状況をようやく理解した。


 結晶使いが行使した結晶化の術式が螺旋らせんの書庫の全域に渡って浸食し、ほぼすべての書架を結晶の中に閉じこめようとしていたのだった。


 ローマリアが急いで階下に目をやると、そこには生き残った20人の魔法使いたちが祈りに似た詠唱をとなえている姿があった。


 1人で螺旋らせんの書庫の半分を結晶化させた結晶使いは、もういない。それを成した魔法使いは、絶望にまれ、ローマリアの放った禁呪によって砂と化していた。しかし、結晶使いの弟子たちは、絶望の侵食を乗り越え、生き残っていた。残りわずか20人となった若い魔法使いたちが、“魔力連結の指輪”によって魔力を束ね、師には及ばずとも、書架を飲み込む結晶を更に成長させていたのだった。


 結晶化の魔法を行使することに全身全霊をそそいでいる若い魔法使いたちの精神は限界に近づいているようで、魔力を連結させている魔法使いが、1人、2人と気を失って倒れていく。


 しかしそれにも構うことなく、魔法使いたちは書架を無力化すべく、結晶化の追加詠唱をとなえ続けているのだった。



小癪こしゃく真似まねを……なさいますのね……!」



 ローマリアは螺旋らせんはるか上層部に目を凝らし、まだ結晶化していない書架の存在を確認すると、その位置に納められている書架の記憶を“右目”で読み出した。



 ――すべての書架が結晶に閉じこめられる前に、魔法使いたちを一撃で葬ることのできる魔法書を引き出さなくては。



 その目線の先に並ぶ書架の記憶を読み出したローマリアが、強力な術式を宿した魔法書を引き寄せるべく、宙に右腕を伸ばした。



「さあ、わたくしの下に来るのです、魔法書よ……」



 ……。


 ……。


 ……。


 ――ローマリアの1つ目の失態は、禁呪“霧散自壊の術式”から生き残った170人の人間を、甘く見たことである。自己犠牲もいとわず、脇目も振らず四大主に立ち向かう人間の意志を、侮ったことである。


 ……。


 ……。


 ……。



「「「おぉぉぉぉっ!!」」」



 生き残った戦士たちと、くれないの騎士たちと、重装歩兵たちが、魔女に一矢報いようと、死を覚悟した突撃をかけた。



「くっ……! わたくしの前では、貴方あなたがたなど無力なのだと、まだ理解できませんの……!?」



 ローマリアが己の肉体と100人に迫る人間たちをまとめて瞬間転位させ、飛び込んできた騎士たちの攻撃をかわし、同士討ちさせ、螺旋らせん階段から階下へと落下させた。


 その間、わずか数秒であった。たった数秒のことであったが、その数秒という時間は、魔女によって記憶を読み出された書架が結晶の中に封じられるには、十分な長さだった。



「……! 何てこと……!」



 飛び込んできた人間たちを一瞬で片づけたローマリアが、腹立たしげに歯みした。



「……ですけれど、まだ書架は残っていましてよ……!」



 ローマリアの右目が、次の書架の記憶を瞬時に読み出した。


 ……。


 ……。


 ……。


 ――ローマリアの2つ目の失態は、己の精神を苛立いらだたせ、判断力を鈍らせていたことである。そのことに、その心の動きに、気づくことができなかったことである。人間たちの突撃に紛れて、隻眼の騎士が彼女の真横の書架の上に身を潜めていることに、気づけなかったことである。


 ……。


 ……。


 ……。


 ザシュッ。


 ローマリアの目の前に、一瞬、隻眼の騎士の人影がよぎった。足場の悪い螺旋らせん階段に沿って立ち並ぶ書架、その上から塔の壁面を蹴って、隻眼の騎士は宙に飛び出した。虚空の中に身を投げることにも躊躇ちゅうちょせず、魔女の光を失った右目の死角の中で、騎士は飛び降りながら、渾身こんしんの一撃を振り下ろした。


 ……。


 ……。


 ……。



「――きゃああぁぁぁぁぁぁァァァァァァァァ………っ!!」



 紫色の鮮血をまき散らし、二の腕から先を失った右手をむなしく頭上の書架に向かって伸ばしたまま、魔女が悲鳴を上げた。



「……へっ……こうまでして、ようやっと、届いたか……。よぉ、魔女様……俺の冥土への土産に、その右腕、もらってくぜ……」



 勝ち誇った表情を浮かべながら、隻眼の騎士は最後に一言だけそう言って、虚空へと、落ちていった。


 パキンッ。


 それと時を同じくして、若い魔法使いたちが魔力を使い果たす寸前のところで、大螺旋らせんのすべての書架が結晶化する涼やかな音が響いた。



「あっ……あっ……! う、腕が……腕、が……!」



 切り落とされた腕からドボドボと流れ出る魔女の血が、螺旋らせん階段を紫色に染めていく。


 1度は精神をかれ、2度目は右腕を失った――2度にわたる苦痛と屈辱を受けた魔女の顔には、怒りと、戸惑いと、動揺の色が浮き出ていた。



「ぐっ……! わ、わたくしが……わたくしとも、あろう者が……! 人間、相手に……こんな……こんな……!」



 コツッ、コツッ。


 混乱しているローマリアの耳に、螺旋らせん階段を上ってくる人間の足音が聞こえた。



「はぁっ、はぁっ……ぐっ……!」



 その足音を聞いて、魔女が体勢を立て直そうとすると――。



「無駄だよ……」



 一陣の風がビュウと吹き荒れ、そこに取り込まれた、千々に破れた治癒の魔法書に触れたローマリアの全身が、発火した魔法書の火の粉でチリチリとめ回された。



「あぐっ……!」



「もう、お前は書架を使えない……。転位魔法で逃げたとしても、その大怪我は、魔法書なしじゃ、どうにもできない……」



 無数の治癒魔法の破片が舞う風の塊を魔女にぶつけながら、“左座の盾ロラン”が、冷たい声で淡々とつぶやいた。



「幾ら身体が頑丈な魔族でも、血を流しすぎたら、死ぬよね……」



 ローマリアの血で滑りやすくなっている螺旋らせん階段を、ロランが1歩1歩、着実に上っていく。



「……逃げる、ですって……? わたくしも、みくびられた、ものですわね……!」



 ローマリアが、残った左腕1本で、足下に転がる騎士のむくろから一振りのナイフを取り上げた。



「わたくし、は……“三つ瞳の、魔女、ローマリア”……! 宵の国、西方の、まもり……四大主が1人、ですわ……! 宵の国を、侵す、者を、前にして……逃げる、ことなど、あり得ま、せんわ……!」



 失った右腕から血が流れ出ていき、目眩めまいがした。全身でパチパチとぜる治癒の魔法書の切れ端に、転位に必要な集中力をぎ落とされた。渦巻く風に、残された左目の視界も塞がれつつあった。


 それでも、ローマリアの翡翠ひすい色をした瞳に宿る意志は、揺るがなかった。



「“星海の、物見台”、を……! かつて、“螺旋らせんの塔”と、呼ばれた、この地を……! あの人と、共に過ごした、この場所を……! あの人と、わたくしの、大切な……大切な……思い出を……! 貴方あなたがたに、渡しなど、しませんわ……!」



「僕にだって……僕にだって、そういうものがあるんだ……。僕にだって、引き下がれない、理由があるんだ……!」



 それに対峙たいじするロランの目にも、魔女と同じ、強い意志の光があった。



「……嗚呼ああ、いいでしょう……」



 左手に持ったナイフの切っ先を、近づいてくるロランに向けて、ローマリアが震える声でつぶやいた。



「かかって、おいでなさい……人間の騎士よ……」



 ……。


 ……。


 ……。


 至高の魔女と、盾の騎士が、何も言わず、互いを見やってただじっと立ち尽くす。


 ……。


 ……。


 ……。


 そして、風が、いだ――。



「……“風陣”!」



 ロランが大盾に風をまとい、走り込み、加速して、シールドバッシュを放った。



「……ふふっ……」



 大盾を前面に展開して突進してくるロランに向かって、ローマリアがナイフを振った。


 瞬間転位によって、ローマリアの肉体とナイフは大盾をすり抜けて、“魔剣のゴーダ”の防御無効の必殺剣、“冑通かぶとどおし”を模した一閃いっせんが放たれる。


 しかし、その大盾の向こう側に、ロランの影は、なかった。



「……っ!」



 大盾をすり抜けた先でローマリアが見たものは、それをおとりにして、魔女の側面に回り込んだロランの姿だった。



おとり……! ですけれど……!」



 凝縮された時間の中で、ローマリアの意識は、驚くほど澄み切っていた。瞬時に機転を利かせて再度瞬間転位した魔女が、ロランを正面に捉える。



「これで……この一手で……決着でしてよ……!」



 ローマリアが、装甲をすり抜けるナイフの一突きを放った。



「姉様……シェルミア様……僕に、力を……!」



 “ロランが、背中に隠し持っていた2枚目の盾を、取り出すのが見えた”。


 それは、およそ戦場に持ち出されるようなものには見えない、ひどく古い装飾の施された、美術品のような盾だった。


 それは、かつて、“明星のシェルミア”が“魔剣のゴーダ”の必殺剣を受けきった、盾の形をした魔導器――。



「――魔女を、四大主を倒す力を、僕に……! “封魔盾ふうまたてフリィカ”よ……!」



 ……。


 ……。


 ……。


 そして、ナイフがはじけ飛ぶ、乾いた音が響いた。

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